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【シリーズ連載・Guilty】先輩、私がなんとかします! #2

〜春、チェヨンの奮闘


私は野島先輩の抱える問題について考えた。

野島先輩は頭は良いが素直ではないところがある。
島崎先輩が "女癖の悪いやつ" と言い、本人も肯定している。
女性が好きだが彼女をあえて・・・作らない。

…。なぜ。

深く考えていたせいか、スマホが鳴っていることに気づかなかった。姉の番号だ。

「ヨボセヨ(もしもし)」
『チェヨンア、ナヤ(私よ)』
「オンニ(お姉ちゃん)、ウェンニリエヨ(どうしたの)?」

4つ上の彼女も日本に住んでいて、極力日本語で会話するようにしている。だから挨拶が済むと日本語に切り替えた。

『会社勤めはどう?』
「順調。先輩たちはみんな優しい。あ、でも」
『何?』
「変な先輩が1人いる」
『ムォラゴ?(何だって?)』

私は姉に野島先輩の簡単な説明をした。

「…そういうわけで彼は何か問題を抱えていると思う。お姉ちゃんはどう思う?」

姉は韓国の大学で心理学を学んでいた。姉なら何かいいアイデアを持っているかもしれない。
しかしその答えはシンプル過ぎて、ためにならなかった。

『近づかない方がいいでしょう』
「それでは問題解決にならない」
『どうしてあなたが問題解決する必要がある?』
「私のOJTだし、このまま放置していては本当にダメな人になってしまう。それではもったいないと思う」
『じゃあ、あなたが彼女になったらいいんじゃないの?』
「えっっ!?」

その考えはなかった。
第一私は、彼の “罠” にかからないよう、細心の注意を払う必要があると思っていたから。あくまでも "客観的に" 対処するべきだと。

「私は困る」
『でもかっこいい人なんでしょう?』
「うん。絶対韓国でもモテると思う」
『仕事も出来るんでしょう』
「とても出来ると思う」
『じゃあいいじゃない』
「それはちょっと」
『どうして。面白いこと言うね。だったら、放っておくしかないでしょう』
「う~ん、でも。色々方法もあるでしょう。彼女になんかならなくても」
『チェヨンア、そう言った問題というのは多くが幼少期に起因している。だからあなたがちょっと頑張ったところで解決はしない』
「幼少期…」

そうか。先輩の子供の頃の話を聞いてみたらいいのか。

「お姉ちゃん、コマウォ(ありがとう)」
『チェヨンア、チャムッカンマン(ちょっと待って)!』

そのまま電話を切り、明日に備えてベッドに潜り込む。

…そういえば姉は何で電話してきたんだっけ…

ま、用があればまた掛けてくるか…。

Zzz…


***


「野島さんの幼少期は、どのようにお過ごしになられていたのでしょうか」

私は早速、その質問を投げてみた。2日に1回の外回りの休憩時間だ。
先輩がコーヒーカップから口を離した時にちゃんと言ったのに、先輩はまたむせそうになった。

「いつもすみません」

ハンカチを差し出しながら謝る。

「俺は皇族じゃないよ」
「と、申しますと」
「いや…カンちゃんの質問はいつも突拍子がないな」
「そうでしょうか。子供の頃の話は突拍子ないですか?」
「訊き方がね…。なんでそんなこと訊くの」
「気になったからです」
「なんで」
「答えにくいのであれば私から話します。例えばこんな風に。私の子供の頃は、とにかく日本のドラマや歌が好きで、そこで台詞や歌詞から日本語を勉強していました」

私は当時観ていたドラマのセリフや、歌を披露した。喫茶店内はそれほど人も多くなかったので、ちょうど良かった。
先輩は「わかったわかった。もういいよ」と、それでも周囲を気にしながら両手を振った。

「アニメは観なかったの? よく外国人が日本語を何で勉強したか訊くと、大抵アニメって答えるじゃない」
「アニメはあまり観ませんでした。観せてもらえなかったというか」
「そうか。しっかりした家なんだな」
「私の話はしました。野島さんの話も聞かせてください」

そう言うと先輩は窓の外に目を向けた。そして遠くを見るように目を細めた。この表情、この前も見た。

「別に…話すほどのエピソードなんてないよ」
「では質問していきます。お子様の頃、何が好きでしたか? 音楽とか、遊びとか」
「う~ん、あまり遊ばなかったな」
「えっ?」
「武道の稽古をしてたから」
「すごい! カッコいいです。お強かったんですか?」
「いや。むしろ嫌いだった」
「そうなのですか。趣味ではないのですか」
「趣味じゃないよ。無理やりやらされていたんだ」
「そうでしたか」

なるほど。小さいのにあまり遊ばなかったなんて、それは大きな問題だ。しかも嫌いな稽古をさせられて、性格が歪んでしまい、それが今の女遊びに繋がっているのだ。きっとそうだ。

私は閃きのごとく、スッキリと晴れやかな気持ちになった。

「よくわかりました」
「何がだよ」
「野島さん、遊びに行きましょう!」
「…へ?」

先輩は目をまん丸くパチクリとさせた。

「遊びに行くんですよ。どこにいたしましょうか。遊園地がいいですか。お魚が好きなら水族館でもいいですね」
「ちょ…カンちゃんちょっと待って。それって…」
「あ、もちろん今ではありません。お休みの日ですよ。安心してくだい。お仕事を放棄するつもりは毛頭ありませんから」
「カンちゃん、たまに日本人でもあまり使わない日本語使うよね…」

