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むなしさの源泉を辿る旅⑦

 ならば、LSPはLSPでも、その想像の中身をポジティブにするトレーニングならもしかしたらできるのかもしれないと思った。ネガティブだって想像にすぎないのだ。いやまてよ、でもネガティブさも先天性ってこどあるのだろうか。わたしの優秀すぎる扁桃体が、全てをネガティブに捉えないと気が済まないのかもしれない。ポジティブにとらえたら死ぬ可能性があるから、いつだって最悪の可能性を想像したくてたまらない、それは生きるため!茂みからカサカサと音がしたとき、推しのキムソクジンかもしれない!って思うより、クマかも!死ぬ!って敏感に恐怖を感じて逃げればほんとにクマだったときの生存率が上がるわけだから、ビビりでネガティブなほうが生き残り、現代まで繋がれ、こういうわけでいつだってネガティブ思考なのかもしれない。それはある。だとしたら根本からポジティブになるってのは無理そう…無念。
 このほかにもわたしは、これから他人の気持ちが少しでもわかるようにトレーニングを積んだり、「ふつう」が理解できるよう場面を暗記すべく様々なコミュニケーションの場に出て修行するというようなこともしなくていいと思う。おそらくこれも特性で、「ふつうのひと」に比べて扱いづらかったけれど、きっとだからこそ感じられていることや、だからこそ処理できる情報が、だからこそたどり着ける何かあるのではないかと思う。「ふつう」にしようとしてきたから苦しかっただけだし、まわりも「ふつう」の枠で見られていたから扱いにくかったのではないか。わたしは集団の中で仕事をすると、そこに適合しようとすることだけですごいエネルギーを消費してしまう。そしてうまく適合できない。それならば、集団の中にいなければ、めちゃ何らかのパフォーマンス発揮できるってことやん!一時期テレワークが認められていた頃、数日間自宅で仕事をしたら死ぬほどはかどったし、何時間仕事をしても苦ではなかったことを思い出した。やはり、集団が、集団がわたしのパフォーマンスを下げているに違いない。状況され整えばきっとやれるのだ、わたしは!そういうわけで、一刻も早く集団から抜け出し、そうすることでこのむなしさ、いわゆるうつっぽさから抜け出すことができるのか実験してみたいと思います。適合することにエネルギーを使うより、特性をどう活かせるかに使いたい。むなしさの源泉には辿り着いたのか?それはなぞだけど、ここに辿り着いたのでそれはそれで。

といわけで、ポメラを購入したのでひたすら打ち続けてみました。小分けにして公開しましたが、7000字の文章がずるずる出てきた。こういう、垂れ流し文章を書くことをジャーナリングだとか書く瞑想だとかいうんだそうだ。たしかになんか垂れ流しているうちに、なるほどそういうことかって何度も思った。そしてここにたどりついた。すげえ、書く瞑想!これを公開するのは正直恥ずかしいし、人に読んでいただく文なのかと問われればそれは否と即答せざるを得ないのだけど、わたしみたいな感覚のひとって絶対いるだろうから、ここに残しておくことにします。誰かの役にたてば幸い。ではまた!

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