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「たち」札の在原行平と『ちはやふる』の真島太一。天徳内裏歌合の「しの」と「こい」

注⚠️書きたいように書いてるので、『ちはやふる』のネタバレには全く配慮していません‼️
むしろ読んでる前提で書いてます‼️あしからず‼️


『ちはやふる』の主人公「綾瀬千早」と共にカルタ部を作り、彼女を支える幼なじみ「真島太一」の名の由来は、

たちわかれ いなばの山の 峰におふる まつとし聞かば いま帰りこむ

(いま別れて、いなばの国へ行くにしても、稲葉山の峰に生えている松のように、待っていると聞いたならば、すぐに帰ってくるよ)

からきてると思われます。
この歌の作者は、在原行平、「ちは」札の在原業平の兄です。

『うた恋い。』では、奔放な業平を心配する実直な兄、として描かれています。
それは『ちはやふる』の千早と太一に、イメージが重なります。才能があり華やかな弟に対して、母違いで身分が低い兄が持つ、相反する感情なども…

また、「ちは」が紅葉の赤を思い起こさせるのに対し、「たち」は松の緑。補色関係が鮮やかなコントラストを生んでます。二人の性格が正反対なことや、補い合う関係性を示してるかのようです。

さて、ちはやふるは『ちはやふる・上の句/下の句/結び』と、三本、映画化されてます。
長い、ながーい原作なので、映画化の際にはストーリーがかなり再構築されてます。そのなかでも、『結び』の真島太一のストーリーには、原作を知る人はみな、驚かされたのではないでしょうか?

あれは小泉監督が「真島太一の担当札は『たち』なんでしょ?」と意識された結果かなあ、なんて私は思っています。原作者の末次先生は女性ですが、小泉監督は男性なので、「映画/ちはやふる」は男性目線、陰の主役は太一、という印象を受けました。

映画は原作とは別ルートのIfストーリー。でもそれは原作の太一の「団体戦の自分は新にも負けない」や、新の「あのチームと戦ってみたい」のセリフを拾ってのことだと思います。

そしてカルタの試合と歌合のイメージを重ねてくるという発明💡ものすごく私好みでシビレマシタ‼️

天徳内裏歌合のことは原作で奏ちゃんが説明してくれてます。修学旅行の時雨殿見学シーンです。また奏ちゃんは、太一を見てると「しのぶれど」の歌が浮かぶ、隠しきれない忍ぶ恋の歌、とも言ってます。

忍ぶれど 色に出にけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

(かくしてたけど、顔色に出てしまったよ。物思いをしてるのかと、人が尋ねるほどに)

ロマンチストの奏ちゃんと太一が好きな菫ちゃんには、太一の千早への思いはまるわかりなのに対し、千早本人、机君肉まん君は、直接言われないとわからない、直接言われてもにわかには信じられない、という差分も面白いです。同じ空間、同じ時間を過ごしてるのに、興味関心でこうも物事の捉え方が違うのかと❗️このそれぞれの個性が書き分けられてるところが好きです、末次先生💓

で、「しの」が太一なら、新は「こいすちょう」だよね?と切り返してくる小泉監督の返歌‼️は上手すぎですよね⁉️

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

(恋をしているという私の評判が、早くもたってしまった。人に知られぬよう、思いはじめたばかりなのに)

幼なじみで近くにいるぶん、千早に対してだけ小学生男子のぶっきらぼうさが出てしまい、ずっと恋心が伝えられない太一。(大江さん、花野さんに対してはジェントルマンであります)

一方、二度も人生のカルタクライシスを救ってもらい、千早に対して感謝も尊敬もあり、思い至ったら素直に言葉や行動にする新(そして後から赤面する)
それぞれの歌にイメージを重ねると、より「わかる」気がします。

それにしても、「こい」の歌を詠んだ壬生忠見ですが、「出世をかけた歌合で負け、悶死した」とあります。岡野玲子「陰陽師」では、怨霊になりそうなおどろおどろしい姿で描かれていました。また、忠見の父の壬生忠岑は「ありあけの」の作者です。紀貫之たちと一緒に古今集を編纂していたと、『うた恋い。』にもあります。

身分が低く、歌の才だけに賭けていた壬生忠岑と忠見親子。特にお坊ちゃんな平兼盛に負けて、悶死してしまう忠見には、同情を禁じ得ません😭

さて、アニメ『ちはやふる3』が始まりましたね🙌私はgyaoで観ています📺️
美しい絵に気合いの入った声の演技で、とても楽しみです🎵gyaoでは11/9まで、映画*ちはやふる上の句/下の句も配信してました。


皆さんこの機会にぜひ観ましょう✨

2020/3/22映画「ちはやふる結び」地上波放送\(^o^)/

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