見出し画像

【シリーズ連載・Guilty】Unbalance #7

~純代


小雨の降る日曜日。
買い物に来ていた渋谷で、本当に偶然、ばったりと、野島くんに会った。傘も持たず白いパーカーのフードを被り、ジーンズの裾が僅かに濡れていた。学生と見紛うような普段着に意表を突かれた。

「野島くん…!」

私とわかると、ちょっとバツが悪そうな顔をした。会社の人とプライベートでばったり出くわすというのは確かに微妙だ。同期とはいえ、お互いプライベートな同期同士の集まりには顔を出さないし。

その時、少し俯いた野島くんのお腹が思いっきり鳴ったのが、この距離の私でもわかった。

「あれ、今、鳴ったよね?」
「あー、めっちゃくちゃ腹減ってるんだ。これから飯食おうと思って…。そうだ。良かったら一緒に食いに行かない?」
「え?」


そういうわけで、道玄坂にあるオムライス屋さんに入った。彼はライス600gのオムライスを注文した。私は300g。
ずっと言葉少なだったけれど、ガツガツモリモリとオムライスを頬張る内に、活力が戻ってきたのかようやく私をまともに見て笑顔を浮かべた。

「野口、渋谷で何してたの?」
「何って…買い物。野島くんこそ…って、家、近所か…」
「俺はデートだった」

ピタっと、スプーンを持つ手が止まってしまう。

「あっそ。お友達・・・と一緒にご飯食べなかったの?」
「逃げられたんだよ」
「逃げられた? 色んな女の子と遊んでいることでもバレた?」

野島くんは何とも答えず、オムライスを平らげた。

「はー生き返った。この後1杯だけ飲んでいかないか?」
「この後? 明日仕事だよ?」
「まだ20時前じゃないか。そんなに遅くなるつもりないからさ。どうせ暇なんだろ?」
「だいぶ失礼なこと言うね!」

と言いながら、全くその通りなので、オムライス屋を出て坂の途中にあるチェーンの焼き鳥屋に入った。


野島くんはビール、私はレモンサワー。焼鳥の盛り合わせを注文し、乾杯した。

「そういえばさ、野島くんは今年の夏休みはどこ行くの?」

毎年、海外にぷらっと一人旅に出ている野島くん。当たり前のように訊いてみたけれど、

「最近なんかバタバタしてて、考えてなかったな。まぁいつも直前で決めて行くから。う〜ん…」

顎をさすって考えだした。

「バタバタ? 仕事?」
「うん、まぁ…。そのうち仕事でも飛び回れるようになれるといいけど」
「異動願い出してるんだっけか」
「うん。進展無くてしょっちゅう文句は入れてるんだけど」

異動。
うちの会社では最近海外展開を目論んでおり、新設されたその部署に野島くんは早々に異動希望を出したそうだ。確かに、彼の性格なら海外で活躍する方が合っていると思うけれど、どうやらすんなりとそうも行かないらしい。

「野口は夏休みどうするの?」
「う~ん、私は実家かな…。そういえば、野島くんは実家に帰ったりしないの?」
「…大学でこっちに出てきてから、1~2回帰ったかな」
「それだけ? ご両親寂しがらない?」
「帰ったって何もないからさ」
「えっ? 誰もいないの?」
「いや、いるけど」

ふと、野島くんは無表情になって遠くを見るような目つきをした。

「…どうしたの?」
「実はこの前、母親から連絡があって」
「たまには顔見せなさい、って催促?」
「いや」

そういえば、今まで野島くんから実家や家族の話を聞いたことがなかった。しかも神妙な面持ちだ。
だからそんな切り出しをされたら、身内に不幸が、と思うのが普通だ。心臓がギュッとした。

