見出し画像

カミュ『異邦人』を読んで

カミュの異邦人を読んでいるとき、私は常に主人公に対して違和感を感じていた。

もう、主人公の名前も思い出せない。

しかし、最後、主人公が死刑に幸せを見出した時、私はひどく感動したのを覚えている。

私は、この本を読みながら、死刑囚の気持ちというものに思考を傾けた。

狂おしいほどの感情の波を超えて、最後は明るい空、まぶしい太陽とともに大衆の前で命を絶たれることに歓びと幸せを見出す。

私は最終章を読みながら、作者のペンを熱く走らせるのありありと想像できた。

最後の一文を読み終わり、私はひどく感動した。

ただ胸の鼓動と、なにも考えずに白い天井を見つめていたいという欲望だけが私を支配した。

しかし、私は解説というものを読まずにはいられなかった。

解説には、作者の生い立ちと、作品を書くに至った経緯などが書かれていた。

特に、解説の中で私の関心を引いたのは、作品に関する考察であった。

『異邦人』という題名。

我々は生きるために、常に嘘をついていて、真実を突き通して突き通して生きてきた者がこの主人公であり、そのためにこの主人公はこの世界において『異邦人』になった。

私は放心した。

一冊を通して私を責めたてたこの重苦しい違和感の正体を知った。

この暗黙の常識のなかにいる私たちはこの主人公に違和感を抱き続ける。

しかし、作品を読み終わったとき、主人公を愛おしくさえも感じる。

太宰治を思い出した。

この人を好きなってはいけないと思う一方で、病的に惹かれる。

そんな物語をもう一つ知っている。

あの斜陽のなかの上原直治。

愛おしい。


常に感じ続ける違和感に、この異邦人という題名は答えを提示する。

私はカミュを天才だと思う一方で、短絡的だとも思った。

この違和感の正体を私はもっと模索したかった。

どうしてこんなにもこの主人公に惹きつけられるのか。

そして、どうしてこんなにも心の抵抗を感じるのか。

何度も読んで私の心情を確かめたかった。

主人公を愛させる、このカミュの筆椀に私は屈服したのだろうか。

カミュはこの主人公を愛していたのだろうか。

カミュは、この主人公に羨ましさと希望を託したのだろうか。

私が最後のクライマックスで感じた、カミュの主人公への狂気的な情熱は、カミュの現代人としての憧れと希望だったのだろうか。


愛していないのに結婚する。

理解できないようで、私にはこの主人公が分かる気がする。

愛してはいないのだろう。

これがこの主人公の中の一番の正義であり、真実であったと思う。


こんなに訳が分からない人間に、マリイをはじめとする様々なよくもあり悪くもある人間が近づき、彼に魅了されていく。

私は、この物語の中の登場人物の一人なのかもしれない。

恍惚とした調子の文章に引き込まれ、一方で頑として動かない固いものを突き付けられるこの流れの中に我が身を置き、愛し、魅了され、冒されていく一人なのかもしれない。

改めて題名を見る。

異邦人。

以前からずっと読んでみたいと心の隅っこに眠っていたこの三文字は、今や私の中で膨大な情報を伴って重くのしかかっている。

異邦人。

今はもう私にとって異邦人は以前の異邦人ではない。

真実の意味での異邦人に変わった。

カミュは、私の中に異邦人という憧れを作り、違和感を残した。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,141件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?