見出し画像

20220824 ドクメンタ15 クリスチャニア ウジュピス共和国日記

2022/0804木曜 成田空港
夕方、成田発。
アクセスが悪いからだけではなく、できれば使いたくない空港なのは、この成田空港建設のために踏みにじられた人と人の顔を知っているから。
動く歩道の写メを撮って送る。たいてい急いでいる時に使うので、写真を撮ることは稀。そういえば久々の海外。2019年のインドネシアと中国以来か。


画像15



5金曜 移民スーパー
香港経由でフランクフルトへ。8時着。
ヨーロッパに憧れ等がないため感慨はない。少し頭がぼやけていると感じて、空港ラウンジへ。軽食と充電。変換プラグを回収し忘れたことに、晩気づく。
旅の疲れを考慮し、フランクフルト中央駅近くにシングルをとる。サヴォイホテル。エアコンは別料金。質素、というより作りの荒い部屋。窓を開けて寝る。見下ろすとゴミ捨てスペース。
移民エリア。移民向けのスーパーでパンと水など。Wi-Fiが繋がらないとここがどこでも、自分がどこに居るのか、少なくとも物理的にはわからない。自分を定位する必要がある場合には障害となる。
Forensic Architectureという鑑識リサーチから社会介入まで一気通貫で行うコレクティブの展示へ。
https://www.fkv.de/en/exhibition/three-doors-forensic-architecture-initiative-19-februar-hanau-initiative-in-gedenken-an-oury-jalloh/
リサーチの量に圧倒される。その解釈はなるべく打ち出さず、情報を可視化し、鑑賞者に委ねるもの。テーマは人種差別。テーマが先に立つのがヨーロッパ型らしい。アウトプットは、展示とマイノリティ擁護・権利主張のための国際裁判資料。糾弾するよりも、理想と現実の視差を示唆することで、受取手に考える材料を与えるスタンスは貴重。だから凡百のアート系やアクティビズム系コレクティブよりも自然と目立つこととなる。別作品はまた後日ベルリンにて。
デュシャン回顧展@MMKは会場まで行って観るのをやめる。今の自分に必然性を感じないから。美術館の外階段に地元のティーンが座ってダベる。自分も似た気分。電動キックボードが行き交う。乗り捨てられている。

画像7


6土曜 ドクメンタ入り
9時、時差ボケの松永美穂さんと駅舎でお茶。全く寝られず、いつも3日間は調整に費やすとのこと。自分はほぼ回復。お互いにマスクをしているからすぐわかった。通りにマスク姿はほかにない。何を話しただろうか、今後の日程のことか。予想通り荷物が少ないねと言われる。スマホの他はコンデジくらいしか高価なものも持ってきていない。
カッセルへ、ICEで12時着。「ドクメンタ15」は、現代アート界で5年に一度の国際フェスティバル。今回はアジア初、個人以外としても初の芸術監督にインドネシア拠点のコレクティブ=ルアンルパが選出された。ルアンルパやライフパッチなど、彼らに会いに行くために来たということだ。いまはアジアに行くよりドイツに行く方が簡単。他にもグルーバルサウス/南半球のコレクティブが多数滞在するらしい。
駅をおりると個性のない中規模都市の顔。髭剃り4本1€のディスカウントショップ。ここで最終日に直方体のジュースを買うことになる。

WH22にある、ベトナムのニャサンコレクティブ Nhà Sàn Collective https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/nha-san-collective/ の作品兼レジデンスに滞在する。建築家の山川陸さんに繋いでもらった、運営するコレクティブBa-Bauのリンとコーにワッツアップで場所を聞く。さらっと受け入れてもらう。たぶん全然足りない説明。アジアに来たなと思う。
梅昆布茶と風呂敷を渡す。滞在時に何か残していき、それでレジデンスをデコレートしたり金銭に換えてバトンしていくのがこの場のルールらしい。加えて、クィアを含めた安全な場所という意味づけもなされている。トイレやバスの表示もカラフルなもの。用意してきた自分たちコレクティブのステッカーは最終日に貼った。トイレの内扉と、油断すれば閉め出される外扉に。

