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ケンタッキーと父と時々かっぱえびせん

私がマックを初めて食べたのは中学2年のとき。
ファミレスに初めて行ったのは高校3年の卒業式の帰り。
初めてラーメン屋に入ったのは大学1年の春。

これほどまでに、外食経験がない理由はただひとつ。父である。

いわゆる亭主関白という家庭で、うちの父は外食が嫌いだったため、私は母が作った料理以外、ほとんど食べずに育った。

よく出てきたメニューは、湯豆腐、焼き魚、刺身。お酒のつまみになる和食が多かった。

ほかにも、茹でた山盛りのスパゲッティに自分で缶に入ったミートソースをかけて食べたり、少量の白菜と鶏肉しか入っていない味がしない鍋や、カリカリに焼かれたお肉がメインのすき焼きをよく食べた。

父はお肉の油が苦手で、独特なこだわりが強すぎたため、母はよく困っていた。そして、残念ながら、そのせいで母の料理の腕がまったく上がらなかったことを、私は大人になってから悟った。

毎週金曜日のご馳走

そんな父が、こよなく愛するジャックフード。それが「ケンタッキーフライドチキン」だ。我が家の週末は必ずケンタッキーと決まっていた。

楽しみでしょうがなかったケンタッキーの日!

金曜の夕方は仕事を終えた父が車で帰宅するのを駐車場で待った。父が到着したら車に乗り込み、そのままケンタッキーに向かう。ドライブスルーでチキンとポテトとコールスローを購入したら、次に向かうのがレンタルビデオ屋だ。ここで週末に観る映画を4、5本借りる。

父は帰宅すると、真っ先にお風呂に入る。その間に、母とともにテーブルセッティングをしながら、ビデオデッキに最初の1本目の映画を入れて準備する。父がお風呂から出たら、家族全員で「いただきます」の時間。やっぱり今日もおいしい。ゆっくり映画鑑賞しながら父はケンタッキーをつまみに、満足気にビールを飲んでいた。

飽きもせず、これが毎週つづく。子どもの頃から、何の疑問を持たなかった当然の金曜夜の過ごし方。習慣ってすごい。

はて、”お肉の油が苦手なのに、どうしてケンタッキーはいいのか?”
大人になってから、やっと普通じゃないことに気が付いた私は、父に理由を尋ねた。


父、ケンタッキーと出会う

父15歳のとき。
地元名古屋にケンタッキーフライドチキンの日本第一号店ができた。


『こんなに上手い食べ物が世の中にあるのか』

生まれて初めてチキンを口にした少年に衝撃が走った。


とはいえ、裕福な暮らしだったわけもなく、そうそう食べれるものではなかった。いつかケンタッキーフライドチキンを思う存分食べたい。あこがれは大人になっても続いた。

自分でお金を稼ぐようになり、好きなものを食べられるようになったが、
お店の中で食べることに抵抗があり、簡単には食べに行くことができなかった。壁は厚い。憧れのまま終わるのかと思われた矢先、希望の光が手を差し伸べた!

なんと、『ドライブスルー』ができ始めたのだ。

”ドライブスルーなら、気楽に買って、家で食べれる!夢みたいだ!”

かつて15歳のケンタッキーに憧れた少年は、親になる年にドライブスルーという画期的な方法に救われ夢を叶えた。

…これが我が家でケンタッキーが毎週金曜日のご馳走になった理由だ。

結婚して実家を離れてから10年

ちょうど1年半前、父が脳梗塞で倒れた。

なんとか助かったが、脳の高次性機能が失われたため、車の運転ができなくなった。母は運転免許を持っていない。

車の運転ができなくなってから、父にとってケンタッキーは、いつでも食べられるものではなくなった。

実家に帰るときには母に前もって電話をする。

「何か買ってこうか?」

すると決まって「お父さんがケンタッキー食べたいって言ってるよー」と返事がくる。「またか~」と思いながらも、お父さんらしいなとクスっと笑えてしまう。

はい、もちろん買っていきますよ^^


ところで、ひとつ忘れていたことがある。
「かっぱえびせん」の存在だ。

私が子どもの頃、家にあるお菓子は「かっぱえびせん」だけだった。
父の子どもの頃からの好物で、つまみにも最適だという理由で、常時家に置いてあったため、小学生までは、ほぼ「かっぱえびせん」だけが私の3時のおやつだった。

つくづく、変わった我が家だったと思う。


飽きるほど、食べたな~。
でも、最近食べていないな~。
なんか、妙に気になってきた。

よし、次に実家に遊びに行くときには、ケンタッキーとかっぱえびせんを持っていこう。

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