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【連載小説】あなたに出逢いたかった #7

梨沙が居間に降りると、既に祖父が席に着いていた。

「お祖父ちゃん…お久しぶりです」

祖父はちらりと梨沙の顔を見ると出し抜けに

「遼太郎や蓮はどうしているんだ」

と憮然と言った。祖母と同じことを言うんだ、と思った。

「元気にしています…。私なんかよりパパや蓮が来た方が良かったですか」

その問に祖父は答えること無く「遼太郎は孫がこんなになるまで顔も出さない。こちらはもう老いぼれなんだから、そのうち死に目も合わずじまいになるぞ」と愚痴をこぼす。

食卓には梨沙の嫌いな魚料理が並び、泣きたくなった。しかし遼太郎の両親でもある祖父母の手前そんなワガママを言うことも出来ず、お茶やご飯で味を誤魔化しながらゆっくり箸を進めていった。

「あの…パパの子供の頃って、どんな子だったんですか?」

梨沙は祖父母のどちらにでもなく、ポツリと訊いてみた。

「それは学校の宿題か何かなの?」
「いえ…自分の興味本位なだけです」

萎縮した梨沙が答えると、祖母は先程までの硬い表情をいくらか和らげ言った。

「それはもう、優秀な子でしたよ。成績も常にトップクラスで。礼儀もきちんとしているし、どこに出しても恥ずかしくない子でした。長男らしい立派な振る舞いをして」

長男らしい、とわざわざ言ったことが引っかかる。
次男、つまり叔父の隆次は以前、両親から好かれていなかった、と話していたことがあった。それがこういうところにも表れるのか、と思った。

それにしても遼太郎は本当に自慢の息子なのだろう、祖母は勝ち誇ったような顔をしていた。対して祖父はむっつりとしたまま

「生意気なところはあったけどな」

と一言付け加えた。

「あいつは高校に入ってから何を考えているのかよくわからなくなった」

梨沙は「高校に入ってから」という言葉にハッとする。
中学までの暗澹とした感じから、高校では一転してごくごく普通の学生に見えたこと。

「高校で何か変わったんですか」
「知らんよ」
「さっきアルバム見ていて…小学校や中学校のパパ、ちょっと暗いっていうか、あまり楽しそうにしていないのに、高校はすごく楽しそうに見えたから、何かあったのかなって思いました」

梨沙の言葉に祖父は眉をひそめ、祖母の頬はピクリと動いた。けれど

「気のせいです。暗いのではなく、真面目だったのです」

表情を変えぬまま、祖母はぶっきらぼうに答えた。本当にそうなんだろうか。
祖父は続ける。

「あいつは大学も就職も中途半端なところに行っただろう。大学進学で金もいらんと言って勘当同然で出て行って、もう好き勝手生きて行くのかと思ったら嫁を連れてきて驚いたもんだったよ。あいつには振り回されっぱなしだ、こっちは」

遼太郎の大学は決して "中途半端なところ" ではない。けれど祖父は "天辺" を求めていたことを伺わせる。

「お祖父ちゃんは、パパをレールに載せたかったですか?」
「レール? 長男なんだから家に従うのは当たり前だろう。代々この地域を治めてきたんだ」

憤慨した様子で祖父は即答した。彼は元県知事である。梨沙は、遼太郎の性格から敷かれたレールをそのまま進むわけがない、と思った。
電車が好きな蓮はレールの上は好きそうだけど、と思い吹き出しそうになったところを祖母に睨まれ、引っ込める。

「あなたはどうなの? きちんと勉強しているの?」
「はい、去年1年間、ベルリンに留学していました。良い成績を取ることも出来ました」

祖母に尋ねられ梨沙は胸を張って答えたつもりだったが、大して関心もなさそうに「ベルリンねぇ…」と答えただけだったので、拍子抜けした。

「ドイツで学んで何になると言うんだ。第一、女なんてどうせいずれ家を出ていくんだから、優秀な成績を取ったところでどうでもいい。蓮はどうだ?」

祖父の言葉に梨沙はカチンと来る。今どきそんな事がよく言えるもんだ、と。

「蓮は電車が大好きで鉄道オタクです。乗り鉄と音鉄みたいです。最近はバイオリンを習っているので、音大に行くか、高卒で鉄道会社に就職するか、どっちかじゃないですかね」
「音大! 高卒!? そんな人生でいいのかね」

憤慨気味の祖父、男子たるものは…とお説教が始まるかと思ったが、そうはならなかった。

「電車好きの蓮だから、お祖父ちゃんの載せたいレールに載っかれたら本当は良かったですね。そのうち好きな電車を乗り継いで自力でここまで来るかもしれないから、そのときに直接訊いてください」

つい棘のある言い方をしてしまったが、祖父は気にも留めていない。そもそも聞く耳を持っていなさそうだ。

本当にこの人達は、あの遼太郎の両親なのだろうか?

