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【連載小説】奴隷と女神 #最終話

遠くで女の子の笑い声が聞こえる。

姿は見えない。

そこはどこなんだろう。とても明るい場所。

でも外なのか、部屋の中なのか。晴れなのか、曇りなのか。
わからない。
ただ明るい場所で笑い声が聞こえる。楽しそうにしてる。

ふと、目を開ける。
最近よく見る、この夢…夢?

開け放した窓から初秋の爽やかな風がカーテンを揺らしている。

ベランダでは干したシャツが風になびき、家庭菜園を始めるには秋がいいと聞いて増やしたプランターから、サンチュやチンゲン菜などが芽を伸ばしている。

あまりにも気持ちが良くてソファで十数分、うたた寝をしてしまったようだ。
窓際に立ち大きく伸びをする。
秋の空はどこまでも高くて、心地良かった。

今日は結婚記念日だ。
今夜のささやかなお祝いの準備のために会社を休んだ。
響介さんも休んでくれたけれど、私の代わりに買い物や用事を済ませに外に出ているところだ。

洗濯物を取り込んで寝室のクローゼットにしまう。
少し開いた窓から入る風が、カーテンが揺らす。

その寝室にあるPCデスクの横に、この春に挙げたささやかな結婚式の写真。
その時にドレスアップした環と志帆と、3人で写した写真も並べて飾ってある。

そして今。
私の中には新しい命が宿っている。
そこには2つの心音が。

順調にいったら桜の咲く頃に生まれてくる予定だ。
エコーを見る限り、6~7割女の子だろうと言われた。

私は春に生まれられずに春の花の名前を付けられたけれど、響介さんは生まれてくる子の名前に "桜" と “梅”の字を入れると、頑なに決めている。
双子だとわかった瞬間に水を得た魚のように閃き、決めたらしい。
桜梅桃李おうばいとうりだぞ!” と。

性格がみんなバラバラになっちゃうのかな、と言ったら、響介さんは “賑やかな家族になりそうだな” と笑った。本当に幸せそうに。
桜はともかく梅だと『梅子』とか『小梅』になるの? と聞いたら、彼は真面目な顔して「悪くないな」と言う。

万が一男の子でもどうにかこうにか工夫して入れる、と気合いを入れている。

どうなることやら。

けれど私は女の子だろうと確信している。
それはいつも微睡むと遠くで聞こえている笑い声のせいかも。

まだ安定期に入っていないから、響介さんは私のちょっとした体調の変化にも私以上に過敏に反応して『絶対に無理しちゃだめ』と心配してくれる。

前妻との間に出来た子が流産したからだろうか。

でももしその子が、そのまま生まれていたら…今の私は決してここにはいない。

いつか環が言っていた。
『不倫は誰かが必ず不幸になる』

今の私はその "誰かの不幸" の上に成り立っているのかもしれない。
もしかしたら生まれてくるはずだった、その子の。
もしくは "月の女神" の。

自分のお腹に手を当てて思う。
だから2つの命がいっぺんにやってくるのかしら。

いずれにしたってこの生命だけは、どんなものからも守らなくてはいけない。

さようなら、女神。
さようなら、奴隷たち。

「ただいま」

玄関で声がする。響介さんが帰ってきた。

「おかえりなさい」
「渋谷まで行ってきた。これ、デカフェの珈琲豆」
「わ、ありがとうございます」
「体調は?」
「大丈夫ですよ」

買い物用の大きなトートバッグの中にはノンアルコールワインが入っていた。
私がもうアルコールを飲めなくなると響介さんはどこかからこれを見つけてきて、はじめは「ただのぶどうジュースでしょ」と思っていたけれど、驚くほどワイン感があって、とても気に入ってしまったのだ。
以来、時折買ってきてくれる。

その他にも夕食の食材をたくさん買い出してくれた。
牛のランプ肉はローストビーフ用、フライパンで作る。
ジャガイモは蒸してバターと混ぜてマッシュポテトにする。あとニンジンと、いんげんを茹でる。
カリフラワーはポタージュにする。

そんな献立。

「小桃李、少し休んだら?」
「さっきうたた寝してたばかりだから、大丈夫です。それより響介さんの方が昨日も遅かったし、買い出しにも行ってもらっちゃったし、疲れましたよね?」
「じゃあ、一緒にちょっとだけ昼寝」
「えぇ?」
「だって平日の昼間からこんな風に出来ることって滅多にないから」
「そうですけど…」

構わず響介さんは私を抱き上げると寝室に入り、ベッドの上にそっと私を下ろすと腕枕をして自分も横になった。

「小桃李、いい匂いがする」

私の髪をくん、とかいで響介さんは言った。

「何もつけてないですよ」

結局私たちは、新しい香水は持っていない。
それでいいと思う。
子供も生まれるから人工的な匂いはしばらく避けようということもあった。

微笑んで目を閉じた響介さんは、そのまま静かな寝息を立て始める。
窓からの風が彼の前髪を揺らす。
私はその前髪にそっと触れて、幸せを噛みしめる。

たとえ今が、誰かの不幸の上に成り立っているとしても。
それでも私達の足元には確かな大地がある。



そして静かに目を閉じる。





END

あとがき

長く拙い連載をいつも読んでくださり本当にありがとうございました。
PENHALIGON’Sの香水の逸話を主軸に東カレのような軽い話を書こうと思ったらあまり軽くすみませんでした。
そして東カレのようなハイソ感もなく…😂

紹介したお店には実際訪れている店も取り上げています。お近くの際はご参考になれば幸いです。

不倫というテーマは賛否両論ありますが、自身や周囲の人生を見て思うことを詰めました。
人生が誰かの不幸の上に成り立っているとは言い切れませんが、誰かの涙には何かしら引き換えになっていることもあるでしょう。
自分の流した涙だってありますから。

これからもそんな陰と陽を織り交ぜて作品を書いて行けたらいいなと思います。

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