着いてからしばらくリン達と話をしていたらゲゲールが入ってきた。ライフパッチのメンバー。5年ぶりくらいか。マス、元気?オフクローーース。
そろそろ展示でも行こうかなとこぼすと、チケットは買った?まだならこれ使っていいよ!とアーティストパスを渡される。しばらくリンになることになる。
ドクメンタの会場のなかの、メインのフリデリチアヌム美術館とruruHaus(インフォメーション/カフェ/ギフトショップ等)など、徒歩10分圏内をまわる。特にこの2つの会場が肝ではとあたりをつけていたが、想像通りの作品量と会場の広さに体力を奪われる。とはいえ内容に対する驚きはない。むしろ、コレクティブという概念を欧米など初めましての人たちに紹介するものと捉えた。会場にはチラホラ見知った顔。数年前ジャカルタのGudskulで一緒にイベントをしたり。
そういえば、「コレクティブという英語の呼び方は欧米の人らが勝手に付けたものになんだから、付けた人たちにコレクティブとやらの意味を教えて欲しいものだね」とインドネシアコレクティブ第一世代のあるファウンダーが数年前に言っていた。
22時。閉店直前の地元スーパーの殺気と警備員の眼。スーパーへの道すがら、横たわる女性の口と足下からは酒が地面まで流れている。23時、脅迫を受けて中止していた Party Office b2b Fadescha 
https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/party-office-b2b-fadescha/ によるシークレット対話が地下で、ネオンカラーに包まれて。リンとコーは忙しく立ち回っている。休憩の代わりに、名前を聞かなかったか聞いても忘れたクィアアーティスト達と向かった。

画像6


7日曜 ゲゲール
Documenta Halle、Natural History Museumなどをまわる。
夕方前にはWH22に帰ってきて休憩。
リンとコーがいる。昨日ベルリンに9€乗り放題チケットで行くはずが失敗したようで、これからもういちどトライするらしい。短い間だったけどありがとう。またいつでも来てよね。こちらこそ、また東京かベトナムで。じゃあ地球のどこかで、だね。あ、よかったらシーツを洗濯して、終わったら干しておいてくれるかな?もちろんオーケー。
ほどなくして、ゲゲールが発酵料理の実験のためにキッチンに立ち寄る。元々国語と英語の教員。アートはメディアに過ぎない、教育もアートもその意味で「人間」に触れるためのツールだろうと言う。
パウロ・フレイレを手本に母国で点数を付けることを拒絶し、採点する代わりにイラストを描いて返却したそうだ。トットちゃんにも影響を受けたな、とゲゲール。私はデンマークの対話教育やフィンランドのオープンダイアログのこと、そして来月長崎で控える、忘却される歴史をどうバトンするか、あるいはポピュリズム政治が行う歴史修正主義に抗するにはどうしたらいいのか。インドネシアのテンペにドイツのスーパーで買った具材、各国のスパイスを混ぜた揚げたてでまだ名前のない料理を頬張り、そのレシピをメキシコの友人にスマホで送っては、時を気にせず過ごす。
その後東エリアの廃工場会場にて、デンマークのTrampoline house https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/trampoline-house/ の、人々や政府の難民への冷たい対応を可視化した展示や、Project Art Works https://projectartworks.org/the-organisation/ はニューロダイバーシティーをテーマに凸凹な特性を持つ人達と共に作品を制作し、その様子のアーカイブ映像を映す。そして不意を突く日本語。Subversive Film https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/subversive-film/ というフィルムリサーチコレクティブの「東京リール」https://www.tokyoreels.com/ と題された映像に出くわす。元日本赤軍メンバーで映画監督の足立正生氏の、パレスチナ戦線に連帯し制作されたゲリラを追ったドキュメンタリー。長らく散逸したと思われていた映像を託されたSubversive Filmが、修復・デジタル化のうえでアーカイブすると共に行う字幕作成や上映会といった普及・公開活動の一端だった。自分はどこにいるのだろう、なぜ知らなかったのだろう。自分には何ができるだろう、何かできるだろうか。とはいえ8時間ほどある作品を最後までみることは叶わなかった。明日友人が帰るという Jatiwangi art Factory https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/jatiwangi-art-factory/ のLiveにゲゲールが誘ってくれる。ひと通り見終わって出ると、パラソルとカラオケマイクのある交流空間。Gudskul https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/gudskul/ のメンバーと再会。休んでいるとメキシコやLos Angelesのアーティスト達を紹介される。ジャカルタのローカルスポットをマーキングしたGudskulのZINEも入手。https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=1e1A92WI6xgp8HWR7eDSYbYI67dRq0wj_&ll=-6.330385406556696%2C106.82543730000003&z=13

