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『ウラ日本文学』を読みながら思い返す『ちはやふる』と『うた恋い。』の場面など

「紀貫之だったかな?」という『ちはやふる』奏ちゃんのセリフ。

ー古今和歌集はその序文で、和歌を詠むことは特別な才能ではない、と宣言しています。

花のもとで鳴く鶯や水に住む蛙の声を聞くと、どんな生き物でも和歌を詠むものである

古今和歌集の編者は紀貫之、奏ちゃんが言ってるのは、つまりこの序文のことだったのか!?

これに続く鎌倉時代の話も面白い。
鶯の鳴き声が「ショヨウマイチョウライ、フソウゲンホンセイ」と聞こえた。
漢字で表記すると「初陽毎朝来、不相還栖」という漢詩になり、読み下すと短歌になった。
初春の 朝ごとには 来たれども 会わでぞ帰る 元の住みかに
このように鶯も和歌を詠む。
住吉では、蛙の通った跡を見ると、文字になっていて、それが短歌として読めたとか。

『正岡子規の紀貫之バッシング!?』

『うた恋い。4』の四コマ『貫之と定家』で貫之が「だけど、正岡子規とキミはムカつく」と言ってます。

ー子規は「歌よみに与ふる書」で、「貫之は下手な歌よみにて、古今集はくだらぬ集」と駄洒落、理屈っぽいと批判。その一撃で古今和歌集の権威は地に落ち、今は人気がないんだとか。

一方、定家はというと、貫之の『土佐日記』を文章を読みやすく改変、文字も誤読しないよう、一字ずつ放す放ち書きで書いた。続けて書く方が美しいという価値観なので、四コマの貫之は「汚ない字でコピーした」と怒ってるようだ。

『うた恋い。百人一首事始』
定家が毎回言うセリフ「新勅撰集が評判良くないの、僕のせいじゃないのに!偉い人が横やり入れたせいなのに!」

ー新古今和歌集は完成の後、切継(削除や追加)を十年以上もした。

これは定家が怒って、後鳥羽院と仲も悪くなって仕方ない。

その後定家は、出世出来ない不満を和歌に詠んで自宅謹慎に!その翌年、承久の乱で院が隠岐に移されると、定家は許される。

それにしても、政治的敗者なので勅撰集からは排除されたであろう後鳥羽院の歌を、定家は百人一首で取り上げている。色々ありすぎて、愛憎渦巻く二人の関係だが、結局定家は後鳥羽院のこと、認めるべきところは認める、ってことなのかな?

人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆえに 物思ふ身は ー後鳥羽院

これ、定家→後鳥羽院への感情も同じ、って思えるね。いとおしくも、憎くも思ってる、と。

以上、『ウラ日本文学ー古典文学の舞台裏』岩坪健
新典社新書/を読んだメモでした!

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