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感情は身体と同期している?

 先日、興味深い記事を見つけて、幾つか新たに調べたものと合わせて、まとめて記事にしました。

表情筋を抑制すると、相手の感情が読み取れなくなる?


科学ニュースをまとめるナゾロジーさんの上の記事を元に、行動分析学的な話や個人的な出来事から思ったことを書いてます。引用は全てこの記事から。

今回の結果は、他人の感情を正しく脳が処理するのに、自分の脳に加えて「自分の表情筋」が重要な役割を果たしており、顔が単に内から外へ向けて情報発信するだけのツールではない可能性を示しています。

この記事では、ボトックス注射という、ボツリヌス菌を目尻や額のシワなどに注射することでシワの改善を行うという美容整形の技法を用いて、それを表情筋に対して使用することで写真の表情を見てMRIで感情を司る脳の部位がどう反応するかをとった実験、とのことです。

この記事の結論では、説明に認知的な処理を挟んでいますが、これを行動分析学的な観点から見るとどうなんだろうと考えながら色々と。


行動分析学の祖であるB・F・スキナーは、「感情は行動の付随物であるが、理由ではない――」と語っています。
情動がその人物の状態として単体で存在したり、辛い感情が先にあり→その結果泣く行動をするという風に捉えず、情動行動という単位で説明します。
感情は行動に随伴し、そもそも一体であるという解釈だと思われます。

私たちの顔には他人の表情を自動的に模倣する機能が存在しており、表情を真似ることで、他人の感情を理解しやすくする働きがあると考えられているからです。

このように顔の表情によって感情がブーストされるという考えは「表情フィードバック仮説」と言われています。

人は模倣によってあらゆることを学びます。
言語も、動作も、学びというものは日本において真似びという言葉が語源とされているように、他者から何かの情報を得るには、真似をすることから始まっていきます。

なぜ相手の感情が読み取れなくなるか。
相手の表情を見た際に、反射的に相手の表情筋の動きをトレースし自分の顔の動きに置き換え、エミュレーションして自分の中の感情と結び付けているからでしょうか。

しかし、それらの模倣行動を起こす反射のようなものが、自分の表情筋が使えないとなると、行動としてそれを起こすことが不可能になるから、行動に付随する情動も同時に発生しづらくなるという可能性はあると思います。

別のボトックス実験、自分の感情は?

また、別の類似実験で、ボトックス注射により表情筋を動かなくすれば自身の感情は発生しづらくなるのか?という実験があったようです。

↑こちらのシリーズ記事は、今回の記事を作成するにあたり一通り読ませて頂きました。大変面白く学術的にも濃い内容なので、なんならこっちを通読されたほうが楽しいこと間違いないです。

そして、自分の感情を測った実験の結果は、感情への影響は決定的ではないことが実証されたということでした。
表情筋を止めても感情は消えない、ということです。

両者の結果を踏まえて、なぜ自分と他人の表情では結果が違うかの理由を、情動行動をベースに考察してみます。

自分から表出する情動行動は、顔のみで表すものではなく、行動に随伴する以上、ガッツポーズをしたり、手をバタバタさせたり、全身が強張ったり、呼吸と連動していたりと全身の機能を用いた動きに様々な感情との結び付きがある。
それに対し、他者の感情は、対象の顔が相手の感情を読み取る大部分を担っているからだ、という違いではないでしょうか。

表情フィードバック仮説は人による?

そしてこの話題のそもそものバックボーンとなっている表情フィードバック仮説についても、行動分析学的な観点から考えてみると、情動行動という概念に近い仮説に見えますね。
まず再現性が取れたり取れなかったりするのには、実験における前提条件が各種実験で異なるというのもありそうですが、そもそも自発的に行った笑顔と、指示されてペンを咥えながら行った特殊な行動では意味合いが大きく異なるように思えますので、それらを比較対象として見るのは可能なのかな?なんて思います。

また、行動分析学では【ルール支配行動】という概念がありますが、言語行動として「笑うことで幸せになれるよ!」という[随伴性を記述したタクト(記述言語)]を弁別刺激とし→笑う行動を取り→感覚的に楽しくなれたり、他者を笑顔に出来ることで、笑う行動が強化される随伴性が形成されていれば、
『楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。』という、哲学者で心理学者であるウィリアム・ジェームズの唱えた眉唾モノな言葉も、一部の人においては信憑性を持つものである、と言えるかもしれません。

