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相手にしたことは自分に返ってくるよ。は、真理?

子供の頃、親から「自分が相手にしたことは、嫌なこともいいことも返ってくるよ。」という風に教えられていて、ふとした時にその言葉を思い出す。

タイトルに掲げた「相手にしたことは自分に返ってくるよ。は、真理?」という問いに対しての私の持論だが、「YESでありNO」である。

私は昔、元恋人が入院したにもかかわらず、何かしら理由をつけ一度も面会や見舞いに出向かなかったことがあった。その恋人に対しては、入院する以前から、彼の行動が理由で恋人としての気持ちが切れていたのだが、それを差し置いて、何かしら行動すべきだった…と、ふと時間ができた時に悔いていた。

それから7年以上がたった。

突如、私にも入院の機会が訪れた。内臓系の機能障害で、幸い手術などは無かったが、期間は1週間で、毎日点滴や採決、検査の予定がびっしりだった。
入院部屋について、個室と大部屋(4人)と選択できるのだが、個室は別料金(保険ではカバーされない差額)が発生し 4,000~ 16,500円/日にもなるというので、大部屋での入院を選んだ。
病棟には内科から来た患者が集まっており、私のような20代の若者が入院するのは大変珍しく、看護師さん達が驚いたらしい。同室の患者さんたちは少なくとも50代~80代という感じであった。

私の入院生活では、点滴、採血を通し腕の血管を幾度となく針でぶっさしていくのだが、同じ個所を何度も差すこともあり、痛みと恐怖、諦めで精神的に少し参った。
が、しかし、何よりも辛かったといえるのが、隣の患者の放ついびきやうめき声だった。
毎夜、21:00に消灯し、病室の電気が消えるのだが、0時以降就寝が常の私は寝つきが悪かった。さらに、10分後には隣の患者は眠りにつくことが出来るが、病気の都合上なのか、「この息の吸い方だと、死んでしまうのではないか」と不安になる音を出し始め、次第に大きな猛獣のような音量のいびきに変化し、少し経つと痛みか苦しみにうめき声をあげる…というサイクルを繰り返し続けた。
耳栓代わりにノイズキャンセリング機能付きのイヤホンで「眠れるノイズ」「眠れるショパン」「英語のラジオ」などを聴きながら眠る戦法で、無事成功し眠りにつける日もあれば、数時間〜5時間ほど苦しみ、眠れたが翌朝はひどい頭痛と倦怠感に襲われる…といった状況だった。
隣の患者のノイズに苦しめられている間、私は7年前の元恋人のTwitterのつぶやきを思い出していた。「同じ部屋のおばあちゃんがうめきながら夜徘徊しているのが怖い…」といったぶやきだ。当時目にしても、私は1ミリたりとも気にしていなかった。
だが、今回実際に入院してみて、様々な憶測が頭を巡った。20歳を少し過ぎた若者が、骨折で入院する、というのはとても珍しいことだったのか?彼も予算の都合上か選択の余地なしで、大部屋に入っていたのか?周りは衰弱した高齢者の方ばかりだったのか?入院生活で時間があって退屈じゃなかったか?(電話の1本でもしていれば…?)、共同生活者のノイズに随分と苦しんだのではないか?などなど。
そんな思いを巡らせて、私は初めて涙が出た。後悔の涙だ。
どんな理由があろうと私は彼を労ってあげるべきだった。自分はなんて非道で人としてあり得ないんだ。そんな思いが溢れた。

私には今恋人がいる。その恋人は、入院初日に大慌てで病院まで駆けつけ、生活に必要と思われるもの、私の好きなフルーツやその他飲料食料を買ってきてくれた。
その彼が、一度も会いに来てくれなかったら、私はどう思ったのだろう。

「相手にしたことは自分に返ってくるよ。は、真理?」か、よく自問自答することだ。今回の件に関して、自分が入院して苦しい思いをしたが、返ってきたというより過去の行動を回顧させる体験となった。ただ、もしも今の恋人が一度も会いに来てくれなかったら「あの時の自分の行動が返ってきたんだ…」と思ったりもしただろう。

自分が相手にしたことや、自分の日頃の行いについて、理論上、自分に跳ね返っては来ないと思う。けど、うしろめたさが強すぎたり、これだけやったんだから返ってきてほしい、と見返り精神が強すぎたりすると、自分のしたことが返ってくる、と考えてしまうこともあると思う。だから、冒頭の問いに対しての私の答えは「YESでありNO」(※気の持ちよう、考え方によって)という風になる。

今回の体験で学んだことは、罪悪感を感じないような、他人に言っても誇れる行動を日々心掛けようということだ。
そうすればきっと、「あの時ああしていれば…」といった気持ちや「あの時の自分の行動が返ってきてしまったんだ」と思わなくてよくなるのだから。

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