ぼーとしていると、ちょうどドクメンタ折り返しの日らしく、50日記念パーティーに誘われた。いわゆる”パーティ”を好まないゲゲール達は参加しないようなので一緒に戻ることに。トラム駅まで歩く中、車内で、降りて歩く間など、ゲゲールはいろんな人から話しかけられ、話しかける。みな友人だそう。見えない関係の網の目に、ほんの一瞬触れたように感じる。

画像4



8月曜 グッドキッチン
朝、アーティストパスをこれから来る友人にパスしておいてとワッツアップがあり、韓国の子へ渡す。ドアの下とかに適当に返しておいて。たまに使えない場所があるけど、なんとかなるから。WH22をドイツ文学者で翻訳家の美穂さんに紹介。ひとのうちに泊めてもらってるみたいな。ルールの説明されない、持ち寄りでつくってる場所ですよ。
東エリアへトラムで向かう。
16時、WH22で隣のベッドのドーリーが行う、サイアノタイプ体験WSに合流。ゲゲールは共催のはずだが、混ざらずに外から見守っている。平和な雰囲気のなか、ドイツ大手メディアからのインタビュー申し込み。香港のジョン、日系ユダヤ人で柔らかい英語の発音のアーティスト、そしてゲゲールへ。ゲゲールは、あなたはTaring Padiか? https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/taring-padi/ と聞かれて苦笑い、インタビューも断った。他のふたりは、最初にどの立場でドクメンタに参加しているか明確に表明しろって聞かれなかった?まじありえないよねー。どうかわした?そもそも見た目と属性で選んだのが見え見えなんだよねー。
WSはつつがなく終わって記念写真に誘われるが、ゲゲールと私はシャッターを押す側にまわった。機材撤収の段になって、おれらはこのために来てるんだよな?と微笑まれて手伝っていると、これでアキもコレクティブだな〜と腰を突っつかれる。機材を何度も道にぶちまけ、爆笑しながら運ぶ様子を英語の得意でないメンバーが撮影している。
気づけば18時半、いつのまにかグッドキッチンに着いていた。ここはメインといっていいフリデリチアヌム美術館の裏口に設えられた、アーティスト宿舎とその外に仮設された共同キッチン兼駄ダベりスペース。昨日は疲れていたから来られなかった場所だ。場を眺めているうちに野菜の下ごしらえに混ぜられ、インドネシアの発酵野菜料理を一緒に作ることになっており、そこらにいた25人ぐらいで食べる。ビールはタイのBaan Noorg Collaborative Arts and Culture https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/baan-noorg-collaborative-arts-and-culture/ の差し入れ。彼らの作品はスケートパークを会場に持ち込んだもの。飲み食いしながら情報交換や歓談。何を真剣に話しているのかとおもったら、karaokeのためのマイクの接続方法。ゲゲールは料理番長のようになっているが、馴染めづらそうにしている顔を見つけては声をかけていく。料理も他に得意そうな人を見つけてパスする。彼がGudskulやルアンルパのメンバーなどを紹介してくれ、非公式の拠点交換話や連絡先の交換をする。持ってきたQRステッカーが役立つ。どうやったら東京に泊まれるんだい?友達だったら。うん、もう友達だから歓迎するよ。22時を過ぎてようやく暗くなり始めた道を歩いてWH22へ帰る。

