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【連載小説】あなたに出逢いたかった #40

隆次の記憶。もう10数年前のことだ。

ギラつく太陽で陽炎が立ち昇り、アスファルトが溶けてその匂いが立ち込めるような、うだるような暑い夏の日だった。

遼太郎が昏睡状態になり病院に運ばれたと夏希から連絡を受け、大慌てでその病院に駆け込んだ。

しかし駆けつけた病室の前に夏希はおらず、代わりにひょろひょろとした不審な若い男がいた。遼太郎が運ばれた際に付き添ってきた男だといい、看護師はその男のことを「息子さん」と呼んだ。

その男は隆次の顔を見るなり逃げ出し、勝手に息子を名乗った変質者だと解釈して隆次は追いかけたが、結局見失った。

その後、隆次は遼太郎や夏希に「妙な男が病室の側をウロウロしていたが、心当たりはあるのか」と尋ねたが、2人は知らないと言い、以降その男について誰も語ることはないし、姿を見ることもなかった。

自分は弟なのに、兄に似ていると言われたことはなかった。背筋も良く筋肉のバランスも取れていて、物腰も何もかもスマートな遼太郎と、筋力なんて程遠いガリガリの、猫背気味で陰湿な自分。輪郭も違うし、実際あまり似ていないと思う。
じゃあ両親のどちらかに似ているのかと言えば、自分も遼太郎もそういうわけでもない。そう考えると、なんか変な家族だな、と隆次は思う。

しかしあの男。確かに息子に見間違われても仕方ないほど、似ていた…かもしれない。もう忘れたけれど。


けれど隆次はそのことを口にはしなかった。根拠がないからだ。


「兄ちゃんは過去に他の人と結婚していた・・・・・・という事実はない」

隆次は改めて、梨沙の質問に対するたった一つの回答をした。梨沙は唇を噛み締め、拳に力を込めた。


「でさぁ、さっきから梨沙のスマホに着信来まくってるけど、ほっといていいの?」

隆次の指摘に、いつの間に落ちていたのか、梨沙は床のスマホを拾い上げた。

メッセージは夏希と遼太郎それぞれからだった。内容を確認しようとしたら夏希からちょうど電話が入った。酷く狼狽した声で『どこにいるの!?』と訊かれ、隆次の家にいる、と告げると安堵したものの、黙って出ていくなと咎められた。

『メッセージ送っても反応ないし、心配になってパパにも連絡しちゃったの。そっちまで迎えに行ってもらうように伝えるから、そこで待ってなさい』

パパが迎えに来るー。
今顔を合わせたら、どんな顔をすればいいのだろうか。隆次叔父さんは否定したけれど、パパがもしかしたら…稜央さんの…。

稜央さんがもしかしたら自分の…。

けれど梨沙にとってショックなことはそこだけではない。
川嶋桜子と遼太郎の関係だ。
2人が愛し合い、稜央が生まれた、かもしれないという事に。

自分の知らない、遼太郎の愛。
アルバムの中の、隣り合って写る2人の姿が梨沙の脳裏をよぎる。

2人の間にどんな視線が交わされ、どんな言葉が交わされたのだろう。
自分も見たことのないような瞳で。 聞いたことのないような声で。

あの大きな手が、柔らかな唇が、桜子の肌に触れるところを想像した。
匂いや息遣い、衣擦れの音、2人の汗ばんだ肌まで再現される。
それは今の遼太郎が、あの頃の桜子と交わるシーン。あり得ないのに、生々しかった。

激しい嫉妬で身体が拗られ引きちぎられそうだった。


ママはこのこと・・・・を知っているのだろうか。
知るわけ、ないよね。

あ、でも。
以前パパはこう言っていた。
夏希には頭が上がらない、彼女は俺のすべてを赦してくれるから、と。
それってもしかして…このことなの?


「梨沙、めちゃくちゃ変な顔してるけど、なんかヤバいことあった?」

梨沙はハッと我に返った。

「パパが迎えに来るみたい…。まるで子供扱いなんだから」
「なんだそんなことか。十分梨沙は子供だし、子供扱いされて嬉しいんだろ。それよか本人に直接訊けよ。パパは昔誰かと結婚してたぁ?ってな」

梨沙が怒ると思った隆次だったが、意外にも彼女は押し黙り、怯えた様子を見せた。

「なに、どしたの?」
「…この話はパパには黙ってて欲しい」

隆次は舌打ちせんばかりに言った。

「言わないよ、下らなすぎて言えるかよ」



迎えに来た遼太郎が新年の挨拶を交わす隆次の横で、梨沙は顔を強張らせていた。

「ママが "気づいたら梨沙が家にいない、メッセージしても返信がない" って血相変えて電話かけてきたんだぞ」
「ごめんなさい…気がつかなかった…」
「隆次の家なら素直にそう言って行けばいいのに」

玄関での2人のやりとりに隆次が間を挟む。

「梨沙の突発的な行動は仕方ないだろ。心配なら首輪付けて繋げておくしかないよな」

その言葉に遼太郎も苦々しい表情を浮かべた。

「とにかく、帰ろう」

遼太郎の腕が梨沙の背中に回ると、ビクッと身体が跳ね上がった。

「…どうした?」
「何でもない…」

2人は隆次の家を後にした。

「なぁ梨沙、頼むから家に夏希がいたら一言いってから出かけてくれよ」
「…いたかどうかわからない」
「ちょっと "いってきます" って声出してくれたらいいんだよ。ママには…」
「わかってる。トラウマがあるから、でしょ?」

遼太郎はため息をつく。

「隆次には何の用があったんだ?」
「別に…最近たまに遊びに行ってたから、新年の挨拶」
「そんな突然、思いつきでか?」
「…」

パパが、あの川嶋桜子と…。
先程の愚かな妄想が蘇る。
やめて!と耳を塞いでうずくまりたくなる。

「梨沙、どうした? 具合が悪いのか?」

梨沙は心配そうに覗き込む遼太郎を見上げ言った。

「パパ」
「なんだ?」
「パパって…なにか秘密を持ってたりする?」

遼太郎は目を細め梨沙を見下ろした。

「…そういうのは言わないのが秘密ってもんだろ」
「あるの?」
「あるよ。大きなものから小さなものまで、腐るほど」

思いの他、遼太郎はあっさりと答えた。

「どんな?」
「言ったら秘密にならないだろ」

そう言って笑った。後ろめたさなどは微塵も感じない。

「ママも知らない秘密がある?」

梨沙がそう尋ねると、遼太郎は不意に左腕で彼女を抱き寄せたので、驚いて小さく叫んだ。
愚かな妄想が再びよぎる。体温、息遣い。

「梨沙、世の中には知らなくてもいいことが山ほどある。知ることは時には悲しみでもある。だから世の中には秘密があるんだ。わかるか?」
「パパの秘密を知ったら、悲しくなるの?」
「梨沙」

遼太郎は真っ直ぐに梨沙を見つめた。そうして彼女の耳元で囁く。

「お前だって俺とのこと、誰にでもペラペラ喋るか?」
「…」
「似たようなものだろ」

身体を離すと、遼太郎はすぐに先程までの穏やかな表情に戻っていた。

「早く帰るぞ。俺、腹減ってるんだ。早く飯食わせてくれよ」






#41へつづく

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