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働き方改革の障壁「皆勤賞の呪い」

「ただいま~」
今日も夫は、子どもたちが寝てしまってから帰宅する。

教員をしている夫は、朝7時過ぎに出勤し、夜10時過ぎに帰宅する日々を送る。平日は、わが子と接する時間はほとんどない。

教員の働き方改革がメディアやSNSなどで取り上げられるようになって、結構たつが、学校現場(夫の周辺の)では改善していないことを実感する。

しかし、民間企業で働くパートナーを持つ友人と話をしていると、民間企業でも、残業三昧で働くことが当たり前になっているということだった。年休が取れるはずなのに、そのほとんどが使われることなく、翌年に繰り越せる上限以上に残ったまま消えていく…。

その友人は言った。

「皆勤賞の呪いだよ」

身体に衝撃が走った!
どうしてこれまで気が付かなかったのだろう。
本当だ、呪いだ。
私たちは、いつ呪いにかかったのか。
そして、この呪いはどうしたらとけるのか。

「皆勤賞の呪い」とは?

幼い頃、1日も休まず幼稚園や学校に行くと、「皆勤賞」の賞状がもらえた。
みんなの前で、表彰され、誇らしげな気持ちになった。
つまり、皆勤賞で表彰されたり、表彰される人を見たりしたとき、人は「皆勤賞の呪い」にかかる。

確か、高校生の時には3年間皆勤賞で盾をもらったが、
6年間皆勤賞の強者がいて、中学生の時に熱を出して休んだ、たった一日が悔やまれたことを思い出した。

「休まないこと=表彰されること」という感覚が、私たちの中に無意識に存在していたのだ。

義務教育期に私たちは「皆勤賞の呪い」にかかったのだ。

社会に出てからもその感覚が抜けず、年休を使うにも「申し訳なさそうに」使わなければならない風潮がなくならない。

呪いの正体は、「人に迷惑をかけてはいけない」という考え

では、どうして休むことが悪なのか?

それは、小さいころから教え込まれる「人に迷惑をかけたらダメ」という考えにねざしたものではないだろうか。

社会人が休みをとると、その人の休んだ分のしわ寄せが、休んでいない人たちに及んでしまう。だから、迷惑をかけてしまうという考えが「日本人」にはある。その考えをもつ親が、休むのは好ましくないことだと判断し、教育課程にある子どもにもその価値観で接するため、休まないことを評価する方向に進むのだ。

しかし、「休むことは人に迷惑をかけることだから、よくない」というのは、日本独自の考えのような気がしている。

以前、夫がフランス赴任になった友人が、「夫の渡仏の手続きが、相手方のバカンスの関係で遅れている。担当者のバカンスが終わるまで、待っていてと言われている。」と話していた。フランスでは、『担当者のバカンス待ち』はよくあることらしい。さらに赴任後も、「仕事はボチボチでいいからね」というスタンスだったそうだ。

つまり、「休むこと」の捉え方は、国や文化によって違うということである。

「皆勤賞の呪い」を解くカギ

国や文化による違いがあるということは、時代が変われば、休むことの捉え方も変わってくるのではないか。

「皆勤賞の呪い」と解くカギは変化する時代と個人の意識にあると考える。

技術革新・コロナ禍を経て、様々なツールを使うことにより、作業の効率化を図れるようになってきた。

また、若者が就職先を選ぶ際に、「社内の雰囲気」などに続いて「福利厚生」を重視し、「家賃の補助」の他「休暇制度の充実」を基準としているということからも、時代の流れを感じる。

休みなく、心身ともに疲弊した状態で仕事するよりも、しっかり休んで心身の健康を保って仕事をしたほうが、個人にとっても企業にとっても、社会にとっても望ましい。

学校現場でも子どもたちに対して休暇制度を設ける動きがある。
愛知県が行う「ラーケーションの日」である。

「ラーケーションの日」は、子供が平日に、校外(家庭や地域)で学習活動を、自ら考え、企画し、実行することができる日で、「欠席扱いにならず」「年に3回まで」取ることができる。

「欠席扱いにならず」というところに、やはり欠席を悪いことと感じさせる風潮が残っているのかと思ったが、大人でいう「有給=給料が減らない」と同じ扱いだと考えると受け入れやすい。

また、家庭で独自にルールを決めて、子どもに1学期につき1回ずつ「事前申請の休み」を許可しているという話も聞く。

捉え方は自分で変えられる

「皆勤賞の呪い」について、いつかかったのか?どうしたらとけるのか?について考えた結果、呪いをかけるのもとくのも「自分」だという答えにいきついた。

結局は「働き方改革」も「自分」の捉え方を変えていくことでしか進んでいかない。「職場が…」「周りが…」といっているうちは、改革が進んでいくわけがないのである。

「まずは自分から、意識を変えていこう!」

簡単なことのようで、とても難しい。でも、この「自分の意識を変えること」が全ての道の始まりだと思う。

おまけ話

夫の「皆勤賞の呪い」をときたいのだが、難航している。
自分の捉え方は変えられても、人の捉え方を変えることは難しいということを実感する日々である…。

でも、夫が変わらないと夫の学校も変わらない、夫の学校が変わらないと社会が変わらない。

たまたま早く帰ってきた夫に、子どもたちが「パパ~!今日は早いね!」と嬉しそうに飛びついているのを見て、夫の反応に注目している今日この頃である。

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