画像7




9火曜 アフタードクメンタ
10時、アフリカの低予算映画とメイキング、自然史博物館、WH22など。
完全素人の低予算映画の製作を通じてある種のコミュニティと帰属意識が作られていく。プロフェッショナル・アマチュアとでも言いたいような態度を作品として展示する。荒唐無稽なストーリーに笑ってしまう。現実とそう変わらないから。自然史博物館はリサーチ型で情報重視。WH22は住んでいるので、これまで作品として捉えていなかった。だがレジデンスの奥のベトナムの庭に移民の記憶と植物の種で庭をつくった空間、その静けさ、誰も座っていない小さなイスは、この肌に触るものがあった。マラケシュの LE 18
https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/le-18/ は、自分たちの営みをドクメンタの形式に合わせることは困難だと表明し、話し合いのための空間と2人だけがみられる映像アーカイブブースが置かれている。グローバルサウスを中心とした複合コレクティブとも言えそうな Arts Collaboratory https://documenta-fifteen.de/en/lumbung-members-artists/arts-collaboratory/ の展示は不思議と印象に残っていない。渡独前にルアンルパのメンバーでもあるバルトからおすすめされていたのだが、自分にとってはこのドクメンタ15の、ルアンルパ言うところの「Lumbung inter-lokal」を一回り小さくしたフラクタル的な存在感として捉えたのかも知れなかった。むしろ帰国後にArts Collaboratory のリリースした「We're (Un)translatable: Collective sense-making on Arts Collaboratory Experiences」というオープンソース資料の方が気になる。 https://archive.org/details/arts-collaboratory-were-untranslatable/page/n27/mode/2up

14時、ruruHausでドクメンタのキュラトリアルアシスタント・今村宙幹さんとコーヒー。会うのは数年ぶり二度目。多忙らしく、昨日の約束が滞在最終日の今日に流れた。呼び出しの電話で何度かブレイク。彼に連絡をしようと思ったのは、2日前にここruruHausで偶然、ドクメンタ15のビジョンについての彼の率直なプレゼンを聴いたためだ。そして今改めて、対話、同意するためでなく、隣り合うための、その必要について。そこから、アフタードクメンタこそが肝心、ドクメンタの西欧による免罪符的政治利用への警戒、ルアンルパの利用されるリスクにも胸を開いて接する態度について態度を交換する。
コレクティブを自分で立ち上げる気はありますか?
いや実はゲシュタルト崩壊してるんです、コレクティブのことがよりわからなくなりました、むしろある瞬間、そう感じられたその時そのものがコレクティブなのかもしれませんね。今は自分を見失わないようにいるので精一杯で、こうした対話の時間がとても貴重なんです。
だったら、落ち着いたころ、ドクメンタが終わってからまたコーヒーでも。対話の本の読書会でもしましょう。Writing without teachersっていう本があるんです。ひとりで読書会はできないですから。
夕方、WH22でゲゲールと美穂さんと日本的な雰囲気の料理をつくりながらダベる。その後グッドキッチンへ。余った寿司とわさびを差し入れると、お返しのように発酵果実酒のちゃんぽんをすすめられ、ぐらぐらに。昨日ともまたメンバーが少しずつ入れ替わっている。新たに来る者、次の場所に移動する者と。ゲゲールに、そろそろ、と伝える。セルフィーは大事だろとウインクが返ってきて一緒に撮影する。マス・ゲゲール、またジョグジャか東京か地球のどこかで。帰り道、木と大きな石に通りがかって思い出す。ある有名なアーティストが、昔みんなで置いたやつだよ、自分はそれぐらいがちょうどよくて好きだな。たしかゲゲールはそう言った。

