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2.「カタリ派の伝統では、誰もが働きます。“労働”自体が “サクラメント(宗教的儀礼)”にあたるのです…なので、 司祭が人々からカネを受け取って生活するようなことは、ありえません」「メドベッドとカタリ派 」(クリフ・ハイ道場: 2022/5/6)

Eriさんのサブスタック.ニュースレターより、「メドベッドとカタリ派 」(クリフ・ハイ道場: 2022/5/6) No.2を共有させて頂きます。

2.「カタリ派の伝統では、誰もが働きます。“労働”自体が “サクラメント(宗教的儀礼)”にあたるのです…なので、 司祭が人々からカネを受け取って生活するようなことは、ありえません」
「メドベッドとカタリ派 」(クリフ・ハイ道場: 2022/5/6)

カタリ派の歴史の大部分は偽りであることを、心に留めておいてください…なぜならそれは、カトリックのキリスト教徒の視点から書かれているからです。 そしてその視点によって、それは何千年にもわたって汚されてきたのです。カタリ派の歴史は600年代までさかのぼり…迫害が始まったのは800年代で、それ以来ずっと苦しみ続けてきました。

そして1200年代初頭、カタリ派はテンプル騎士団によって酷い目に遭わされました。

フランスのカタリ派は、フランス北部の村の遺跡の少し先まで広がっていました。それは、オランダとの国境に近い場所で…正確にはロレーヌ川の上流に遺跡があって…このあたりはオランダのすぐ横で、低地になっています。

とにかく、母の一族はそこから追い出されて…..父の一族のほうは、1100年代後半にイングランドとスコットランドから追い出され、アメリカに来ましたが、当時のイギリスはフランスと戦っていたため、母の一族はイングランドへの入国を拒否されました。

この時、イギリスがテンプル騎士団と問題を起こしていたいっぽうで、テンプル騎士団はカタリ派と政治的、経済的に様々な形で同盟を結んでいました…..宗教的にではありませんよ、カタリ派は決して十字軍に参加しませんから。そのようなことは、グループの倫理に反していたので…..。

このことは、十字軍を立ち上げようとしていたフランス人たちにとって、とても大きな問題でした。そして1200年代に、カタリ派を殲滅するための大規模な聖戦がおこなわれ、カタリ派は、約120年かけてフランスから追い出されました。これが “カタリ派の追放”として知られているものです。これは基本的には、あるキリスト教のグループが、別のキリスト教のグループであるカタリ派に対しておこなったというものです。

その当時から…あるいはそれ以前からも、彼らはすべて基本的に同じ宗教で…イスラム教でいうところのスンニ派とシーア派のように、異端の宗派とみなしていました。スンニ派とシーア派は互いに争ったり意見が合わなかったりしても、お互いにイスラム教徒であることをある程度は認めているのですが、この場合は、キリスト教徒の中のカタリ派に対し、ローマ法王が「カタリ派はキリスト教徒ではない」と宣言したため、十字軍が結成され、フランスからカタリ派が追放されたというものです。

今話しているのはおそらく、100万人の4分の3近い中核的な人々のグループをヨーロッパから移動させる話で、25万人がフランス南部のいくつかの地域に移住しました 。わたしの母方の遺跡は、カタリ派の居住地域の最北端にあります。

カタリ派は戦争をする民族ではありません.....彼らは自己防衛のために謙虚さを保っているという意味で、攻撃的ではなく、決して人さまの領土を征服しに行くことはありません。

カタリ派の中心的なものの1つは “各々が働く”ということです。 カタリ派には “パーフェクティ”と呼ばれる、司祭に当たる人たちがいて、その “パーフェクティ”になる途上にいる人たちを “クレデンテ”といい、これは “クレデンシャル”と語源が同じです。 “クレデンテ”は、 “自分の価値を証明する人たち”のことです。

しかしここで重要なのは、カタリ派の伝統では “誰もが働く”ということです。“労働”自体が “サクラメント(カトリックの用語で、教会で執り行われるキリストの神秘を目に見える形で現在化する特別な儀礼)”にあたるのです…なので、 司祭が教区の人々からカネを受け取りその寄付金で生活するようなことは、ありえません。


カタリ派の組織構造では、皆が働いています。公共の利益のための寄付には、他に仕事のない人を支援することは含まれません。ですから、わたしたちが通常考えるような、いわゆる “司祭”は、カタリ派には存在しません。なぜなら、教義そのものがなく、そのレベルでの成文法がなかったからです。ある種の儀式などはありましたが、カテキズム (キリスト教の教科書)のようなものはなかったのです…..なのでとにかく、物事に対するアプローチが違うし、伝統も全く違うのです。

カタリ派は、”旧約聖書はエッセネ派のヨシュアとは関係がない”と知っていました。だから、ヨシュアを“エッセネ派のヨシュア”として認識し、”ジーザス”とは呼ばなかったのです。


とにかく…..カタリ派は “労働者”として、自然に物を作りました。

つまりこれは、”エネルギーが富を生む”ということであり、労働して何かを作れば、その作ったものから様々な利益を得ることができる…ということです。


3.「旧約聖書のほとんどの本には、悪魔についてが書かれていました。旧約聖書とは単に、ヤハウェという宇宙人を相手にしていたイスラエル人の家族の歴史だったのです」
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