J・S・ミル『自由論』その①

こんにちは。ママ小町です。

秋田出身のママ弁護士です。

今日は、J・S・ミル『自由論』の第一章をとりあえず読んだので、その感想を忘れないうちに記しておきます。


超要約すると…

自由って何だろう。

昔は、自由って、権力者の権力を制限することで、

その次くらいに、民衆が独自の憲法を作る、ってのがあったのね。ちなみにこの憲法を作るって結構ハードル高いからね。

しかし、憲法ができちゃうと、次なる段階がやってきて、

民衆が、政治家を選挙で選んで、

そうして選ばれた政治家が、民衆を代表して、統治を行うようになるのね。

そこでどうなるかっていうと、

民衆から選挙で選ばれる政治家が、逆に民衆に隷属しちゃう(少なくともそう見える)ようになるのね。


そうなったとき、何が自由なんだろう?普通に考えて、伝統的な、対権力者の自由ってのじゃなくなるでしょ。

でもさ、為政者も、権力をいざ持っちゃうとさ、選挙で選ばれたとは言っても、自分の利益ばかり図ったり、自分の独自の思想ばかり強制したり、できちゃうようになるわけね。

でも一応選挙で選んでるからね。これに文句を言うのは難しいけど、いざ権力を持っちゃった政治家に対して、それ以外に何もできないっていうのは辛いよね。

だから、

法律と、

世論の力

っていう統制力があるんですけど、

法律は、まぁいいとして、

問題はこの、世論ね。

世論の何が正しいとか、誰にもわからなくない?

自分にしかわからなくない?

「自分はこうである!自分はこう思う!!!」

ってさ。

これをコロナ風に言うと、

「オリンピックはやめるべきである!!!」

みたいな。

それ、ほんとに世論?自分が思ってるだけじゃないの?

・・・ちょっと意地悪なこと言ったね。まぁ、あなたがそう思ってるってことは、まぁ他の人もそう思ってる可能性あるよね。

でも、政治家を統制する力として、正統性を持ち得る「世論」っていうのは、

「あなた個人」じゃなくて、

「他の誰か」がそう思っている、

っていう他者の視点がないとダメなのね。これが基本ね。

その上で、じゃあ世論を作ってるものって、なんなんだろうと考えると…


これはまた、戻っちゃうけど、

個々人の自由なのね。

「私はこうしたい!こうありたい!」

という自由。

特に、心の中の自由ね。憲法風にいうと、思想・良心の自由。表現の自由。出版の自由。

これが個々人にとって保障されて、はじめて、

為政者を制御するに足る、真の世論が養成されていくわけね。


・・・そんな感じで、とりあえず思想・良心の自由を例に取って、具体的に説明するから、

第二章も読んでね★

続く…!!


以上、第一章の要約でした…

続く…!!かも???



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