画像8



10水曜 ベルリン監獄記念公園
朝、誰も居ないレジデンスとWH22奥の庭を撮影。ステッカーをいくつか机に置いて出る。朝はほとんど人がいない。干しっぱなしだったシーツがなくなっている。ゲゲールがとりこんだんだろう。そう重くない荷物をもち、ドアは後ろ手に少し開けたままにしておく。

ベルリンへ向かう移動日。8時、ICEをキャンセルされる。1時間後のを買い直す。ホームに列車が来ない。四角いジュースを買ってぼーっとしていると、とまっていた別列車のドアが開き、美穂さんに声をかけられた。同じ列車を予約していたということで、ハノーファーまで一緒に行くことに。ハノーファーへ着き、最安の列車=Flixtrainに乗り換えようと駅に向かうとバスしか並んでいない。バスに乗り換えるようだ。どおりで安いわけだ。途中、山火事の影響で迂回し遅延。ベルリン中央バスステーションは中央部でないので、中心部まで切れ切れのWi-Fiを頼りに移動。ベルリンも28度あって暑い。駅からドミトリーまで、緑とホームレスが点在する通りをいく。機械的なホステル、速射砲のような受付の英語。ベルリンに2日居る気が萎んでいった。
地元スーパーへ。ラップサンドを買って公園で食べようとドミ近くの公園へ。整然と区画され、やけに溝が多く湿り気のある空間。ぐるっと一周すると門がいかめしい。「監獄記念公園」という案内板。朝夜は人が入れないらしい。ここで食べるのはやめた。ヒップなドミの隅でスマホを充電しながら、2日間予約したこの宿は1日でいい。明日の夕方コペンハーゲンへ向かうことにする。

画像15




11木曜 ベルリンビエンナーレ
荷物置きとしてドミを使う。美穂さんと合流。ささくれが伸びて痛いので爪切りを借りる。そのまま目当ての ForensicArchitecture が観られる2会場をハシゴ。際立つ。「cloud 」という作品ーダブル/外からのそれと主体として経験するものとしてのそれ。問題の糾弾ではなく、二つの間の視差からアプローチそのものを導き、裂け目に手をかける端緒を創る。
https://12.berlinbiennale.de/artists/forensic-architecture/
https://forensic-architecture.org/investigation/after-cloud-studies/
http://bbca.chavalarias.org/
ハシゴ途中、会場併設のレストランでカレーソーセージをご馳走になる。日陰の席を選ぶと変人と思われると聞き、日陰にする。カタログはドクメンタ同様セミの抜け殻といった内容。各々の作家がQRコードや自サイト上へ誘導し、作品の詳細をアーカイブする理由がわかるもの。中央駅で美穂さんと別れ際、これから北欧へ渡ると伝えると薄手の上着を貸してくれた。どこかで役に立つだろうか。
テーゲル空港が廃止されてできた幻のブランデンブルク空港へ。やたら広く、2時間前に着いても危ない。隣席のカップルは足下に猫かごを置いてCAと揉めている。コペンハーゲンも、21時を過ぎても明るい。清潔な中心街のドミ。おなじみ大衆スーパーチェーンALDIのラップとビールで夕食。



