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おとうさんのありかた検討会

理想の母親がどんなもんだか知らないが
わたしは理想の母親ではないとおもう。
片付けができないし、お金も管理できないし、人付き合いができないし、夜なべして手袋編んでやるスキルも根性もない。

さらにいうと、理想の妻がどんなもんか知らないが、理想の妻でもないとおもう。
片付けができないし、お金も管理できないし(それはもう聞いた)、夫の好みを把握していないし、ネクタイを結んでやれないし、酒のつまみも作ってやれない。

そんなわたしに言われたくないだろうが、夫に対していっちょまえに不服申し立てたいときが多々ある。
たとえば、だいたいのことについて、わたしが提案し、夫が承認するというスタイルになっている。わたしの提案に対し、ものすんごい上から目線(に感じる)ことばでダメ出ししてくることもよくある。
それから、自ら動かない。助けを求めないと助けてくれないし、頼まないとなにもしない。ごはんをつくり、洗濯をし、子どもを風呂に入れ、歯を磨かせ、寝かせることは、わたしが勝手にやってることで、やってほしいならほしいと言えばいいのに言わずに不満に思われても困る、ということらしい。
ともに考え、ともにやりたいじゃない。ともにふりかえって、ともに次に活かしたいじゃない。夫婦ってのは、ヤメルモキモ、スコヤカナルトキモ、永遠に共にPDCAまわしてく。それが夫婦ってもんだろ?

っていうふうに、わたし勝手に思ってた。って、今日結婚15年目にして気づいた。よく考えたらこれ、わたしの勝手なビジョンだった。おそらくはステレオタイプな夫婦のビジョンを勝手に当たり前のありかたに設定して、そこに協力しない夫に不満を抱いていた。
けど、夫はたぶん、ぜんぜんこんなビジョン見てないから、行動の基準が合わなかったんだ…!
目からウロコ落ちまくった。

夫というひとがおとうさんだからこそ享受できる恩恵があるはずなんだから、それをしてもらえばいいんだ…!わたしって、あったまいー!!

自分ごと、という言葉は気持ち悪くて嫌いなんだけど、とにかく誰にでも、自分たちの問題として捉えることと他人事の境界線がある。地球温暖化とかは、自分たちのことではあるけど正直他人事に分類されている。同じように、自分たちのことだという認識はあるけど主体的に関わらずにはいられないことは全部他人事に分類すると、夫の他人事の範囲がめちゃくちゃ広い。
そのかわり、フツーのおとうさんだったらこうはいかない!という領域が絶対ある。
おとうさんのあり方としては、夫が夫のやり方で子どもたちを想ってればそれでいいんだよな。

そしてそういう領域はわたしにもある。片付けとお金の管理できないかわりに、すばらしい部分があるはずなんです。
だから、トータルでは理想のおかーさんであるっていう結論としておきましょう、今日のところは。

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