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【連載小説】あなたに出逢いたかった #5

遼太郎の学生時代の話を聞いた梨沙は、無性に若い頃の遼太郎に触れたくなった。
そうすると必然と祖父母の家を訪ねることになるだろう。

ただ田舎を訪れたのは梨沙がまだほんの小さい頃で、記憶に乏しい。

「ねぇママ、パパに内緒でお祖父ちゃんお祖母ちゃんの家に行ってきてもいい?」

京都から帰ってきた翌日。
遼太郎に交渉するとダメだと言われると予想した梨沙は、夏希に許可を得ようとした。許可というより "出資" が必要なためだ。

「パパに内緒でって…どういうことなの?」
「だってパパは…あまりお祖父ちゃんやお祖母ちゃんの話するの、好きじゃないでしょ」
「そうだけど…なんでまた…」

梨沙は遼太郎から聞いた学生時代の話から、その故郷に関心を持ったと伝えた。当然「正直に」は言えない。

「ものすごく小さい頃は連れて行ってくれたことはあったけど、ドイツから帰って来てからはずっと無かったし」
「確かにそうだけど…あなたも "みんなと一緒にはもう行かない" って言ったんじゃない」

確かにそれはそうだ。でも年頃になってくると家族みんなで出掛けるのは、だんだん億劫に思うものだ。一部の子は。
そういった梨沙の態度をきっかけに、遼太郎も実家に家族を連れて行くのをパッタリと止めてしまった。

「気が変わったの。ねぇ、いいでしょ?」
「それこそパパに素直に連れて行ってってお願いしたらいいじゃない」
「1人で行きたいの。パパは行きたくないと思うし」
「それにしても…パパに内緒でっていうのはちょっと…。もしバレたらそれこそ怒るわよきっと」
「絶対バレないようにするから。友達と一緒に泊まりに行ってるってことにしてよ、お願い!」

夏希はため息をついて渋々了承した。

「えっ、泊りがけで?」

遼太郎の帰宅後、早速 "嘘の交渉" に入る梨沙。

「お前が友達の家に? 珍しいこともあるんだな」
「どういう意味よ?」

プっと頬を膨らますと遼太郎は「ごめんごめん、変な意味じゃなくて」と苦笑いした。

「でも初めてだろ、そういうの。誰と?」

名前を聞かれ、梨沙は慌てて中学時代のクラスメイトの名前を口走り、ドイツから帰って来たなら会おうよ、と言われたと答えた。正直その名前が正しいかどうかあやふやだったが。

「ふぅん、まぁ、いいんじゃない」
「ありがと、パパ!」

梨沙は抱きついて頬にキスをした。
遼太郎は梨沙にもそんな風に声を掛けてくれる人がいるということと、それに付き合う梨沙が少しは女子高生らしくなってくれたかと嬉しく思った。
友達が梨沙に影響を与えて外に連れ出して・・・・・・・くれたら、と願った。

翌日。

梨沙は自分で遼太郎の実家に電話を掛けた。
祖母が出て、来るのは構わないがこちらはもう2人共年寄りだから、迎えに出ていけないので自力で来てくれと言う。

また遼太郎や蓮が一緒ではなく梨沙1人だけ、というのもどうしてなのかとしつこく訊かれた。梨沙はここでは正直に「パパに内緒でどうしても1人で行きたくなって」と通した。まぁいいけれど、と祖母も最後は引き下がった。

移動手段は陸路と空路があるが、空路を選んだ。空港からも電車とバスを乗り継ぐので手間はかかるが時短のため致し方ない。旅費は夏希持ちだ。

こうして夏休み終盤の平日、梨沙は父の過去を辿る旅に出た。

空港に降り立っても子供の頃の記憶はなく新鮮そのものだった。蓮は電車が好きだから、当時は陸路を使っていたのだ、と思い出す。

空港バスで中心地に出てから在来線に乗り、更に駅からバスに乗ること、約1時間半。

バス停を降りた時、湿気混じりの土の匂いがむぅっと梨沙を包み舞い上がった。公園でしか嗅いだことのない匂い。
遮るもののない日差し、人気のない通り、蝉の鳴き声、風の音。

