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【連載小説】永遠が終わるとき 第一章 #1

運命の出会いとか、信じますか?

そもそも運命って、何を指しているの?
結ばれること? それが全て?

出会った順番で運命が決まるのなら、なぜ人は出会い、愛し合うの。


私は月並みの恋をして来なかった。
いつも “誰かのもの” に恋をしていた。

一度そんな恋をしてしまうと、普通の恋が物足りなく感じる。
まさに麻薬そのものだ。
私は人の魅力をずっと勘違いして生きてきてしまった。

高校で初めて不倫を経験して、その後もずっと。
よく言われたものだ。体質なんだとか、そういう男性を引き寄せるフェロモンを出しているのだとか。
顔を見て、二言三言話してみるとわかるという。このひとは不倫体質だろう、って。

私は私で、恋人がいるのに、本妻がいるのに、私を選ぶ男性を可愛いと思う節があった。可愛そうな人なんだろうって。
何が満たされないのか。私で何を埋めようとしているのか。
私に近寄る男性たちは、私の承認欲求を満たしてくれる。

けれどそんな存在は本当に満たしてくれるわけではないと、長いこと気づかないふりをして生きてきた。

* * *

ある人だけは決定的にそれまでの男性とは違っていた。
私を許容しながらも、境界を守り続け、媚びを売るようなことはしなかった。
そして決して自惚れず、何でもはっきりと物言い、悲しくなるほど潔かった。

それでもある “事件” をきっかけに均衡がほんの少しだけ崩れた。
ただそれもほんの僅かな期間、ほんの少し小波のように揺れあって、結局同じ岸辺に辿り着きはしなかった。
彼は大きな海原へ、航海に出てしまった。
私はひとり、同じ場所に留まっている。

微妙な上司と部下の関係。ただの上司と部下ではない関係。

不思議な人だった。
心から愛した。多分、生まれて初めて。


転職でこの会社に入り、数年が経った。

企画営業部付スタッフとはいえ、実質の上司は野島次長で、同僚は飯嶌優吾さんのみの、3人だけの小さなセクション。
とはいえ3つの課を束ねるセクションでもあり、管轄範囲は広い。海外の取引先やベンダーとのやりとりも行う(その為に私の英語通訳力が買われた)。

私の入社後、少し経って法人営業部から異動してきた飯嶌さんも当初は少々頼りなかったものの、野島次長の献身的な愛のムチのお陰で、また彼の持つのほほんとした癒し系キャラも相まって、慕われるリーダーに育った。
ガツガツはしていないが、和を重んじるタイプだ。そこは野島次長とはやや対照的かもしれない。

居心地の良い部署だった。

それでも企業は数年に1度くらいの割合で大きな組織変更を行うことがある。
この会社も例外ではなかった。

そんな中、私はとんでもない人事情報を耳にした。


『野島次長がベルリンに新しく設けられるセクションに部長待遇で赴任するらしい』


新セクションを中国、ベトナム、そしてアメリカとドイツに設けることは以前から小耳に挟んでいた。
野島次長が独身時代にベルリンに赴任していたことは聞いていたので、もしかしたら彼が再び着任するのではないか、と予感はしていた。

「会えなくなる…」

本当の『お別れの時』を覚悟しなければいけない。気づけば私も30半ばを過ぎようとしている。
いい加減もうこんなこと・・・・・をしているわけには、いかない。

けれど…。

「前田さん」

向かいの席の飯嶌さんがPCモニターの隙間から顔を出して私にヒソヒソと話しかけてきた。

「次長の話、聞きました?」
「…なんのことですか?」

人事情報は迂闊に口に出さない。基本的なことではあるが。

「栄転の話ですよ。目出度いことですけど、僕らの上司も変わっちゃうんですよね?」

飯嶌さんもまた、別の意味でショックを受けているようだ。
彼は次長の家の近所に住んでいることから、家族ぐるみ(飯嶌さんは独身だが彼女と一緒にいるらしい)での付き合いがあるらしいから、余計に寂しいのだろう。

私は小さくため息をついて言った。

「組織自体が変わるかもしれませんね。今回は新設部署によるものですし、部付スタッフもたった3人でしたから、どこかに吸収されるかもしれません」
「やっぱり知ってたんじゃないですか、前田さん」

ハッと口に手を当てる。飯嶌さんはニヤニヤしている。

「飯嶌さんはどこでそういう情報を仕入れてくるんですか」
「人事ネタ好きの同期っていうのはいるもので…。1日いっぴに発令かな。あと1週間とちょっとか…結構急ですよね」