画像14



12金曜 コペンハーゲン
王立図書館のカフェにて、コーヒーとクロワッサン、美味しかったので隣のテーブルの残りも少々頂く。動きたくなくなってメモ帳を取り出し、1週間ぶりに何か書いてみる。
私からすれば暑いだけだが、ここの人は皆必死に太陽を浴びにいっている。夜も頑張ってビールを飲んで、遅くまで騒いでいく。光に吸い寄せられた蛾のように。耳栓をしすぎて耳の穴が痛い。スマホで道を調べすぎて目が疲労した。紙の文字はほとんど読まない時間。美術作品は見飽きた。食べ物も、空腹感のシグナルとしての要素が大きすぎ、守らないと怒られる赤や黄の信号のよう。信号は自分で身の危険を判断するための材料としか使用しない私には執着ができない。使い切れない金を持つ者が、仕方なく最も高額のサービス/料理を注文するように。何も頼もうとせず居座り続ける路上生活者のように。眼にはいってくるから作品をみる、喉のほうが渇いたと言ってくるから水を口に運ぶ。今、めという感じを書くことができない。漢字を感じと書いていたのを書き直したのをタイプし直した。書くに値することを判断することが極めて難しいようだ。
13時から、クリスチャニアの住人によるガイドツアー2時間。孫を二人もつガイドの男は自信満々だった。クリスチャニアのドキュメンタリー映画を作ったことがあるらしい。デンマークの幸福度の高さは国民性の程度に比例するものかもしれない。移民に冷たい点は日本と同じではある。ドクメンタのTrampoline house コレクティブも同じ問題を指摘していた。ともあれ、3時間も滞在すれば十分と感じた。大麻合法もデンマークに対するオルタナティブで、アンチ消費主義も同様。完全な対極へ振れるオルタナティブは、機械化された野党のようで灰色の深みが足らないのだろう。光の裏の陰、そういえばガイドツアーは日陰を探して休み休みというように行われた。なんとなく、だが完全に、もう十分だと感じた。
デンマークデザインミュージアム。移動だけで汗が噴き出す。カフェを見つけ、中に入らずその外の庭の小さな白のイスに座って小休止。キレイな側はもう見た気がした。絵はがきを買おうとして現金を出すと、クレジットカードは無いのか。微かな表情が言っている。


画像13




13土曜 ノアブロ地区
コペンハーゲンの北側、移民の多いノアブロ地区のドミにいる。アーバンキャンパーホステルというが何のことはない、ビル内がテントで区切ってあるだけ。そのベッド上段。
11〜13時、スーパーキーレン https://sotonoba.place/superkilen
日本の巨大黒タコ遊具が人気。子供らがぶら下がっている。ひたすら歩く。1760年頃からの霊園に吸い込まれる。ピクニックしている人、途中の原っぱに水着で日焼けする人。どうやら昨日からデンマークは、河川水泳解禁日。北欧の短い夏は、日光を求める花も顔負けに、人が剥き出しになっている。そしてあすの日曜は、至る所でフリーミュージック・ギグが開かれると宿の黒板が言っていた。夜22時とかから。酒を飲んで。騒いで。私はといえば、スマホで調べ物ばかりしているー帰国前のPCR 検査と陰性証明の受け方、次の宿、リトアニア国内の移動方法、帰国以降のイベントのブレストーそれもアーカイヴ的なノンクロン雑談会になりそう。今日はスーパーキーレン周りとひげ剃りを買うだけのことで10キロ歩きましたよと表示されていた。


画像12




14日曜 歩くことと情報
チェックアウト後、宿のイスに荷物をチェーンロックで繋いで外出。
行きたいところなどはなからないので、近いところから歩いて行く。
行き当たった市立博物館。そこで、昨日の霊園はペスト流行による犠牲者の埋葬を契機に作られたと知る。情報が感情を喚起する。先ほどまで泊まっていたノラブロ地区の歴史も知った。スーパーキーレンは、子供の遊び場を獲得する「戦い」の産物、警察署を占拠して。いずれにしても戦っていた。なにと?支配や管理の欲望と。博物館の展示が全てではないことを知っている。そう、trampolinehouse経由で。さらに、そして、同様に、また、私の書くことが全てではないことを私は知っている。それはあなたも?
やたらおしゃれなマーケットでオレンジタルト的甘味を買う。近くで見たら側面はチョコの壁だった。口に入れてみるとどうだったろうか。目はつぶっていたように思うがはたして。
空港エリアに移動し、明日午前の移動に備えて個室に泊まる。ベッドがロフトとあわせて二つある。壁が不規則に出っ張っている。何度か頭をぶつける。