そのバス停から更に歩いてようやく到着した時、祖父母の家が周囲の倍はありそうな広い敷地を有していることに改めて驚いた。

確かに子供の頃来た時も、大きな家にいるお祖父ちゃんとお祖母ちゃん、という印象はあった。しかしあまりにも幼すぎて、田舎とはそういうものだと思っていた。
今ならどれだけすごいのかも、さすがにわかる。

数奇屋門にあるインターホンを鳴らすと「開いてるからそのまま入ってらっしゃい」と祖母の声がした。
玄関までのアプローチに敷かれている飛石を慎重に渡った。庭の奥には納屋があり、家を囲む塀沿いの松の木が外からの視界を遮っている。まるで世界から遮断しているかのように。
梨沙はなぜか陸に浮かぶ孤島・ベルリンを思い浮かべた。

玄関にたどり着く頃には既に祖母が引き戸を少し開け、待っていた。

「あ…お祖母ちゃん…お久しぶりです…」

梨沙は緊張した面持ちで頭を下げた。祖母にしてみても久しぶりすぎて、高校2年生になり垢抜けた孫の姿はあまりにも時間を飛び超えてきたようで呆然とし、ニコリともしなかった。

「まぁ遠くからわざわざ…入りなさい」

玄関扉をくぐった梨沙は、これまた外とは別世界のようなひんやりとした空気にぎょっとした。

冷房が効きすぎているというわけでもなさそうだ。家の中は周囲の木々のためか薄暗く、遼太郎が好かない理由が少しわかったような気がした。

それでも梨沙は遼太郎の生家の匂いを嗅ぐ。頭の奥にツキーンと冷たく刺さるような鋭い感覚を憶えた。

客間に通された梨沙は正座して待つと、やがて祖母が冷たいお茶と茶菓子を運んで来た。
梨沙は冷えた所では冷たい飲み物は飲まないようにしていたから、少し困った。

「遼太郎や蓮は元気にしているの」

開口一番、祖母はそう訊いた。梨沙の長旅をねぎらったり、成長を喜ぶような素振りは見せない。身内でもないのにベルリンのホームステイ先のShulz家の方がよっぽど温かく迎えてくれた。

「はい…元気にしています…」

梨沙は正座を崩せず、膝の上で拳を握りしめ言葉遣いも固くなる。

「お祖父さんは昨日まで町内会のお祭りの後対応で、疲れて休んでいます。夕食の時に顔を出すと言っているから、その時に挨拶なさい」

祖父母にとっては初孫のはずの梨沙は、可愛がられていない。男ばかりの家系だったからなのか、それとも…。
梨沙もすっかり萎縮してしまっている。

「はい…。あの…お祖母ちゃん、今日私が来たことは、本当に絶対パパには内緒にしておいて」

祖母は眉をピクリと上げ、湯呑み茶碗を持ったまま呆れたような口調で言った。

「あの子に連絡しようとしたって、相手にしてくれやしないよ」

そうして厳しい顔のままお茶を飲む祖母の顔を梨沙はじっと見つめた。

この人から、パパは生まれてきた…。
わかるような、わからないような、妙な気持ちになった。

「お祖母ちゃん、電話で話した通り、パパの卒業アルバムを見たくって」

早速梨沙が本題を切り出すと、祖母は「はいはい、用意しておいた」と言い、2階の部屋に案内してくれた。

次の間と思しき3帖ほどの部屋に小さな文机があり、その上に3冊のアルバムが置かれていた。小学校、中学校、そして高校。

「ここはパパの部屋だったところですか?」
「いいえ、こんな狭いところで何が出来ますか。遼太郎の部屋は廊下の奥の部屋でした。東南角部屋の、我が家で一番いい場所です」
「…覗いてみてもいいですか?」

尋ねた梨沙に祖母は眉をピクリと上げる。

「今はお祖父さんの書斎になっています。叱られるからやめておきなさい」

梨沙は小さく首を竦め、名残惜しそうに廊下の奥にある扉を見やってから案内された小さな部屋に入った。

「アルバムはそのまま持って帰ってもらってもいいのよ」

祖母はそう言って襖をピシャリと閉め、階下に降りて行った。







#6へつづく

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