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13歳年下君と付き合ってみた プロローグ編

10年来の友人との関係の変化

13歳年下君と出会う前の1か月に数回の変化を経験をした。

10年来の友人との関係が、変化したのだ。
彼女とのLINEのやりとりが終幕を迎えた早朝、職場の隅っこで私はぼろぼろ涙を流した。
「あぁ、私は自分でこの関係を変えたのだ」
でも、この関係の変化をしたいと数年前から考えていたのは、私自身だった。それが叶った瞬間だった。
呼吸するだけで流れ出る、力みの必要ないこの涙を止めることなく、拭くでもなく、ただただ流した。

どれくらい時間がたっただろうか、そろそろ準備をしなくては。
徐々に流れていた涙が落ち着いてきたとき、ふと思った。
「あ、わたし、彼氏できるわ。」

今、思い返してみると、その友人と出会ったころ
私たちは青春真っただ中で、恋の惚れた腫れたの話は日常だった。
私自身は、恋はすれど片思い。
両想いの恋、というのもほとんど経験がなかった。
彼女は、とても快活な人でとっても元気がよく、ハッキリものをいう人だった。私は、そんな彼女にあこがれた。
それに、彼女はモテた。モテるといっても、だれかれ構わずというよりは彼女は好かれたい人に好かれる天才だった。

私は、自分の父親の恋愛に振り回された少女期だったので、自分にもその血が流れているのだから、私は自分の中にあるであろう危険因子を発動させまいと、細心の注意を払って恋をしていた。
好きバレなんて、もってのほか。とも思っていた。
大人になって、分かったのだが好きバレしてからが、恋の勝負だった。

過去に行って、その当時の私に教えてあげたいが、聞く耳を持ったかどうかは、70%くらい聞かないに賭けたい。

そんな気持ちがあった、青春真っただ中の拗らせまくっていた私は、人生で経験した告白は、非常に一方的で好きな人を諦めるために思いを告げ、一方的に返事も聞かなかった。
私は、品行方正な恋愛をして、誰も傷つけず好きな人とクリーンな世界で過ごしたかった。

その告白した彼は、私にとってのクリーンな人ではなかった。
とっても人間臭くて、きっと一生懸命だった。
私は、恋で傷つきたくなかったし、漫画のような両想いしか認めない勢いだった。
"そんな私的クリーンではない"ひとを好きになってしまった私は、一方的な告白をして諦めるしかその当時は、方法が見当たらなかった。

かたや彼女は、恋に全力だった。
ボロボロに傷つきながらも、愛を学んでいた。
そんな姿が、羨ましくもあったし、そうなるのが一層怖くなった。

とにかく自信のない私だったが、恋がだめなら仕事!と言わんばかりに20代は、仕事を追求する日々だった。
その中でも、出会いは何度かあり、ワンナイト的なことを数度経験した。
私にとっては、ワンナイトはとても都合がよかった。
致してしまったら、好きになってしまうのが女性の心理だと、心得ていた。
だから、致してしまっても、正気に戻ればいいだけだった。
今思えば、そういった男性はSEXが、とても上手な相手だった。
初体験がよくわからないまま終わった私としては、悦な体験だった。
”SEXは、気持ちのいいものだ”と、このころにインプットされたように思う。

20代後半になり、自分の人生を生きなければと模索し始めたのがこのころだった。
初めて入った会社の仕事や経営理念がとてもクリーンで正直で、大好きだった。その歯車の一つであることが誇りだった。
でも、この仕事は私ではなかった。それに気づいて、退職を選んだ。

その次に働いた会社は、THE日本企業だった。
今まで、上司ともフランクにそして密に話したり、運営するのにも頭をフル回転で働くのが、”働く”ことだと思っていた私は衝撃をうけた。

自分でもびっくりするほど精神不安定になり、退職間際は毎日泣いていた。
一年も経たずに辞めて、辞めたかったのに続けられなかった自分がショックだった。
できなかった自分にショックを受けてとても傷ついた。それから約一年ほど働くことが怖くなって、怠惰な生活を送った。

お金も底をつき、家族からもそろそろと言われ、元居た業界へ戻った。
そのころ、学生時代からの友人が変わって、私はあの彼女とよく話すようになっていった。
彼女は、自分のことをとてもよく知っていて、それがとても羨ましくて、私も自分を知りたいと思い出した。

それからは、私も自分の探求する時間を過ごした。
私の幼少期から家族に振り回されて、傷ついた自分が今の私の大部分を作っていることがわかり、愛着障害という言葉を知った。
テストをしてみると、私は不安回避型といわれる愛着タイプだった。
どうりで、恋愛が怖くて愛させると逃げたくなるわけだ!と納得した。
ただ、その当時の私はまだまだ恋愛は怖いし、けど口では「パートナーがほしい」と言ってみたりしていたのだが、仕事が一番ではなくなっていた私は、恋愛しない言い訳がそろそろネタ切れだった。

彼女に勧められたことを試してみたり、いろいろな本を読んだり、プロに相談したり、自分を知る体験を重ねていた。
徐々に自分への理解が生まれてきたころ、頭の理解とその先の癒される体験は、別だということがわかって来た。
癒される体験をする前には、痛みが伴う場合が多かった。
本当に"分かる"体験すると癒されるし、理解が深まった。

その仕組みは分かっても、手付かずだったのが、恋愛だった。
どうにも恋愛するのが、怖いような。。。
体験する準備は、徐々に整ってきているような気になっていたが、まったく恋愛の気配はなかったし、そのための行動する気持ちも起きなかった。

ある時、兄弟が結婚となったとき、田舎の親戚一同が集まった際に
"次はアナタ"という、フラグが立った瞬間があった。
「行くときは、猛スピードで行くから、皆さんご祝儀の準備をよろしく」と声高らかに宣言したら、誰も何も言わなくなった。

何の努力するでもなく、出会いを求めるでもなく過ごしていた。
今年に入って、職場の人事異動があり、一緒に働く人が変わった。

夫の一本釣り脳内計画の破綻

異動して知り合ったある方は、数年前に結婚されたそうだが、結婚まで私のようになかなか恋愛がうまくいかず、男性を気持ち悪いとさえ思ったという。
そんな話をしているうちに、私は気づいてしまった。
「あ、私結婚したいんだ」と。


両親の離婚だけでなく、夫婦のけんか、恋人同士の別れ。
たくさんの誰かの離別を目前にして、私は経験を知識にすり替えて、マグロの一本釣りのような、まさに夫の一本釣りを脳内計画し、それに何度となく挫折してきたのだと気づいた。
何度も挫折している時点で、とっくに破綻していたのに、見て見ぬふりをしていた。

正直生まれる時代を間違ったとさえ思った。
ボーとしていても、近所の世話役が独身同士を引き合わせ
ある一定の年齢になると、周りが世話を焼く時代だったら、きっととっくに結婚していた年齢をとうに過ぎボーっとしていたら、一昔前では完全に行き遅れた年齢に到達してしまった。

それが、たった今の現実だった。

とにかく今の私に足りないのは、経験だと自覚はしていた。
ずっと、行動もせず、少し行動しても一度の自分的失敗でくじけてしまう、そんなとっても弱い私だ。
それを認められずに、過去の体験や環境のせいにして過ごしていた。
他人の悩みは、クリアに原因が見えるものだから、きっと彼女にも周りの人間にも見えていて、「それが原因だよ」ときっと思われていたと思う。

私は、ただただ、これ以上恋愛で傷つくことが怖くてたまらなかった。


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