こんなに冷ややかで無感情で失礼な人たちから、あんなに熱い、激しい人が生まれるのだろうか? 梨沙は訝しんだ。まるで異端児だ。

遼太郎の口から故郷や祖父母の話をほとんど聞くことがないが、理由が何となくわかったような気がした。小中学校のあの表情の暗さは、この両親のせいかもしれない。
高校では…恋をしたから、明るくなったのかもしれない…。

苦手な魚料理をチビリチビリ食べるため、祖母には梨沙の食べ方がだらしなく映ったようで、眉をひそめられた。

風呂を済ませると客間に布団が敷かれていた。まだ21時である。小学生じゃあるまいし。
田舎の、そして年寄りの時間は早いのだ。

さすがにまだ眠りにつくことが出来ないため2階に上がる。廊下の奥の閉ざされた部屋。学生の頃、遼太郎が過ごしていた部屋。
梨沙は忍び足で近づくと、そっと扉を開けた。

カーテンは閉ざされ、光が入る隙間もないほど真っ暗だった。足を踏み入れると書物が放つ独特の匂いが満ちている。
が、その中に細い糸のように梨沙を優しく撫でるような匂いが混じっていた。ただ何だか少し、息苦しい気もした。

奥までは入らずに静かに扉を閉じ、次の間に入った。再びアルバムを眺め始める。

ふと、中学校のアルバムの中に『川嶋桜子』の名を発見する。遼太郎と同じクラスでもないし髪の色も黒かったため、印象が全く異なったから先程は存在にすら気づかなかった。

「あの人…同じ中学だったんだ?」

念のため中学の部活のページも見たが、弓道部に桜子はいなかった。よくよく探すと陸上部にいた。半袖・短パンからのぞかせる四肢は細く長く、バランスの取れた筋力を持っていて、中学生なのに既に完成された美しい身体付きをしていた。

もう一度、高校弓道部のアルバムを開く。

合宿時と思われるオフショット。皆で花火をしている写真の中に、遼太郎と桜子が2人並んでしゃがみ、線香花火を手にしているショットがあった。

「パパの一目惚れの相手…絶対この人だよね…」

梨沙は遼太郎の恋の相手が桜子であると確信した。言いしれぬ気持ちが再び湧き上がる。
遼太郎を一目惚れをさせるなんて、羨ましくて仕方ない。どんな人なのか会ってみたい。

物入れの戸を再び開いて他に何かないか探ってみると、紙製の箱が目に止まった。
蓋を開けてみるとハガキが仕舞われていた。年賀状や暑中見舞いの類のようだ。大した量ではなかったし、興味本位でそれらも1枚1枚見てみる。

するとすぐに『川嶋桜子』の名前を見つけ、ドキリとした。

年賀状。宛名は手書きだ。癖のない、読みやすいきれいな字で『野島遼太郎 様』と書かれている。
裏面には

今年はいよいよ受験だね! 野島なら絶対第一志望受かるよ! 離れ離れになっちゃったら寂しいけど…でももし離れちゃっても、ずっとよろしくね!

と書かれていた。

彼女はきっと地元に残ったか別の土地へ行ったのだろう。離れ離れ…遠距離ということか。
ママとも一時期遠距離だったはず…パパは大変だったんだな、と梨沙は思った。

ラブレターではないけれど、それに似たようなものを見た気がして、梨沙の胸は波打った。こんな風に大切に取ってあった事も。

もう一度表書きを見る。住所が書かれている。スマホの地図で調べてみると、ここからバス停2つ分ほど離れた場所であることがわかる。

まだ同じ場所に住んでいるだろうか。

梨沙の好奇心がムクムクと頭をもたげる。
明日は小学校、中学校、高校を散策してみようと思っていたところだ。ついでに川嶋桜子の家も探してみよう。
梨沙はそのハガキを弓道部のアルバムに挟んだ。

試合中の凛々しい遼太郎の写真などにも見惚れているうちに、気づくと23時近くなっていた。

蛙の鳴く声がすぐ近くの田んぼから聞こえてくる。
そういえば子供の頃も聞き慣れないこの声に驚き、遼太郎に泣きついた事を思い出した。絵本の中の蛙とは違ったグロテスクなその姿も併せて、すっかり苦手になってしまった。

『蛙なんてかわいいもんじゃないか。大丈夫だよ』

怖がって泣く梨沙の頭を、遼太郎はそう言って笑いながら撫でてくれた。
それを思い出して泣きたくなる。今はたった一人で蛙の鳴き声の中…現実から切り離された冷たい城の中で迷い彷徨うような気持ちだった。
そこへ細い糸のような何かが、さわさわと梨沙の身体を繋ぎ止めている。

客間に降り電気を消し、耳栓をしてひんやりとする布団に入り目を閉じた。

真夏なのにこの涼しさはありがたかったが、なかなか眠りにつくことは出来なかった。





#8へつづく

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