【連載小説】奴隷と女神 #16
『少しだけ、おめかししておいで』
前もって響介さんからそう言われていたので、背中が大きく開いたブラックのワンピースを着て、細いゴールドが揺れるピアスを付けた。ピンヒールも履いた。
響介さんの黒スーツに釣り合うだろうと思ったのだけれど、どうだろう。
それらは全て会社を出てから新丸ビルのトイレの中で着替え、アイロンで髪を少し巻き、メイクをした。
『UN JARDIN SUR LE NIL』もほんの少しだけ、耳の後ろに付けた。
挑発的だったかな。
いつもお店での待ち合わせだった。大抵は私が先について待っていることが多いのだが、その日は既に響介さんがカウンターに着いていた。
私が到着すると響介さんは立ち上がって、少し目を丸くした。
「…驚いた」
「…何がですか」
「あまりにも綺麗で」
「普段は色気がなくてすみません」
そういうと彼はあはは、と笑った。
「中身はいつもの小桃李だ」
「それもすみませんでした…」
恥ずかしくてわざとふてくされてしまう。響介さんは隣の椅子を引き「どうぞ」と私に促した。
彼も黒のスリーピーススーツに今日は光沢のあるパープルレッドのネクタイを締めていて、華やかに着飾っていた。
予約してくれたコースはシャトーブリアンが出てくる、最も高いコースだった。響介さんは「僕はもう歳だからボリューム的に厳しいけど」と言っていたけれど。
乾杯はグラスのシャンパン。
「じゃあ研修講師、お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
ワインも前半の野菜やお魚の時はシャブリを、お肉の時はボルドーの赤をそれぞれ頼んでくれた。
「研修の打ち上げでこんなに良いものご馳走してもらえるなんて、私の誕生日の時はもっと期待してもいいですか?」
「え、誕生日? あ、えっと、いつなんだっけ…」
「ふふ…今月なんです」
響介さんはちょっと目を泳がせて「同時開催ってことでいい?」とおどけて言った。私も笑った。
「もちろん、こんなに素敵なお食事、そう頻繁に頂いていたらありがたみなくなっちゃいますから」
「今月の…いつなの」
「28日です。平日です」
「そうか」
「…会えたりしますか?」
響介さんはスマホのスケジュールアプリを確認し「調整してみる」と言った。それは期待をしないで待ってくれ、という意味だ。
まぁ、彼氏なわけじゃないから、誕生日に会えないからって怒る筋合いもないけど…。
けど。
「あ、無理しないでくださいね。環や志帆が絶対誘って来ると思うし、むしろそれを断ったら怪しまれるから」
笑顔を取り繕ってそう言うと、響介さんは少しだけ悲しい目をして私の開いた背中を、指先でスッと撫で下ろした。
「ちょっと響介さん、くすぐったい」
「魅せるために着てきてくれたんでしょ?」
「ま、そ、そうですけど…」
「これ、下着は着けてないってこと?」
「…秘密です」
彼はフッと微笑んで、グラスに残っていたボルドーを一気に流し込んだ。
* * *
食事が終わって店を出ると、週末の華やかな喧騒が広がっている。老若男女、一時の開放感を楽しんでいる。
彼は顔を寄せ、耳元で私にこう言った。
「早く抱きたい」
「えっ、そんなストレートに…」
「誘惑したの、小桃李だからね」
そう言ってニヤリと笑ったかと思うと、通りに出てタクシーを拾った。
「時間、大丈夫なんですか」
食事が終わった時点で22時を回っていた。
「大丈夫。今夜は妻も、どこかで飲んだくれているはず。彼女は弾けると帰ってこなくなっちゃうから」
響介さんはそう言って運転手に目黒駅西口へ向かうよう告げた。
タクシーの中ではいつも指を繋ぐくらいだったが、今夜の響介さんは羽織ったトレンチコートの下から開いたドレスの背中へ手を差し入れ、私の脇腹を撫でた。
「響介さん、車の中ですよ」
声を潜めて忠告するが、彼は止めない。
「触ってくれって、背中が言ってるんだよ」
「もう絶対こんなドレス、響介さんの前で着ないようにします!」
あはは、と響介さんは笑ったけれど、手は引っ込めなかった。
マンションに着き玄関を入るなり彼は私を背後から抱き締め、私のコートを剥ぐと背中に舌を這わせた。
「あ…ふぁ…っ、せめて部屋に入ってからにしてください…」
そう訴えると響介さんは私を抱き上げ、ベッドへ運んだ。
「我慢するの、大変だった」
そう言ってにっこりと微笑んだかと思うと、すぐに雄の顔になって私を組み伏せた。
#17へつづく
【紹介したお店:Ahill】