画像11



15月曜 カウナスと雲
早めに空港へ向かうが、移動の方法がわからず人に尋ねる。
リトアニアのカウナスへのフライト。カウナスにした理由はヴィリニュスへダイレクトに行くよりずっと安かったから。遅延して着く。
中心街へのバスが来ない。掲示板の文字から推測するに、次便まで3時間あいているようだ。ベンチに座る。何もおこらない。少し出歩く。ヴィリニュス行きのマイクロバスが見つかる。乗らない。中心街のバスまで待つ。そこから列車でヴィリニュスに行けるからだ。もう一等席を予約してあるのだ。すでに出発したが。なにもしない。
メモを取る。物語を読み込まないで景色に触れることは可能か?写真的思考。いや、行為だけが残される?いや、存在したことだけが残される、事実として。だがその事実を認定する者は存在しない。それでいい。いいも悪いもない。
やってきた市内バスのドライバーの男はタバコがよく似合った。時間をかけ、何かを吸っては吐いている。まあ落ち着けよ。そんなことは言わなかったが、何かを制止されたように感じた。だからなのかこちらも早く乗せろとは言わずにしばらく見つめていた。1€コインを差し出すと、ここだ、と小さなテーブルを中指の背で叩いた。レシートのような薄い乗車券を写真に撮った。車窓は既視感が美しかった。当然メカスの撮った映像を重ねて見ている。薄い緑。薄さを見ている。
ヴィリニュス鉄道駅からレイルウェイホテルはすぐそばだった。エレベーターのドアが開くと、ガラス戸がロックされてある。暗証番号の存在は伝えられていなかった。部屋は広く、扇風機が置いてある。スーパーから出てくると、両目とも焦点の合わない男に行く手を塞がれる。フェイントでかわすと、また別の諍いを起こしつつある酩酊者のため警察が呼ばれるところだった。その光景は厚めの雲を想起させた。

画像10



16火曜 ヴィリニュスのメカス
ハレス市場から、ウジュピス共和国へ。
アーティストがつくった非公認のコミュニティだ。当然期待などしていないのだが、ではなぜここにいるのだろう。ひとまず入り口がわからなかった。わかったのは出口を出たあとだ。そんなものだった。
https://yo-hey.info/lithania-life/trip/uzpio/ https://www.boliviacontact.com/ltu-uzupis/#i-9
途中、原っぱと川の公園のベンチで座って過ごす。何度も写真を撮った。結局こういうところに座ることになっている。読書したり、何か書いている人、鴨とアヒル。何も考えなくてよかった。今、オアハカの大木を思い出した。あのときも写真を数枚撮ってそして、撮るのをやめたのだった。
15時、 Vilnius Jonas mekas art centerへ。
こちらも入り口がわからず、ウジュピスのアーティストに聞いてもわからないという。こじんまりした建物をなんとなくノックすると開いて、入れてくれた。メカスアートセンター。静かな空間。迎えられる。日本人アーティストによる、個人映画の父=ジョナス・メカス晩年のたどたどしいインタビュー映像。メカスも母国語でないのと90を越えた年齢のせいか、それとも答えの短さのためか苛立ちすら感じさせる。よかったと思った。何層ものノイズの中、存在が浮かんでは消える。川のそばの高いイス。それぐらいの印象しか残らないエリア。
「コンテンポラリーの声を聞くな。昔の文章を読め」メカスの言葉が響いていた。ヘルシンキに向かう。

