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韓国や日本のドラマが見たくなるとき=体力も気力も十分なとき。小説等の読書に没頭したくなるとき=心身共に黄色信号が出てるとき。私にとって読書は心身共に癒される究極の現実逃避の時間。ユートピア。
子供の頃熱で寝込んでいるとき、外から帰宅した父親が、冷えた手で私の額をさわって熱を確かめてくれるのが好きだった。冬だったのか、手を洗ったからなのか、とにかく冷たい手で。冷たくて気持ちいい。気にかけてもらえて嬉しい。そんな気持ち。ふと思い出して、忘れたくないのでここに。
この先一生このアルバムしか聴けなくなっても良い。
虎に翼、面白い。「確実に幸せになるためには頭の悪い女のふりをするしかない」と母親から説得される主人公。エマ・ワトソンの「女の子がやってはいけない一番悲しいことは、男性の為に頭の悪いふりをすることです」という発言を思い出した。
自分の子供を泣かせたくないなと思った。
人生に期待しすぎたり、生きることに意味を持たせ過ぎたりする必要はない。選択肢が多すぎる現代、答え合わせが盛んに行われ、いちいち言い訳がましい。読者に解釈を委ねる、小説くらいのゆとりが欲しい。
今の今まで忘れていたけど、私が卒業旅行でニューヨークひとり旅をしたのは、諸般の事情がありながらも、一番は憧れの人がひとりアメリカ横断旅をしていたからだった。生きていくためには憧れが必要なんだ。久しぶりに救いがない気持ちになってしまったから、小説を読まなくちゃ。
夏は全く読む気がしなかったのに9月に入ったとたんに読書したくなるのはなぜなのか。読書の秋が毎年しっかり訪れる。ザリガニの鳴くところがいっこうに文庫化されないのでもう電子で買って読もうかな。
君たちはどう生きるか
告知無しの公開からずっと見たかった作品。
宮崎駿がやるとこうなるんだなと。庵野秀明がやるとエヴァになるんだなーと。 庵野秀明と比べて宮崎駿は精神的に大人だなあと思った。
個人的に人間の善意と悪意がテーマの時期が自分にもあったから、大切なメッセージを受け取った気持ち。博識な大叔父様がたどり着いたみたいに浮世離れした人になって(出家した僧侶のように)ただ石を詰んで生きる事がいちばん害の無い生き方なの
今私が会いたい人、話したい人は一足先にこの世を去ってしまった人ばかり。これで母まで失ったら私は本当に理解者を失うのだと突然気がついた今日。私にとって夫や息子は頼るべき存在ではなく守るべき存在で、私を預けられる存在じゃない。ああ。過去は取り戻せない。
Instagram至上主義というか、映え至上主義というか。そういうのに疲れてしまってInstagramアカウント停止してみた。他人と比べる必要の無いことまで比べていないか。叶姉妹のように自分の流儀を持って生きれたらいいのに。
子持ちになってからネグレクトに対する認識かなり変わった。愛するのが下手な人ではなく、愛されるのが下手な人が結果ネグレクトしちゃうんじゃないかというのが持論。子供が親に向ける愛情の底の無さといったら親からのそれと比べものにならないくらいよ。愛情を素直に受け取れるかどうかって大事。
図書館の魔女「○ける塔」
図書館の魔女の最新刊「霆ける塔」、、、
ん?すける?じゃないな。なんて読むの、、、
正解は「霆ける塔(はたたけるとう)」Google先生が教えてくれました。
検索するにもまず読みがわからないし、読みがわかっても変換候補に出てこなくて変換出来ないし、新刊情報にたどり着くだけでも一苦労。
(読めなかったの私だけじゃないですよね?)
画像の通り令和元年吉日発行となってた最新刊についてだけど、まほりの
そして月に一度くらいは必ずやってくるこういう切ない気分の時は
「あ、今お父さんが会いに来ているな」と考える。
すると何だかウジウジ考えている自分のことを許せる気がしてくるのだから都合がいい。
私から会いには行きたくないの。だって何かの歌にもあるようにそこにあなたはいないのだから。
これまで生きてきて私が深く関わった人たちは生きることの楽しさよりも、生きることの儚さをその身をもって教えてくれる人たちだったから。宇多田ヒカルと庵野監督のインスタライブで人生の喪失と向き合うというテーマで共感し合ってたのが刺さりすぎてしまって。生きる上での明るさとか強さとかって。