※ルール支配行動というのが難しい概念なので曖昧ながら説明を入れますが、不要な場合は読み飛ばして下さい。
([言語行動]と呼ばれる言葉による行動の中でも、タクトという記述/報告言語があります。これは、空を見て「天気いいなあ」とか居酒屋に来て「お、ビール安いな」と呟くようなものから、『この先行き止まり』のような環境や事物を記した看板なども当たります。
その中で、「お通じがあれば、夕食の後にデザートがもらえるよ」という、お通じ→→夕食後デザートという行動随伴性が示されたタクトを投げかけられると、その言葉を刺激として行動を起こすようになる、といったものです。)

動悸と同期でドキドキ?

近年の研究により、動物の心の状態が、心臓や腸など脳以外の体のパーツから発せられる刺激の影響を大きく受けていることが明らかになってきました。

たとえば今年になって発表されたマウスを対象にした研究では、マウスの心臓の鼓動を人為的に早めると、マウスの心の状態が変化し、不安を感じやすくなることが示されています。

こちらは個人的な体感としても、有名な心理学実験の概念としても納得のいく例があります。

私は、甲状腺機能亢進症、いわゆるバセドウ病を患っており、現在、投薬治療中です。
これが発覚する前、病院に行くことが習慣付いていなかった私は、病気が悪化するとともに鼓動が早くなり、持久力が極端に低下し、代謝も酷く汗が止まらなくなるような状態にも関わらず我慢し続けていました。
そして最も酷くなった時期には、ただ駅から5分の道を歩くのも困難なレベルまでに達しました。

そこに至るまでの間、どんどん症状が酷くなっていく中で、対人関係においてやけに緊張が走り、人の目を見ることが出来なくなったり、見ようと耐えながら挑めば、首や肩周りの筋肉がガチガチに緊張してしまい、挙動不審の異常者のようになっていました。

しかし、薬を飲んで、脈拍が正常の値まで落ちると、今まで苦しんでいたのはなんだったのかと思えるくらい精神面で落ち着いたのです。
特に初めて薬で脈を正常に抑えた時は、無敵になったのではと思うほど、感情に劇的な変化が訪れました。

また、吊り橋効果と言う心理学用語が、恋愛において有名なテクニックとして存在します。
具体的には、名前の通りの吊り橋や、絶叫マシーンという環境、ジョギングなどの運動で心拍数が上昇する行動をしていると、一緒にいる人に対する感覚が恋から来るドキドキと錯覚し、好きになってしまう、みたいな話で有名ですね。

しかし、これが逆の結果をもたらす場合もあります。
あえてメイクでその人の魅力を引き下げた場合、好きになるどころか嫌悪感が増すというもののようです。

吊り橋実験の対象者も情動行動として解釈するとボトックス実験の結果と同様理解しやすく感じますし、私自身も、病気に伴う凄まじいほどの不安感や、脈を抑える薬による劇的な恐怖感情の消失は、まさに吊り橋効果そのものであり、そして情動行動として感情と行動が一体化した結果のもののように感じられます。

おわりに

人間にとって、表情・顔というものは非常に重要な情報伝達器官でもあります。人間は3つの点の集合体があれば、それを顔と認識するシミュラクラ現象というものがあります。
またの名をパレイドリア効果とも呼びます。
意味のないものに対し意味付けをしてしまうことの総称であり、シミュラクラ現象はその中の一つです。

君もこのスケベな笑いをマネしてみよう!むっちゃ楽しいぞ!

進化の過程で出会った相手が敵対する存在なのかを瞬時に判断出来るように備わったのだ、などと進化心理学などで語られていたりします。人間にとって、他者の顔というものが如何に重要なのかが有名な現象としても示されています。

今回は情動行動というキーワードをテーマに、感情と行動が一体化されてるという話がどちらの状況でも当てはまると言えるし面白いなーってことで書いてみましたが……

今回このnoteをお読み頂いたあなたには特別に……

上の写真の顔マネをすると、みんなが良い反応をくれてハッピーになっちゃう魔法をかけました!


みんなで誰が一番最高のスケベ顔か競い合って楽しくなるんだよ!!!
といった感じで、お読み頂きありがとうございました!
ではでは〜。

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