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最後の夜 アラスカ旅行記5

いよいよ、アラスカ最後の夜。

期待しすぎると隠れてしまうオーロラとの心の駆け引きをしながら、しばらくダイニングでコーヒーを飲みながら待つ。部屋に戻る。そわそわ。そこにオーロラコールがかかる。来た、だけど少しだけで終わってしまうかもしれない。昨日も見れたしそれでもしょうがないよね、と心の中で保険をかける。でも、期待している。

外に出ると、それまでと同じ遠くの木々の影の上に、緑のオーロラが見えた。

昨日までとは違った。光は力強く、消えてしまいそうな儚さはない。横に縦に、伸びたり縮んだりしながら炎のように形を変えていく。そのうちに、地平線に近いあたりの光がさらに強くなり、緑、紫、ピンクのグラデーション。時々、上に立ち登るように炎が大きくなる。光がぐんと伸びたと思ったら頭のうえ、空いっぱいのオーロラ。カーテンのように波打つ。

宇宙がすぐ近くにあるような感覚だった。地球って宇宙なんだ。

最後の夜に、今までで一番のオーロラを見ることができた。


次の日は、チェックアウトしてから夜のフライトまでの間、買い物をしたり郊外のリゾートまでドライブしたりして過ごした。トイレに入ったらオーロラの写真が飾ってあり、まさに昨夜見たオーロラのような写真だった。重いから持って行かなかったカメラ、やっぱり持ってきてちゃんと写真を撮ればよかったかな、と思ったけれど、この目でしっかり見れたのだから、よしとする。一日、昼間のないアラスカの朝と夕方の空の色、冷たい空気を堪能した。

帰りの飛行機で、窓の外にオーロラが見えます、とアナウンスがあったけれど、オーロラの見える窓側の人たちは興味がないようで、窓も開けてくれなかった。そんなものなのか。隣の席の、同じくアジア系の女の人と思わず顔を見合わせてしまった。

正直な気持ちを書くと、圧倒的な感動、これ以上のものはなかった、最高!というよりも、もっとすごいもの、美しいものも見てみたい、という気持ちがどこかにある。あんなにすごいものが見られたのに、なんてことだ。一番の目的はオーロラだったけれど、アラスカの空気、景色、まるごとすべてがすてきな思い出になった。帰りにまた寄った明け方のシアトルで、薄暗い中パイクプレイスのスターバックスで飲んだラテも、飛行機の中から見下ろした一面の雪景色や流氷も。気だるいコインランドリーの待ち時間も、行くところがなくて寄って、時間をつぶしたダイナーも、スーパーで落とした帽子を誰かが拾ってサービスカウンターに届けてくれたことも。

だから旅って面白いと思う。行くまではこれを見る、ここに行く、と決めていても、それ以外の美しいものや、小さな出来事の積み重ね、何よりその場所の空気がすべてかけがえのない経験になる。


私が書いている間にお昼寝から起きた息子が、風に揺れる洗濯物を見てにこにこし、ぐふ、へ、へ、と笑って、またこてんと横になる。愛おしいこのひとといろんなところに行ってみたい。いろんな景色を見せたい。


いつでも好きなところに自由に行けるのが当たり前の世界に、また戻る日が来ますように。




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