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【連載小説】あなたに出逢いたかった #43

「パパ…パパは稜央さんの…」

遼太郎はそう言いかけた梨沙の唇を人差し指で封じ、優しい声で静かに言った。

「梨沙、そのことは時が来たらちゃんと話すよ」
「それはいつ?」
「梨沙の大学受験が終わったら」
「なら大学になんか行かない」
「いずれにしても今すぐ全ては話せない。俺にも準備をさせて欲しい」
「どうしてそんなに待つ必要があるの? 何を準備するの?」
「梨沙、秘密を知ることは悲しみでもあると言っただろ。お前にも準備が必要だ。俺の全て・・・・を受け入れる準備をな。それと、大学は行けるなら行った方がいい。お前の可能性を引き出すのに必要な場だから。だからお前の受験が終わった後に話したい」

梨沙は息を呑んだ。
"俺の全てを受け入れる準備" と確かに遼太郎は言った。身体の芯にぽっと炎が灯る。

しかし受験が終わるまで1年近くある。途方もない期間に感じた。

「パパが "自分と似ているからって好きになってはいけない" って言ったのは、稜央さんのことを指していたんだよね」

遼太郎は少し間を置いてからやはり静かに「そうだ」と言った。

「俺が全てを話すまで川嶋稜央とも何も話すな。俺からちゃんと・・・・・・・伝えるから」
「私…どうして…」

遼太郎は言いかけた梨沙の、泣き腫らして赤くなった頬に右手で触れると、すぐに両手で包み込んで胸に抱きかかえた。

「かわいそうにな、梨沙。俺を恨んでいいよ。梨沙にとってこんな大事な時期に…」

温かな身体に包まれた梨沙には、悲しみが込み上げてきた。
パパのせいじゃないよ…。
こんなことになったのは、私のせいでしょ…?

パパの全てを知りたかった、私のせいでしょ?

梨沙は首を横に振った。

「恨んだりしない」
「どうして?」
「…全部私のせいだもん。パパも…誰も悪くない」
「梨沙、自分を責めるな」

もう一つ。
梨沙は川嶋桜子への嫉妬の炎で焼き尽くされそうだが、遼太郎の "全てを赦し" た夏希が、それも含めて本当に全てを赦したのだとしたら…。

愛とはなんて過酷なんだろうと梨沙は思った。
母にまだ叶わない自分が悔しい。

でも私も、本当の愛にしたいの。

「私もママみたいに、パパの全てを赦せるようになりたいの」
「赦す?」

しばらく考えた遼太郎は、思い出したように笑った。

「俺は梨沙にも・・頭が上がらないな」

そう言って梨沙を強く抱き締めた。
大好きな匂いを胸深く吸い込むと、たぎるような想いが梨沙の身体中に広がっていった。


***


翌日。
梨沙は学校で、その日何をインプットし何をアウトプットしたのかわからないほどぼんやりとしていた。流石に昨夜の余韻が尾を引いた。

深呼吸を一つして校門を出ると、見覚えのある長身の男子学生がこちらに向かって手を振った。

「梨沙!」

康佑だった。制服姿の彼を見るのは初めてだったから、一瞬結びつかず目を細め見た。

「お前、着拒するなよ! マジでビビるだろ!」

梨沙は唇を噛み締め、横をすり抜けようとした。

「梨沙、待てって」

腕を摑まれ、咄嗟に振り払おうとして、ハッとした。
触れた。私に。

それでも康佑は怯むことなく、今まで見たこともないほどの怖い顔をして梨沙を見つめている。

「わざわざ俺なんかに "ちょっと会えないか" なんて、なんかあったんだろ? 気になって夜も眠れないだろ」
「彼女がいるくせに何言ってんのよ!」

梨沙はやはり振り払おうとするが、康佑は離さない。けれどここは梨沙の学校の門前。康佑は目立たないようにと梨沙の腕を引き、学生があまり歩いてこなさそうな場所に向かい歩き出す。

「彼女が出来たって、梨沙は俺の大事な友達であると思ってるし、相談があれば乗りたいよ」
「だめ。やめて本当に。私が彼女だったら絶対に嫌だ、他の女の子の相談に乗るなんて」
「わかったわかった。でも俺はもうここまで来た。どっか店に入ろう。店が嫌なら公園でもいい。話してみろ」

