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【連載小説】永遠が終わるとき 第一章 #2

かくして旧企画営業部全体の『解散会』は総勢51名が集まることとなり、会社の近くのレストランを貸切にして行われた。

店は宴会場と違って広々と見渡せる造りにはなっていないので、立食であるものの、姿を確認出来ない人はたくさんいた。

ましてや一番の送別対象の野島次長はあちこちで呼ばれ、ちょっとした挨拶をする隙きすらない。
私の側には橋本さんという、何度も一緒に仕事をしたことのある女性社員がいた。私のことをよく慕ってくれる人だ。彼女もすっかり中堅社員になっている。

そこへ新しい上司となる斎藤さんが挨拶に来た。橋本さんは近くに来た同期と思しき女性と話し込んでいた。

「前田さん、これからよろしお願いします。頼りにしてるんで」
「はい…」
「そんな浮かない顔しなくても。まぁ、野島さんがベルリンに栄転ともなれば、前田さんの心は穏やかではないでしょうけど」
「そんなことは…!」

一緒に食事をする仲だった時も、彼は時折そんな事を言った。私の、野島次長に対する気持ちを見透かしているような言い振り。

「冗談ですよ」

そして決まってそのように締めくくる。そんな冗談を毎回言われても困る。
そんなことも、私が彼に対して気持ちを盛り上げることが出来なかった原因だ。

“前田さんの気持ちはわかっています。でもこれからは僕が何とかしますから。前田さんに気に入ってもらえるように”

初めの頃は真摯だった斎藤さん。

やがて私の態度がいけないのか、卑屈になっていく。いえ、元の斉藤さんに戻っただけのこと。
私が変わらなかったのだから、当然と言えば当然。

私は軽く会釈をしてその場を離れた。

そして顔を上げた視線の先に、野島次長の姿を捉える。

思わずハッと息を飲む。
マーケティング営業系の若手男性陣とワイングラスを片手に談笑していた。

会話の隙間で目が合い、わずかに視線が絡み合う。
その瞳が何かを語り、やがて逸れていく。

私たちだけの "会話"。

身体の芯が熱くなる。

* * *

会がお開きになり、店の外ではいくつかの集団が出来て談笑したり、2次会の出欠を取る若手社員がいたり、賑やかしかった。

「通行人の迷惑になるからみんなもっと端に寄ってー!」

誰かが声を掛けている。

そんな中、みんなから少し離れたところにいた私に野島次長が近づいてきて、声をかけてきた。

「前田、お疲れ」
「次長…、お疲れ様です…。だいぶお忙しかったですね」

彼は振り返ってみんなの輪を見やった後、笑顔を浮かべて「今日はありがとう」と言った。

「調整や手配は前田と飯嶌が取り仕切ってくれたって幹事から聞いたぞ」
「いえ…いつものことですし」
「さすがだな」

この後、飯嶌さんと3人の2次会を開こうとしている。飯嶌さんは輪の中で少々捕まっているらしかった。

「出国まで日があまりない中、こちらこそありがとうございました」
「家族揃っての引っ越しだからな。確かにちょっとバタついているけど」

その先は何となくお互い言葉が続かず、飯嶌さんが来るのを待った。
輪の中でまだ捕まっている飯嶌さんを見やる次長の優しい横顔を見上げていたら、切なさがこみ上げてきた。

あと少しで彼は、目の前からいなくなってしまう。
私がこれまでの生涯で最も深く愛した人。

「すんませ~ん、お待たせしました~!」

やがて輪の中から飯嶌さんがヘトヘト顔で抜け出てきた。

「人気者だな、優吾」

野島次長が冷やかすと飯嶌さんは「エヘヘ」と頭をかいた。

「じゃ、行きましょうか。3人でよく行った店、予約してあります!」

私たちがよく行った店、というのは職場の近くにある日本酒のお店だ。
飯嶌さんは本当はお酒が得意ではなく、ワインや日本酒は1杯飲めばもう限界なくらいなのに、お酒が強くて大好きな野島次長と私…によく付き合ってくれた。

そう…このお店はたくさん思い出がある。
飯嶌さんが大きなプロジェクトのチームリーダーに抜擢された時、彼の愚痴をここで聞き、その度に次長が叱咤激励をしていたものだ。

またある時は私たち3人の業務が本当にもう大変で大変で、毎日遅くまで残業していた時も野島次長が声を掛けてくれ、彼の奢りで小さな慰労会が何度か開かれた。

辛いことも、その後に来る大きな達成感も、3人で分かち合った。

それももうすぐ、なくなってしまう。

…だめだ。さっきから感傷的になりすぎて。しんみりしているのは私だけ。
いえ、飯嶌さんもきっととても寂しい。だって家も近所で何かと懇意にしていたというから。

でも…男の人はいいな。男の人同士は、いいな。

「それでは! 野島部長・・の栄転を祝しまして…乾杯!」

3人で日本酒の盃を合わせる。野島次長は一息に煽ってしまう。
空いた盃に注ごうとした時、彼は手にした盃を私の方へ差し出した。

そんな何気ない仕草にも胸が高鳴る。少女のように。
もうそんな歳はとうの昔に過ぎたというのに。

「次長さすが、ペース早いっすね!」
「優吾は最後だからって絶対俺に合わせてくるなよ。家が近いからって送ってやらないからな」
「あぁ言ってますけど、絶対送ってくれるんですよ。次長ツンデレだから」

一次会で既にそこそこのテンションになるくらいは飲んでいる飯嶌さんが私に耳打ちした。もちろん野島次長に筒抜けだったけれど。

「今日は前田を送って帰るから、お前は一人で帰れ」

ビクリと身体が跳ね上がってしまった。

当然、それは冗談だと思う…。
けれど私は…あまりにも驚いて嬉しくて、真顔になってしまった。

「えぇぇぇ~前田さん家、方向全然違いますよね?」
「こんな時間だし、女性が優先だ」
「じゃ僕も一緒に前田さん送ります」

えっ、と言葉に詰まる。全て冗談の会話とて…。

「好きにしろ」

次長は笑ってそう言って、またすぐに盃を空にした。



第一章#3へ つづく

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