そこへ慌ただしく打ち合わせから戻ってきた野島次長が、私たち2人を小会議室へ呼んだ。

「噂をすれば何とやらかな。組織変更の説明じゃないですか?」

おそらくそうだろうと、私も覚悟に唇を噛み締めた。

* * *

「…そういうわけで、今回は少々大きな組織変更になる。企画営業部は新たに1つの課が加わり、元の3つの課も業務の再編成が行われる。俺たちがいた部付セクションは部の下に新設される統括管理室に併合される。前田はそこの室長補佐、優吾は新設される企画推進グループのGL(グループリーダー)だ」
「えっ…GL? ってことは僕、課長ですか」
「2人の昇格を以前から強く推していたんだ。長いこと中途半端なセクションで板挟みな仕事をたくさんさせられてきたからな。これまでの経験や立ち振舞いはきちんと評価されている。俺も嬉しいよ」
「飯嶌さん、良かったですね。おめでとうございます」
「あっ、いや、前田さんも室長補佐って、かっこいいー!」

照れと喜びでしどろもどろになっている飯嶌さんを見て次長も目を細めて喜んでいた。
それが一段落した時、飯嶌さんは訊いた。

「その統括管理室の室長ってどなたがなるんですか? 野島次長は…」
「室長は斎藤だ。俺は…異動になる」

斎藤さん…。

古くからの野島次長の部下で、次長も一目置いている頭の切れる人だ。
私が入社して1年ほど経った頃に告白された。

斉藤さん、以前は「お食事友達」として細々とお付き合いしていた人だ。私が野島次長に好意を持っていることを勘付いている。

食事はいつも斎藤さんからのお誘いで、私から声をかけることはほぼなかった。もうここしばらくはさっぱりだ。さすがに私があまりにも煮え切らないから、諦めたのだと思う。

彼が私の…上司。

「次長はどちらに異動なんですか」

既に見当はついているはずであろうが、飯嶌さんは敢えて訊く。
野島次長は再び、右上に『最終案』と書かれた組織図を広げた。

「今回、新設される企画開発部の下に海外拠点が置かれることになる。上海、ハノイ、シアトル、そしてベルリンだ」
「もしかして次長は…」
「俺はベルリン支所だ。部長待遇での所長で異動する」

私は思わず目を伏せた。飯嶌さんは「部長待遇! じゃやっぱ栄転なんですね!」と嬉々とした声を上げている。

「じゃやっぱ、ということは知っていたな?」
「あ、や、いえ、まぁ…」

飯嶌さんを見るといつもの照れ笑いで頭をかいている。

「まぁでも…寂しくなりますね。飯とか飲みとか、行けなくなっちゃいますもんね」
「まぁな。さすがに」

そこで次長と一瞬、目が合う。私は慌てて逸らした。

* * *

終業後、飯嶌さんが先に上がり、デスクを片付けていると野島次長がやって来た。

「前田」

不意に声を掛けられ、ハッとして顔を上げる。

「斎藤が上司になるが…大丈夫か」
「あ…は…はい」

斎藤さんが次長に私の事を相談していた事があったので、彼は知っているのだ。

「お付き合いしているわけでは…ありませんから」

そう答えると野島次長は鼻で小さくため息をついた。

「聞いてるよ、斎藤から」
「…では…確認するまでもないと思いますが…」
「ま…そうだな。余計なお世話だったな。すまない」

そう言って次長は自席に戻っていく。モヤつく気持ちが残る。

「…お先に失礼します…」

次長の方に向かい挨拶すると、PCの画面に目を落としていた彼は顔を上げて「お疲れ」と僅かな笑顔を浮かべた。

* * *

かくして3月1日に組織変更を含めた大量の辞令が発行され、準備や引き継ぎで3月は年度末も併せて大忙しとなった。そのために実質の新組織の稼働は4月からとなった。

その中で野島次長が3/28に出国することを知ったのは、辞令が出た数日後。

「送別会やらないとですよね、前田さん」

3月中は元の席にいることがほとんどの私と飯嶌さん。もうすぐ昼休憩のタイミングでそう声を掛けてきた。
野島次長は3月に入ってからほとんど自席にいることはない。

「送別会っていうか、解散会っていうか」
「やるなら部全体でやった方がいいでしょう」
「部全体か~。60人近くいますよね?」
「全員集まるのは難しいかもしれませんが…」
「まぁ、そうですよね。後で "調整さん" 立ててみんなに伝えておきます。でも…3人でもやりましょうよ」
「3人で…」

これまで何度も、"3人で" 仕事の後飲みに行った。
真面目な仕事の話もしたし、時には本当にくだらない話で盛り上がって、腹筋が引きつるほど笑って、家に着いた頃には何があんなにおかしかったのか全く思い出せないほどのこともあった。

本当に素敵なメンバーと仕事をいていたな、と思う。

「そうですね…お忙しい次長の都合がつけば…ですが」
「確かにそうですね…」

終始不在のままの次長の席を見て、飯嶌さんもポツリと言った。




第一章#2へ つづく

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