コロナと表現の自由

みなさんこんにちは。ママ小町です。

秋田出身のワーキングマザーです。

とある法律関係の仕事をしております。学部は法学部です。


さて、表題の件ですが、

コロナ、ほんとに辛いですよね。

もうみんな、もっと辛いって言っていいと思いますよ。特に貴女。

我慢しすぎてると、(私みたいに)病んでしまいますよ〜〜〜


・・・おっと、言いすぎました。


さてさて、今日のテーマは、

「コロナと表現の自由」でございます。

「表現の自由」って何?と思ったアナタ、

日本国憲法って知ってます?あの、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の、アレです。

その日本国憲法の第21条に、表現の自由が定められてるんですね。すなわち

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」(日本国憲法第21条1項)

この、「表現の自由」は、日本国憲法の保障する「基本的人権」の一つであり、

そして、最重要の権利です。


・・・すみませんね。


まぁ続けさせていただくのですが、

私はこの一年余りのコロナ期間で、

コロナで一番害されている人権は、

この「表現の自由」

とりわけ、「集会の自由」

であると確信しております。


・・・ちょっと説明いたしますと、

まずですね、このコロナ禍で、

「営業の自由」

これが害されていないと思う人は、いないわけです。

「営業の自由」とは、

日本国憲法第22条に定められている権利でありまして、

日本国憲法22条は

「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」(日本国憲法22条1項)

と定めるわけですが、この「職業選択の自由」の一形態として、

好きな職業を選ぶ自由⇨営利を追求する職業を選ぶ自由⇨営業の自由

であるところの「営業の自由」が認められているわけですね。

この営業の自由ですが、

国や地方公共団体の度重なる「自粛要請」、

具体的には

・飲食店は8時以降営業自粛

・酒類提供も自粛

・映画館も営業自粛

・寄席も自粛

・百貨店も自粛

・・・きりがないのでこの辺にしときますけど、

それこそ、

「補償なき自粛は『営業の自由』を害していて憲法違反である!」

といった議論は散々ありましたよね。


それはここでは深く論じるに及びませんが、

私は、一法律を扱う職業人として、

営業の自由に隠れて、実は密かにしかし確実に害されているのが

「表現の自由」であると思っています。

表現の自由は、憲法の一丁目一番地である有名な学説上、

営業の自由よりも、数段上の超重要な権利

とされています。


そのこころは、まぁすごく簡単に言いますと、

営業の自由が害されても、最悪、お金がなくなるだけ

でも、表現の自由が害されると…

「心」がなくなる

のです。


・・・ここまで書いて、このコロナ禍で営業の自由を現に害されている事業者の皆様、まずはお見舞いを申し上げます。決して茶化す意図はありません。

経済が死んだら、心どころか、命自体が危ぶまれますよね。

それは承知しています。


その上でなお、なぜ、このコロナ禍で一番害されているのが「表現の自由」であるといえるのか…

それを一言でものすごく簡単に言うと、

「気軽に飲みや食事に行かなくなって、面と向かってグチを言い合うことができなくなった」

ということです。

もうこれ、本当に辛いんですよ。ここは、説明不要と思います。

最初は我慢できてた方も、

2021年6月現在

もういい加減我慢の限界だと思います。


・・・それで、

なぜそんな、飲みに行けなくて辛い、程度の話が

憲法の最重要の価値が侵されている、という話になるのか説明します。

表現の自由がなぜ、営業の自由を含む経済的自由よりも一段上の権利であるのかというと、

表現の自由、つまりは、自由な言論や、

より集まって話し合ったり、一緒に行動したりすることを保障する権利が害されると、

「社会をよりよくすること」

ができなくなってしまうからです!!

究極論を言えば、

「社会をよりよくすること」さえできれば、

もっと噛み砕いて言うと、例えば(例えばですよ)、東京都の政策をもっとまともなものにできれば

「営業の自由」が害される、つまり飲食店などがここまで長きにわたり自粛を強いられる

ようなことはないはずなのです。

・・・え〜って感じですよね。

でもこれ、大学の、憲法の授業でも、一番最初に習いますから…

公務員試験でも司法試験でもなんでも、これが出なかった年はありませんから(たぶん)…


そんな感じで、

「表現の自由が保障されると、社会がよりよくなる」

のは法学をちょっとかじったことがある人なら、全員知っていると言っても過言ではないでしょう。

それで、話を戻しますと、

今、飲み会できないですよね。

それで何が問題なのか…

飲み会では、グチを言い合います。

グチを言うために飲み会をしているようなものではないでしょうか。

それで、グチ(=よくわからない不満)を複数人で(複数人であることがポイント!!)言い合うことにより、

社会にはこんな不満があるよね

あ、私だけじゃなくて、あなたもそう思ってたのね

この不満は、私だけの不満じゃなくて、社会の不満なのね、と

グチが、社会問題への認識に発展していくわけです。

・・・多くの飲み会は、せいぜいそこで終わるでしょうが、

中には、

じゃあ「一緒に」、この問題のために何かやりましょう

とか、

人が寄り集まれば、行動する「力」が出てくるんですよ。

それが日本国憲法21条1項でも、明文で

「集会の自由」が保障されている所以です。

飲み会、それは小さな「集会」なのです。

そして、「集会」は、歴史上、

政治的な会合へと発展し(パレ・ロワイヤルでの会合など)、

集団の中で、リーダーを育て、

リーダーが演説をし、それに聴衆が熱狂し(テニスコートの誓いなど)

皆でバスティーユ牢獄を襲撃するわけですね!!!(詳しくは、『ベルサイユのばら』を読んでください)


・・・そんな大事な権利である、表現の自由。集会の自由。

某都知事が、酒類提供禁止なんて言ったおかげで…

我々都民の、「飲み会の自由」はこれでもかというくらい、棄損されています。

これはね、私の単なる主観であれば、いいんですけど、

単に、飲み会の自由を封じているんでは、ないんです。

政府打倒に繋がる、

「表現の自由」を封じているんですよ。


・・・って考えすぎですかね!!!

考えすぎであれば、それが一番よいです。

とにかく今は、なんでもいいので、

「グチる場」としての飲み会が

一日も早く復活しますように…🍻








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