画像9



17水曜 タンペレはサウナ
ヘルシンキのドミは二人部屋で快適。朝のサウナ代込み。移動で疲れた翌朝とあって、覗いてみるだけならと思う。服を着ていると先に進めず、部屋に入るともうサウナになっていた。小さいが気持ちがよい。サウナ大臣のような男に話しかけられる。出ると、いいぞ、これをなんども繰り返すんだ。ところで日本に行きたいんだが、日本はオープンか?と聞かれ、入国の話ならルールがいくつかあると答える。
ICで世界サウナ首都を自称するフィンランド第二の都市、タンペレへ。小綺麗でコンパクトな港町。百年を越える公営サウナの営業時間とあわず、おしゃれコマーシャルサウナのKUUNAへ。入り口がレストランと兼用で入室に難儀。あとは楽園。どでかい石の積まれた、薪とスモークの2つのサウナにほぼ独りで。不快でない暑さだが、すぐに大汗。出ると、多数のデッキやブランコがあり、すぐ隣ではレストラン客がランチ。そのテラスから階段が海へおりていて、いつでも安全に浸かることができる。数十分はベンチでふわふわしてから海へ入る。夏なのにかなり冷たい。またふわふわ。他のふわふわをみやりながら時間を忘れる。ふにゃふにゃになったらささくれはすぐとれた。
マーケットで魚料理を頂くが、フライトまでの時間が潰せない。バスで20分強の距離を試しにタクシーで。明らかに人種的マイノリティのドライバーの車。メーターを眺めていると高速でまわる。45€が妥当か判断はつかないが、空港チェックインにはだいぶ早かった。

画像8



18木曜 アムステルダムPCR
10時、帰国のためのPCR検査のため ZuidHogelandplein 1A, 1079RZ, Amsterdam へ。日本用の陰性証明書を依頼すると、24時間以内にメールから取得できるから大丈夫と言われる。適当に歩いて、カフェのWi-Fiで情報収集。目の前のフライヤーでeye film museumの存在を思い出す。人類学博物館はスピリチュアル特集、ボートハウスミュージアムでは住めるボートハウス情報を得られた。かつては住居不足のための苦肉の策だったものが、今では普通の住居よりも維持費を含めると高い。Framer framedはまともな現代アートギャラリーで、ドクメンタ15にも参加作家がいるとのこと。 https://framerframed.nl/en/exposities/expositie-the-silence-of-tired-tongues/
18時、puntWG https://puntwg.nl/en/summaries にて、ウーゴというレジデンスオーガナイザーに横内賢太郎さんから繋いでもらう。puntカフェで待ったが1時間経っても現れず幻の会合に。散歩して帰ると陰性結果がスマホに届いていた。証明書の項目は揃ってるか確認し、Mysosという入国管理アプリの登録を完了。




19金曜 不可視のネットワークの一部へ
朝、フロントで陰性証明書の印刷を頼む。なんでもありのフォンデル公園を散歩がてらサンドイッチの朝食。
13時、eye film museum にて2019/20/21の最優秀映像アーティストの紹介展示へ。ここでもコレクティブが受賞していた。https://www.eyefilm.nl/en/programme/eye-art-film-prize/711147
Karrabing Film Collective https://karrabing.info/ ースマホ等を使用して、即興&ヒエラルキーなく、友達や家族やそのまわりと、自分たちやこれからの世代のための物語を作っている。最近では生まれてきた自分達のこどもらとも一緒に制作。 
Kahlil JosephーAlice Smith の楽曲制作現場を、素材に音と時間を非同期させながら物語的な”終わり”を無くした18分の映像作品。ここでもコレクティブが受賞していた。床に寝転がってみていた。通り過ぎる人、今はまだ通り過ぎない私、等価ではないか? 創るってなんだ。通り過ぎるってなんだ。
ギフトショップで、ワン・ビンの全映像作品のスチール集「THE WALKING EYE」や、https://www.le-bal.fr/en/2022/03/wang-bing-walking-eye
アピチャッポンとKahlil Josephのインタビューが収録されたextra extra magazineを見つけて買うか迷う。https://extraextramagazine.com/magazine/no-9/
フェリー5分でアムステルダム中央駅にもどり、大混乱が予想されるスキポール空港へ早めに向かう。以降、ラウンジ、フライトの遅延とワルシャワ・フレデリックショパン空港野宿、ラウンジでのシャワー、成田空港での各種検査を経て不眠の今に続く。

不可視のネットワーク。それに触れに行く、絡まりに行く、一部となる。
不眠が続く。

画像8




頂いたお気持ちは、今後の活動の原資に致します。