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【連載小説】あなたに出逢いたかった #39

梨沙は茫然と、部屋の鏡に映る自分の顔を見つめていた。いや、自分の顔を見ていたわけではない。

あの時、稜央の友人が彼を呼んだ。
その苗字に引っ掛かった理由を思い出していた。


“どうする、川嶋”


稜央に父親はいない。
ということは、母方の苗字の可能性が高い。その母は、遼太郎と同い年。


思考が四方八方から矢のように脳内を飛び交う。心臓が大きく音を立て始める。


年賀状の癖のない美しい文字と、遼太郎の隣で長いブロンドのポニーテールを揺らし、はにかんだように笑う少女のスナップショットが梨沙の脳裏に鮮やかに甦る。


陽菜から送られてきた写真をもう一度見、ピンチして拡大してみる。

はっきり顔が見えないから似てるといえば似てるかもしれない。ただ梨沙が知っている姿は40年近く前のものだ。




まさか。まさかまさかまさか。
偶然が重なっただけでしょ。


しかし梨沙の鼓動は身体を揺らすほど激しく打ち、肌にはうっすらと汗が滲んだ。真冬なのに。暖房が効きすぎているわけでもないのに。

そもそも記憶違いかもしれない。横浜での出来事は既に3ヶ月前の記憶だ。自分の中でこじつけて解釈しようとしているだけかもしれない。そうだよ。

梨沙は恐る恐る、陽菜に尋ねた。

失礼ですが、陽菜さんの苗字ってなんておっしゃるんですか?
陽菜さんのお母さん、うちの父と同い年なので、同級生かもしれない、と思いまして。

同級生!? ホントですか?
うちは川嶋って言います。
母に訊いたら憶えてるかな!?
あのスケッチ見せてくれた、めっちゃイケメンそうなお父様ですよね!?
母はもう休んでしまっているので、明日訊いてみます。なんてお名前ですか? 小学校? 中学? それとも高校かな。あ、ちなみに私たち親子3人、同じ○○高校出身なんです。

梨沙は思わず、スマホを伏せ置いた。

川嶋。

そして◯◯高校…あの卒業アルバムの…遼太郎の出身校だ。
稜央の名は川嶋稜央で、母親は遼太郎と同い年の同じ高校出身…。

稜央と陽菜の母親は、あの川嶋桜子。
同じ高校の同級生に大勢の川嶋姓の女生徒がいない限り、恐らく間違いない。

でも。

以前、稜央の歳は35歳だと陽菜から聞いた。稜央と遼太郎の年齢差は20か21。つまり稜央が生まれた時、遼太郎はまだ大学生だ。


そんなことあるわけ、ない。


そう思いながらも、川嶋桜子の年賀状にしたためられていたメッセージを思い出す。

”もし離れちゃっても、ずっとよろしくね!”

高校を出た後も付き合いが続いていたとしたら…19…20…。


なぜ遼太郎と稜央があそこまで似ているのか。
なぜ遼太郎は『似ているからという理由で選ぶな』と言ったのか。
なぜ稜央は『君の事は妹のように思っている』と言ったのか。



ワカッチャッタ?



誰かの声が頭の奥で響いた気がした。


梨沙は耳から聞こえてきたわけではないのに耳を塞ぐ。
口の中がカラカラになる。脳内に浮かんだことを否定しようと必死で身体が抵抗している。
しかしガタガタと震えだし、胃の中のものが込み上げそうになる。

偶然でしょ? 考えすぎでしょ?

そう思おうと必死になった。どれもこれも根拠がない。
根拠がないからこそ、どちらにもしがみつけなかった。

そのうちに自分が何を考えているのかもわからなくなってくる。パニックに襲われた。

助けて。

誰に? 何を?
何もわからなかった。


梨沙は陽菜にはもう返信はせずに、家を飛び出した。



玄関のチャイムを鳴らす。
少し間を置いてから中からドタドタと物音がしたかと思うと、ドアの向こうで「誰ー?」と間の抜けた声がする。黙っているとしばらくしてドアが開いた。

「なんだ梨沙か。なに、1人で新年の挨拶?」

顔を出したのは隆次だった。

「今ちょっと…いい?」

顔色の悪い梨沙に、さすがの隆次も黙って大きくドアを開き中へ入れた。

部屋の中は静かで、デスクの上のPCだけが煌々と光を放っていたが、梨沙の来訪で隆次は部屋の灯りを点けた。

「…香弥子さんは?」
「しばらく実家にいるよ」
「えっ…、どうして?」
「正月の里帰り。俺は仕事があるから、早く帰ってきたんだよ。せっかくなんだからゆっくりしてくればって言ってあるんだ。明日帰ってくるよ。今日も香弥子さんに用だったの?」

何故か "離婚" という言葉が頭をよぎった梨沙は胸を撫で下ろしたのも束の間、隆次に訪ねてきた理由を訊かれ現実に戻される。

「パパって…ママと結婚する前、他の人と結婚していたこと、ある? 大学生の頃とか」

いつものようにPCデスクに着き画面に向かおうとしていた隆次は、ゆっくりと振り返った。

「はぁ?」
「パパは…再婚なの?」
「なにお前、兄ちゃんの昔の女にでも脅されたの?」

昔の女、という言葉に梨沙はビクリとする。

「いるの? そういう人」
「訊いたのは俺なんだけど」
「脅されてはいないけど…。隆次叔父さんはパパの学生時代の彼女って見たことある?」
「ないよ」

即座にすっぱりと隆次は否定した。

「俺が小学校4年の時に兄ちゃんが家を出て行って、ほとんど帰ってくることなかったし。そのうち俺が日本を出て、当然連絡も取らず。それから兄ちゃんと再会した時は、もう義姉さんと結婚すること決まってたからな」
「パパの過去、全然知らないの?」
「過去がなんだよ。そんなこと、なんか意味あるわけ? 女関係まで逐一知ってる方がやばくない?」
「…」

しばらく梨沙は押し黙っていたが、やがてポツリと言った。

「なんか…そうなのかなって思うことが…いくつかあって」
「例えば何?」
「…パパとそっくりな男の人がいて…その人、地元もパパと一緒で…その人のお母さんがパパの高校の同級生なの。パパが付き合っていた人かもしれない…」

聞いていた隆次は表情を変えずに言った。

「お前、想像力逞しいね。根拠は?」
「ない…だから叔父さんのところに訊きに来た」
「再婚だなんて話は聞いたことないね。誰からも。それが俺からの答え。はい、以上」
「川嶋って名前も、聞いたことない?」
「ないね。さっきも言ったように兄ちゃんとはずっと連絡も取ってなかったし、結婚してからもそんな名前は聞いたことない」


ただ、隆次の脳裏はあることが浮かんでいた。





#40へつづく

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