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GWのお出かけ。安芸灘とびしま海道。

母とおばと瀬戸内海の小さな島の小さな美術館に行って来ました。
GWは毎年、母とおばとお出かけをします。
「今年はどこに行きたい?」と尋ねると、おばがその小さな美術館に行きたいと教えてくれました。

現在の企画展示は『黒の魅力』
色彩が極力抑えられた静かで力強い絵が並ぶ。。。

蘭島閣美術館チラシより

あなたはこの絵を見てどんな『感じ』を受けますか?

子どもを見守る大人の温かい眼差しや、
大好きな大人の元に早く届きたいと身体いっぱい表現している子どもの溢れる気持ちを表現しているのかもしれないと、温かい『感じ』を受ける人もいるかもしれないし、
この絵のセピア色の光景が何だか切ない『感じ』を受ける人もいるかもしれません。もしかしたら、今は亡き母との、もう戻ることの出来ない思い出を表現したのかもしれません。

「色」という情報の少ない絵は、受け手(鑑賞している人)が如何様にでも感じとれる余裕残してあるように思うのです。
人は絵を見ても「ただ見ている」のではなく、自分の『こころ』を通して見ています。
鑑賞とは、自分に照らし合わせて味わうこと、主体的に作品と向き合っていくことなのかもしれないなとふと考える。
「色」の少ない絵は、「わかりすぎなくてOKよ」「あとはあなたのおかげさま」「あなたの『感じ』はあなたのものよ」と相手を信じて任せられているような。。。

現代は「わかるように伝える」ことが大切で、どちらかと言えば情報過多な世の中。情報の多さを処理しきれず疲れていた私の脳みそが、絵を眺めながら徐々に癒やされていく感覚に。

特集展示として、私の好きな棟方志功の作品のお部屋がありました。
彼の代表作、お釈迦様の弟子と菩薩さまの版画の12枚の版画。
小さい頃、母の木で出来た扉付きの本棚から、棟方志功のつるつるの大判の作品集(本)を、「よいしょ」と小さな手で引っ張り出し、絵本のようにたまに眺めていた私。

1枚1枚の作品をじっくり眺め、最後に四方に彼の作品が展示されている部屋の真ん中でじんわり立って眺めていると、小さい頃に作品集をのんびり眺めていた頃の、何とも言えない守られているような安心感を思い出す。
「わたし」と「作品」しか居ない空間。
誰からもジャッジされない、「それでいいよ」作品からそう言われているような。心も身体もほっとリラックスした感覚に。。。

美術館を出て近くの食堂。
人なつっこい豪快な笑顔の広島弁全開のおっちゃんのお店。

「はぁ(もう)、みてたけん(無くなったから)、あるもんで良かったら作ってやるで」と店に入れてくれた。
おっちゃんのオススメは肉らしく、何度も何度も「おいしいじゃろぉ」「おいしいじゃろぉ」と満面の笑みで話しかけて来てくれた。

その食堂には、店とおっちゃんの雰囲気にマッチしない絵が何枚か飾られていた。繊細なタッチの絵。
帰り際おっちゃんが
「こりゃ(これは)全部わしが描いた絵なんで。個展も開いたんで」
と教えてくれた。

美味しいご飯が作れて、色々な人を楽しくするおしゃべりが出来て、ご自身の別の一面を絵で表現できる、おっちゃんはすごい!おっちゃんは天才だ!と驚いた。

どう感じるかはあなた次第、だけど私はあなたとの出会いを待っている。
目にも心にも留まらなくても、それもまとめてあなた次第。
だけど私は感謝する。
あなたとの出会いに感謝する。
棟方志功の菩薩さまのようなおっちゃんに出会えた、心もお腹も大満足の日帰り旅行の思い出に。

もちろん・・・。
母もおばも大満足。親孝行をさせてもらえた幸せな1日でした。


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