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BTSからの儒教からの仏教

本屋に行った時、いつまでも宗教の棚から動かない母を見て困惑した面持ちで中学生の娘は言った。
「…ママ…救われたいの?」

優しい娘である。
本屋に入るなり宗教の棚に直行し、それから隣の哲学の棚と宗教の棚をひたすらに何往復もしている母に、なんかやばいものを感じたらしい。そういえば最近、しきりに仕事に行きたくないと言っている。家事がおろそかで、簡易な食事と散らかった部屋…いや、これは前からだけど、それにしてもやばい、どうしたんだママ!神の声を聞きたいのか!黒魔術か!エロエロエッサイムか…!!
という想いをぜーんぶオブラートに包んでの、「ママ、救われたいの?」です。

多感な年頃の娘に配慮がない行動を反省しました。わたしが血眼になって探していたもの、それはこちらでございます。

でもなかった。ので、かわりにこれ↓を買いました。

さっき立ち寄った本屋であやうくこれ↓も買いそうになった。まあまあまちなさい、わたし。落ち着いて。哲夫は逃げないのよ。哲夫はいつだってそこにいるんだから、そうあなたの中に。

しかしこの般若心経の本は、ぜんぜん売ってない。Amazonで買えばいいんだけど、ちょっとペラペラめくりたいという欲がある。は!これは執着では!煩悩では!

わたしが今仏教にちょっと興味あるのは救われたいからとかではなくて(いや本当はいつだって救われたい。人間だもの。)仏教ってもともとどんなこと言ってたのか知りたいからです。
というのも、わたしはBTSが大好きなので彼らの根幹にあるであろう儒教の思想を知るべく儒教の本を読んだ。彼らを知るヒントが儒教にあると思ったのだ。BTSと言ったら韓国のアイドル!韓国のアイドルと言ったらヒョンとマンネ!ヒョンとマンネといったら儒教!…儒教!!それだ!というマジカルバナナ方式でたどり着いた儒教。さっそく本を買って読んだ。そしたら、あれだった。わたしたちの根幹にあるのも全然儒教だった。
そこからわたしが受け取ったのは以下のとおり。

葬式あるじゃん、あれそもそも儒教だかんね。もともと仏教に葬式とか墓とかないかんね。ブッダはもう一切そういうの言ってないから。骨拾って泣いたりしないかんね。ましてやお盆とか何回忌とかまじでないかんね。わたしのお墓の前で泣かないしそこにわたしはいないし眠ってなんかいないかんね。仏教が中国に辿り着いた時、すでに儒教が高いシェアを占めていて、もうコカコーラくらい占めていて、仏教は自作のコーラ片手に思った。「参入障壁高すぎィ!」そして思いついたのが共通点戦略である。
仏教「…あ、ちょ、ちがうんです、あのー、あれなんす、そうそう、あ、なんかあった気がするー、仏教もそういうのあった気がする、あれだ、あの、ほら、仏陀の弟子が特別な能力で死んだ母親の現況みたら、めっちゃ飢えててごはんあげたよ、それから毎年あげてるよってはなし!あるんスよ!なんか似てるね、俺たち、俺と手組まない?」
中国「👌」
このようにして仏教がアドリブでこしらえた盂蘭盆経という儒教と親和性のある経典エピソードによって仏教と儒教のハイブリッドである中国仏教が爆誕し、それが韓国に伝わり、そのうち日本にも伝わり、日本の土着宗教とも意気投合。なんやかんやあって江戸幕府がキリスト教コワー!ってなって、寺請制度作って全員仏教徒だから無理ってことにしよーってなった。そんなこんなで今に至る。まあようはそういうことらしい。

と、わたしがこう理解したその時、とにかく全ての音が消えて、ものすごい静けさに包まれた。先祖代々の墓や、何年かにいっぺん訪れる気まずい親戚の法要や、「ウチは○○宗」と○○宗がなんたるかも知らんのに言う人々や、お盆のなすときゅうりや、高額で立派な戒名や、骨壷や、葬式のシーンが音もなくフヨフヨと浮かんでは消えた。そして凪いだ水面に、ポチャンと水滴が一滴落ちるように思った。

「いや個人の自由!(粗品感)」

これらを信じるとか信じないとかって、個人の自由なんだ。なんやかんやでガッツリわたしたちの死生観、そこからうまれる道徳や倫理をカタチ作っているものが、その時その時の都合や必要に合わせてカスタマイズされてきた、そうやって変遷してきた宗教なんだ。それは人類がここに至るまで必要なストーリーだった。だけど今はもうこれを信じてもいいし、信じなくてもいい時代なんだ。救われた人もいるだろうし、何かを失った人もいるだろうけど、そういうもんなんだ。ディズニーランドを裏側から見てしまったような、そんな気持ちになった。道徳や倫理がハリボテのように感じられ、わたしを縛り付けていたものは、わたしの考えだったのかもしれない、と思ってよろけた。わたしたちの感情のルーツはここにあった。これを知らずしてわかりあうなんて、多様性だなんて、それは無理ゲー。

そしたらガゼン、いままでの人生でまっったく興味のなかった仏教を知りたくなっちまったってわけです。わたしたちの感情のルーツを知り、納得したい。理屈ではわかるけど、感情が許さない、そんなシーンがいくつもある。空気を読めないわたしは、知識で空気に対処したい。そのためにはいま、哲夫さんのチカラが必要なんです!

トビラよひらけ!

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