「…何か、あったの?」
「弟がさ」
「弟? 野島くんて弟がいたの?」
「うん。まだ中学生だけど」
「中学生?」

中学生…随分歳の離れた弟…片親が違うのかな、などと勝手な想像をしてしまう。

「アスペルガー症候群(※)だったって、言うんだ」
「…アス…ペルガー…?」
「アスペルガー症候群。聞いたことないか?」
「いや、あるような…ないような…」

耳慣れない言葉と共に一気に情報過多になり、処理が追いつかない。

野島くんはアスペルガー症候群について簡単な説明をしてくれた。コミュニケーションに問題があって言動がちょっと変わっていること。また、特化した高い能力があること。弟さんの場合は特定の科目の成績…数学が極端に良く、小学生の頃に既に高校レベルの問題を解いていたと言う。それもあって子供らしくない弟さんは、友達がほとんどいないらしい。

「それで、ある日から突如学校行きたくないって言い出して、何処か具合が悪いのかと親が病院に連れて行ったらしいんだ。たらい回しにされた挙げ句、そう診断されたって。母親が電話口で泣くんだよ」
「そう、だったんだ…」
「むしろホッとしないか? 理由が付いたんだぞ。ただの変人じゃなかったんだ。弟が悪いんじゃない」
「そう、だね。確かに」

まだ私はピンと来ておらず、本当に『確かに』なのかわからなかった。
その後野島くんはふと、翳りのある表情を見せた。

「…どうしたの? 弟さんがいじめられてたって、やっぱりショックだったんじゃない?」
「俺、ちょっと調べてみたんだ。そしたらさ…」
「うん」
「遺伝によって発症することが考えられる、とあったんだ」
「遺伝?」
「つまり…俺も…」

野島くんの目が泳ぐ。そんな動揺しているところを、見たことがない。

「えっ。でも野島くん、全然コミュ障じゃないじゃん」
「症状には…強弱もあるし、パターンもあるらしい。他の精神疾患と併存することもあるって…」
「でも野島くんはアスペルガーだって言われた事ないでんしょう? 疑わしい事もなかったんでしょう?」
「そうだけど…確実だろ。遺伝だったら。親もおかしいところがあったんだよ、いくつも。合点がいったんだ」
「だからって…とにかく野島くんは全然…」

確かに、全然普通だよ、とは言えない気がした。はっきりすぎるくらいの物言い(それはたまに人を傷つける事もあるだろう)、かなり自信家なところ、よくわからない女性関係など、凡人の域を超えたところがある。
でもそれならば大きな問題なんてない。だって彼は成功している。慕っている人も多い(女性に限らず、若手男性社員からも憧れの存在として名前が挙がっているのを知っている)。これまで困った様子なんてなかったはず。それは立派な『才能』なのだ(女性の事は置いといて)。
どうしてそんなに怯えているのだろう、と訝しんだ。

「改めて俺は…あの両親の血が流れているんだと…実感して…」
「両親なんだから当たり前でしょう?」
「嫌なんだよ」

急に目つきが鋭くなった。怒りがこもっている。

「ご両親のこと、嫌なの?」
「嫌だね」
「…馬が合わないとか、あったのかな」

言っておきながら、親と馬が合わないってよくわからないけど。毒親とか?
野島くんは難しい顔をしたまま黙り込んだ。

「…だったとしても、さっき野島くんが言ったように、ただの変人じゃなくて理由があるものなんでしょう? だったら別に…」

そこまで言いかけ、野島くんの変わらぬ硬い表情を見て先は謹んだ。

「その…アスペルガーって、治らないの?」
「治る・治らないじゃない。困る症状を薬である程度緩和させる事は出来るみたいだけど」
「実家に帰ってないってことは、その弟さんにも随分会ってないってことだよね」
「そうだな」
「学校、行かなくなっちゃったんでしょ。会いに行ってあげないの?」
「…」
「10コも下だったら…頼り甲斐のあるお兄ちゃんに会いたくて寂しい思いしてるんじゃないかな。顔見たら安心して…何かが変わるかもよ」

