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痛いの叫びは「笑顔」と「寝顔」の花の種。。。

11月27日 
母が亡くなった病院のロビーで
義母が叫ぶ

痛い、痛い、いたっい!

ばか、馬鹿、ばか、バカ!!!

早くして! なにやってんのよ!!!

寒いのよ! なんとかして!!!

いったーーーーーーーい!

義母の声は甲高い。
まるで、キジが鳴いているようだ。
病院中の人が、母を なにか化け物でも 見るように
眉をひそめ 見ている。

今日で2日目だ、病院での冷たい視線を浴びるのは。

昨日、11月26日
朝早く介護施設から電話があった。
義母は黒いものを大量に吐いた、と言う。

11月に入ってから、食事も足らず、足の痛みを訴え
体重が3キロも減ってしまった義母。
おむつ交換を嫌がり、暴言を吐き
身の回りのものを、投げつける。

介護施設からは、指定された病院に行き、
出来たら2,3日は入院させてもらいと頼まれた。
介護施設も限界なのだろう。。。と思った。

病院に向かう車の中で、義母は叫び続けた。
叫び声を聞き
はじめは
痛いんだろうな
辛いのは 
本人しかわからない、、、
と 感情を押せて、何も感じないようにしたが、、、

いったーーーーーーーい、なにやってんのよ
この車、ガタガタ、がたがた、いたいじゃないないのよ===
ちょっと、あんた、聞こえてんの====

と、交差点を右折しようとする瞬間に言われて、手元がぶれた!

私も ハッと して ぐっと 来た!

怒りがこみ上げた。
一瞬、飲みこんだ。
しかし、飲みこみ切れなくて 吐いた。

あぶない! そんな大声をだして!

と私。

すいませんねー、痛いのよ====

と義母。

病院についても大声で痛みを訴えるため、
医師はいきなり
「入院が必要だと思いますが、
 こういう認知の人が来ると困るんですよね」と言い
義母の目を見る事も触診もせず、
PCだけを見つけていた。

ただ、血液検査と点滴をして
帰って良いと言われた。
処置室に義母を迎えにゆくと、黒いものが床に散らばっていた。

何があったのか、病名は何かと聞くと、、
医者が慌てて、出てきた。
急性胃潰瘍と告げられた。

ただ、それだけだった。

悔しかった。。。


介護施設に戻る。

しかし、夜になると、また吐いて、大声をだし
介護施設では救急車を呼んだ。
しかし、救急車が来ると受け入れ先は見つからず
結局、介護施設に義母はとどまった。

今朝になると、また、大声を出し、痛みを訴えた。

今日は、私の母が亡くなった病院に行く事になった。
一年前の9月
母が亡くなる前日にも、義母は体の激しい痛みを訴え
私は、母がいつ亡くなるかわからない中
入院病棟と外来を行ったり来たりしながら
9時間かかって、診てもらったが
原因が分からず、介護施設に送り届けた。

義母の病気は、、原因不明の疼痛。

素人判断だが、、、線維筋痛症ではないかと思う。
しかし、医者にそのことを言っても、相手にはされなかった。

絶え間なく続く義母の叫びを聞きながら

涙がこぼれた。。。

祈りが言葉にならない。。。

母が亡くなる日と同じ道を今、車で走っている
しかし、あの時と同じように祈ることが出来ない。

どう祈ってよいのかわからない。。。

義母を助けて欲しいのか? 私が安らぎたいのか?

義母が元気になって欲しいのか? 私が楽になりたいのか?

言葉ではどうにもならない。。。

うっ、、、

涙がこぼれる。。。

すっ、、、 うっ、、、

背骨に息を感じて運転する。

ただ

ただ

 に。。。

それを、繰り返した。。。

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何が起こったのか、わからないけれど、、、

雲が流れるままにする。。。

そのうち、青空がみえてくる。

体の中で渦巻いたものが、いつの間にかおさまり

息が静かになった。。。

私の母が亡くなった病院には、義母と6時間ほど居た。

痛い、痛い、いた=========い

と叫ぶ母の車いすを押して、廊下を一歩、一歩、歩く

子供が夜泣きをしたときに、抱っこして夜道を歩いたように。。。

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なにが、起こったのかはわからない。
しかし
ただ、今、出来事が起こること
そのまま、、、
眺めるように、その場に、居た。

状況を操作しない。
あるがままに、そのままに。

結局、その病院では入院出来ないが、
若い医師は、他の小さな病院への
紹介状を書いてくれた。

30分ほど離れた病院に着いた。
そこは、さびれた、古い田舎の病院だったが
病院に着くと入り口で、主人が待っていた。

ほっとした。
義母を、車から抱きかかえて車いすに移す作業を、主人がしてくれた。
女一人では、体が硬直した義母を車から降ろし、
車椅子に乗せるのは、至難の業。
私は緊張と不慣れな動きで腰を痛めた。

病院に入ると義母は叫んだが、
院長先生が現れ、声をかけると、義母の声のトーンは
一気に下がった。

医師は義母の顔を金魚鉢の金魚を眺めるように
見つめた
そして、声をかけた

あー、痛いのね。
大変だったね。
大丈夫だよ、痛みをちゃんと見るからね。

医師のコトバに、義母、主人、私は一息をついたのだ。

この院長から、人情が感じられた。

義母はこの医師に対応される度に
声が、小さくなり、、
そして
いたーい、いたーい、、、と言いながら
赤ん坊のように眠った。

大きな赤ん坊。。。

おむつをして、毛布を抱きかかえ、痛い、いたーい、と叫ぶ。

幼子はいつしか、
おむつも取れ、一人で歩き、食べ、しゃべる。

しかし、大人の赤子は、
おむつが取れることも、歩き、食べ、語る
ことは、出来なくなる。

それでいい。。。

そのままで。。。

自然の摂理なのだ。

命は木が枯れてゆくように、枯れてゆく時
痛みもなく、穏やかに、静かに
この世の旅路を終えることが出来る
のを
私は、何度も、その傍らで、目撃した。

義母は旅立ってゆくのだ。。。
それは、義母だけのことではない。
私もいつの日か、旅立ってゆくのだ。

痛い」の言葉の種が蒔かれた時
その種を排除したり、
種を改良しようとすれば
「痛い」の種は芽を出し、根をはる。

しかし、「痛い」の種を

そのままに、そのままに、

見ているよ。

そこに居て良いよ。

そうすると、不思議が起こる、奇跡が起こる

痛いの種が涙を吸って、小さな芽をだす、
それは、小さな花を咲かせる
笑顔、寝顔と小さな花を。。。

#義母 #痛いの種 #ケア #介護 #助死師 #線維筋痛症  



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