それでも梨沙は頑なに口を結んだ。しかし再び康佑が彼女の腕を引くと、不貞腐れながらも従った。

ボランティアが手入れをする公園の花壇には、こんな真冬でも福寿草やパンジー、クリスマスローズなど、小さく背丈の低い花々が彩っていた。
砂場では丸々着込んだ子どもたちが玩具を使って遊んでいる。

そんな公園の片隅にあるベンチに康佑が腰を降ろすと、梨沙はカバン2つ分ほど離れて座った。それを見て康佑はやや眉をひそめたが、仕方がないとため息をついた。

「梨沙、話してみろ。もしかしてあの横浜で再会した人のこと? ずっと片思いしてたっていう」

メッセージを送った時までは、チョコレートを渡すついでにその話をしようと思っていた。康佑なら深刻すぎず、でも真面目に聞いてくれるのではないかと思っていた。

けれど康佑に彼女が出来たと知った今は、とても打ち明ける気分にはなれなかった。無論チョコレートだって持って来ていないし、渡すつもりもない。

「梨沙、大丈夫かよ」
「大丈夫じゃない」
「言ってみろって。一人で抱え込むなよ」
「もう、いいの」
「梨沙」

金属的な子供の嬌声が砂場で響き、2人はそちらに目をやった。もう帰るよ、と母親が子供の手を引き、子供たちはいやいやと言っている。

「彼女、出来たの、良かったね」

途切れがちに梨沙は言った。康佑は砂場の方を見たまま、曖昧に頷いた。

「康佑の彼女は、きっと幸せになると思う」

そう言うと、彼は振り向き梨沙を見た。

「本当に、心からそう思ってる」
「何だよそれ」
「かわいい子? どういう所が良かったの?」
「俺の話をしに来たんじゃない」

まだ帰りたくないと駄々をこねる子供を「寒いから帰るよ。風邪引くよ」と言って母親が無理やり自転車の後ろに乗せ、漕ぎ出した。泣き喚く声が次第に遠ざかっていく。

カァ、と頭上で烏が鳴いた。

「つき合うことになったのは…俺から言い出したんじゃない」

結局、康佑は切り出した。

「以前から熱心にアプローチされてたんだ。しばらくそのつもりはないって断り続けていたんだけど…まぁなんつーか、根負けっていうか…」

熱心にアプローチしたら、根負けして自分のものになってくれるなら、なんて楽なんだろう、と梨沙は思った。

康佑にしてみたって、歳頃の男子高校生だ。彼女は欲しい。ただ、梨沙と付き合うという夢は絶望的だ。そういう根負けだ。

「まだ全然、付き合い始めて日も浅いし、よくわかってないんだけどさ…」
「いいじゃない。それだけ好かれて、幸せなことじゃない」

梨沙は康佑の好意を、幸せなことと感じたことはなかった。仮に稜央と再会せず、康佑に熱心にアプローチされたとしても、彼と付き合う自分は想像が出来なかった。

「梨沙は? 横浜で会ったあの人と、その後どうなったの?」
「私さ」

徐々に夕闇に沈む、空っぽになった砂場を睨むように見つめたまま梨沙は言った。

「私が好きになる人と、絶対に結ばれないんだよね」
「えっ…どういうこと?」

喉まで出掛かった。

ベルリンで出逢って、横浜で康佑が一緒に探してくれた彼は、実はねー。


でもやはり言わなかった。言う代わりに唇をぐっと噛み締めた。

「振られちゃったのか?」
「…まぁ…そうかも」

康佑は落ち着かない様子でキョロキョロ、モゾモゾしたが、やがて小さな声でボソリと「まぁ、歳も離れてたみたいだしさ」と言った。

「歳? そうね」

梨沙の言葉に意味はない。

「だからって、一度や二度振られただけじゃさ、自分の好きな人とは絶対結ばれないなんて、決めるのは早すぎるだろ」
「そうだね」

梨沙は自嘲を浮かべた。もはやこのやり取りはどうでも良かった。「寒い。もう帰らないと」と立ち上がった。

まるで康佑の存在なんてはなからなかったかのように、公園の出口に向かう梨沙の背に彼は言った。

「梨沙、俺さ」

立ち止まる梨沙の背中に康佑は続けて言った。

「俺はお前のことずっと好きだったんだよ」

それでも梨沙は振り向かなかった。

「わかってたと思うけど。これもさ、自分の好きな人とは結ばれないってことだよな。俺も梨沙と同じだよ」

梨沙はグッと拳を握りしめた。






#44へつづく


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