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2019-12-24 Advent24/25

アドベント日記を毎日つけようと思ったのに、年末の仕事の追い上げ、色んな歓送別会、体調不良、忘れる気の無い忘年会、久しぶりな人からのお誘い、そして教会のクリスマスイベントなどが立て続けにやってきて、すっかりイブまで更新できなかった。

イブももっと楽しく大切に過ごしたかったのに、風邪を一週間もこじらせて今も鼻声モンスターである。

どれもこれも結局は言い訳である。仕方ないとはいえ、言い訳である。

本日の聖句
「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」
‭‭ヘブライ人への手紙‬ ‭4:16‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/heb.4.16.新共同訳

有言したことは常に不実行で、約束はすぐ破る。
自覚的にも無自覚的にも、息をするように人を欺き、軽んじる。

クリスマスの季節は白くて美しくてきよらかだから、余計に私の持つ黒さが目立つ。
その白さに追いつこうとバタバタ走るけれど、走り方が下手くそでやっぱり転んでしまう。

だから冬のこの季節に、すごく自分が嫌になるけれど、不思議とクリスマスの頃にはあったかい気持ちに戻っている。


人が秘密を100持っているとすれば、私は90はほとんどの人に大っぴらにするタイプだ。
親密度によって徐々に秘密を明け渡す人や、そもそも50程しか人に見せずに本当に大切な人にだけしか100を見せない人、色々な人がいる。
私はよく人から、正直な人間ね、と言われるけれど、それは半分嘘だ。
私はどの人にも90を見せることで正直な人間に見せている(し実際正直でいることを大切にしている)。
けれど、残りのとてつもなくドス黒い10を誰にも見せていない。90を100だという風にやんわり嘘ついて生きている。
私はそんなずるい人間だ。

そのずるさを知っているのは、人間のなかでは私だけだ。だから、私は私をたまにすこぶる憎く思う。

とはいえ、自分が生まれた頃から持っているこのどうしようもない汚さは、形が変わったり蓋ができたりしても、消えることはない。
私はそれに一生向き合って戦い続けていく必要がある。

私の信じる神様は、私の10ももちろん知っていて、それに甘んじる私も苦しむ私も知っている。

だから、私は私に対するやるせない気持ちを、神様に祈ることで、全て最後に託してしまう。
全て預けることで軽くなった心に、次へ進むためのエネルギーを満たしてもらう。

そして、自分に対して少しあきらめて、受容して、許されて、少しずつ反省して、助けられて、もっと良くなりたいともがいて、失敗したり成功したりして、地道に改良して行きたいと思う。クリスマスには特に強く思う。

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