私はもう、先輩の問題が解決するかもしれないと思うと、ワクワクして仕方がなかった。

「いつにしましょうか。日本には梅雨がありますから、モタモタしているとお天気に恵まれなくなってしまいます。善は急げともいいますし、今度の週末はいかがですか?」

野島先輩はしばらく真ん丸に開いた目をぱちぱちと瞬かせていた。その後プーっと吹き出し、大きな声で笑い出した。

「ね、楽しそうでしょう?」
「いや…カンちゃん…そうじゃなくて…」

先輩はお腹を抱え、息も絶え絶えになりながら笑い転げている。

「カンちゃんのデートの誘い方、面白いなって…」
「デート…」

そう言われて、私の顔は火鍋フォグォのように真っ赤に沸騰した。
違う違う違う! そうではないけれど…あぁ、そういうことなのか、と膝を折りたくなる。

「そうではありません! 男女のそれではなくてあの…、何というか、純粋に子供のように遊ぶべきだと思ったのです! 女遊びではなく、もっと純粋な…」

先輩は慌てて「シーッ! 声が大きいよ!」と身を乗り出した。

「すみません」

やれやれと腰を下ろすと、先輩は急に真顔になったので私もハッとした。
しばしの沈黙、私もその空気に呑まれる。

「あ、その、つまり…」
「…もう行くよ。仕事に戻らないと」

そう言って先輩は伝票を持って立ち上がり、サッサとレジに向かってしまった。

何かいけない事を言ってしまっただろうか。

客先訪問中の野島先輩は普段通り、笑顔でアイスブレイクし、仕事の話では真剣な眼差しをして、緩急がついた流石の営業トークを繰り広げた。先ほどの不穏な空気は何だったのだろうと思うほど。

その日の予定を全て終え帰社する途中で、先輩は言った。

「カンちゃん、会社の近くでお勧めの韓国料理屋さん、ある?」
「…はい、いくつかありますよ。韓国人もたくさん訪れる味のいいお店、あります」
「今日仕事終わったら一緒に行かないか? 時間ある?」
「えっ」
「…さっきの話の続きをしようじゃないか」


そこはランチも夜も賑わう店だ。あちこちで韓国語が飛び交っていて、とても落ち着く。
日本人がイメージする韓国料理と言えば、焼肉やキムチだろうか。もちろんキムチは何にでもデフォルトで付いて来るが、私は焼肉メインではないこの店にあえて先輩を連れて来た。韓国にある大衆食堂そのものの雰囲気を持つこの店は、決してお洒落でムーディではない。2人きりとて、雰囲気に流されることはないだろうと思った。

「お勧めはカンジャンセウ、海老の醤油漬けです。あとキンパ。私はキンパが大好きです」
「いいね、旨そう。飲み物はビールでいいの?」
「あ、私は出来ればソジュ(焼酎)がいいです。野島さんはどうぞビールで」
「いや、そしたら俺も同じのでいい」

私はビールは変な酔い方をするが、アルコール度数の強いソジュの方が何故か平気だ。

そんなわけでカンジャンセウにプルコギキンパ、ナムルとユッケの盛り合わせ、ケランチム(卵料理)、マンドゥ(餃子)、鉄板料理としてチュクミ(イイダコ)サムギョプサルを注文した。

グラスにソジュを注ぎ、乾杯する。小さなショットグラスなので先輩は一気に流し込んでしまう。

「野島さんはお酒お強いですよね」
「うん、まぁ。でも酔う時もあるよ」
「そういうレベルなんですね。気をつけます」
「気をつけるって、何を」
「いえ、別に」

私は先輩の空いたグラスに、左手を脇にあて様子を伺いながらソジュを注ごうとすると、先輩はスッとグラスを差し出した。

「今日は素直に従いましたね」
「ここは半分韓国みたいなものだろ。郷に入らば郷に従え、だよ」
「知ってます、その日本語。いい言葉です」

同時に先輩の柔軟さに少し感動した。

料理がどんどん運ばれて来ると、先輩は一品頬張る度に目を見開いて「美味い!」と声を挙げた。

「お口に合って良かったです」

先輩はニコリと微笑んでビニール手袋をはめて、カンジャンセウの殻をを私の分までどんどんむいてくれた。そしてパクパク旺盛に食べた。清々しい気持ちになるほどに。何となく子供のようだとも感じる。
彼は子供の頃に帰ってやり直したいことがあるかのようだ。きっとそうだ。

「野島さん、昼の話の続きとは…」
「あぁ…」
「私、野島さんが怖い顔をしたので、すごく怒ったのだと思いました」
「ごめん。そんなつもりは全くなかった」
「同時にとても悲しそうでした」
「…」

先輩は難しい顔をして、もう手酌でソジュを注いだ。

「どうして子供の頃の話なんか聞きたがったんだろうって、変だなって思ったんだ」
「野島さんは子供の頃は遊んでいなかったと仰いました」
「だから遊びに行こうと」
「そうです」

先輩はまた一気にソジュを煽り、タン、とグラスをテーブルに置いて一瞬、遠くを見た。

たまにそうやって、ここではないどこかを見ている。
何を見ているというのだろう。

「今週末だっけ」

不意に先輩は言った。

「魚はあんまり興味がないから、遊園地の方がいいな」





#3へつづく

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