野島くんは頭を抱え、その手を震わせた。ハッとする。

「…ごめん。私、言いたいこと言い過ぎちゃったかな」

けれど俯いたまま、何も答えない。肩で息をしているようだった。

「…野島くん…? 大丈夫?」

両手で顔を覆い、なおもしばらく黙り込んでいたが、やがてその手を解く。

「…ごめん」
「ううん、私、なんか変なこと言っちゃったよね」
「いや…」

僅かに上げた顔を見て、ギョッとした。今まで見たこともないほど、強張っていたからだ。

「野口」
「…なに?」
「俺の地雷」
「地雷?」
「家族と故郷の話は、もうしない」
「野島くん…」
「ごめんな。俺から話しておいて。色々思い出してきたら、ちょっと」
「ううん、私こそ、なんか…」
「野口は何も悪くない」

野島くんが長く息を吐いたその時、着信があったのか、彼は尻ポケットからスマホを取り出そうとしたが床に落としてしまい、私の足元まで転がってきた。

拾い上げると、通話状態になっていた。九園、という名前が見えた。

「あ、電話…誰かか…」

すぐに野島くんが「貸して」と言い手を伸ばしたので渡したが、画面を一瞥するとすぐに尻ポケットにしまい込んだ。

「…電話だったんじゃない?」
「いや、切れてる。仕事関連の人だ。間違ってかけたんだろ」

素っ気ない言い方だった。


「送ろっか」

店を出てすぐに野島くんは言う。あんまり彼氏みたいな優しさを出されるとつらい。

「いい」
「遠慮するなよ」
「いいよ、彼氏でもないのにおかしい。本当に結構!」

腕を伸ばして押しやった時、心なしか野島くんが少し寂しそうな表情になったので、ハッとした。
それでもすぐに笑顔を浮かべて「じゃ、駅まで。話しながら歩いてりゃすぐだし」と彼は言った。

「野島くんはどうやって帰るの?」
「俺は歩いて帰る」
「はー、都会に住んでていいねー」

嫌味でも皮肉でも何でもなかったが、そんな言い方でもしないと複雑な気持ちを追いやれない。

日曜の夜でも大勢の人でごった返すハチ公口、呆気ないほどすぐに着いた。

「じゃ、気を付けてな」
「あ、うん…。野島くんも気をつけて」

手を振ると、野島くんはすぐに踵を返し、人混みに消えていった。

送るって、そのままお願いしたら、この前のように家の前まで来てくれたのだろうか。
野島くん、何を考えているんだろう…。


一人の電車の中でずっと、さっきの野島くんの様子を反芻した。

10歳下の弟さんがアスペルガー症候群。
遺伝の可能性。
家族と故郷の話はもうしない…。

私の頭はパンクしそうだ。

そしてアスペルガー症候群についてネット調べてみた。なるほど、確かに色々と不安になるような要素が書かれている。人の顔色を伺えない、空気が読めない、言葉通りに受け止めてしまい冗談が通じなかったりする、など…。

今までそういう人に対し『なんて失礼なやつ』と思ってきたかもしれない。けれどそれはわざとではなく、こういった症状のせいで本人が意図していない場合があるのだ、ということを知った。失礼なのは私だったかもしれない。

でも…野島くんはむしろ空気をかなり敏感に読み取る人な気がする。やっぱり当てはまるようで当てはまらない。あんなにまで不安にならなくてもいいのに…。


両親のことを話した時、さっと顔色が変わった。殆ど語られることはなかった過去。そういうわけだったのだ。
野島くんには深い闇があるのだと感じた。


彼は、危うい人なんだ。
何となく合点がいく。その危うさが、強さと表裏一体なんだ。


申し訳ないとは思いながら、彼の片鱗を知れたことが嬉しかった。
本人にとっては嬉しくないことでも。
それでもやはり、知ったところでどうすることも出来ないという虚しさが上書きしていく。

ため息をついた。






#8へつづく

※アスペルガー症候群。最近では『自閉スペクトラム症』と呼ばれるようになっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?