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気づかれないけど応援してる

少し涼しくなり始めた、ある日曜日。
いつものようにダイニングテーブルで書き物をしていると、外から子どもの泣き声がした。
泣き声は、小さい子によくある「うわーん」という感じではなくて、「おんおんと泣いている」とでも表現するのがピッタリくる、少し大きな子のそれだった。小学生くらいの女の子のようだ。

カーテンを少しだけ開けて外をの様子をうかがうと、ヘルメットをかぶって、倒れた自転車を起こそうとしている女の子が見えた。
補助輪を外す練習をしているよう。

後ろからは、お母さんのイライラした小言が続く。
下の子も連れて上の子の自転車の練習に付き合うのは、お母さんにも負担なのだろう。

なかなか乗れなくて悔しいのに加えて、お母さんにも怒られて悲しくて、おんおんと泣く女の子。
上の子は教えてもなだめても泣くばかりでなかなか乗れるようにならず、下の子はグズグズするしで、もう限界を超えてしまって激怒しているお母さん。

あぁ、ワンオペのしんどさがここにも…。
誰かもう1人、大人がいてくれるだけで、しんどさが全然違うのに、それがなかなか、かなわないんだよね。

でも、たとえば今、私が声をかけても、引っ込みがつかなくなっているお母さんは、大丈夫ですって、きっと言うだろう。
少なくとも、私はそうだった。
余裕のない母である自分を人に見られていたことが恥ずかしくて、声をかけられても受け入れられなくて、逃げるように帰ったものだ。

その女の子とお母さん(と下の子)は、私の家から自分達が見えているとは気づいていない。
だから、声をかけられたら嫌なんじゃないか。

いろいろ迷っているうちに、その親子は、見えないところまで遠ざかってしまった。

あのあとのお昼ご飯、お互い少し落ちついて、穏やかに食べられていたらいいんだけれど。
そこにお父さんが帰ってきて、話を聞いてくれたりしたら、もっといいな。
おじいちゃんおばあちゃんのヘルプは…このご時世だから、なかなか呼べないか。

それで、午後は、何か気晴らしになるようなことがあればいいな。
そして、次の練習では、補助輪無しで乗れるようになったらいいな。
親子で笑えたてたらいいな。

過ぎてしまえば、あのときは酷かったよねって笑えるようになるのかもしれないけれど、渦中のその時はどうにもしんどい。

子育てって、そんなことの繰り返しだ。

でも、気づかないところで、がんばれって思って見てる人がいるよ。

ワンオペだけど、ワンオペじゃないかもよ。


maman.







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