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【連載小説】あなたに出逢いたかった #9

家に戻り荷物をまとめた。

弓道部のアルバムと、そこに川嶋桜子からの年賀状も忍ばせてあることを確認し、カバンにしまった。

「お祖父ちゃんに挨拶した方がいいですか?」

自室に籠もってなかなか姿を見せない祖父に黙って帰っていいのかわからず梨沙は訊いたが、祖母は「別にいいわよ、寛いでいるから」と言った。
やはり自分はあまり歓迎もされていないし、気に入られていないのだと思った。たぶん、女の子だから。

別にどうでもいい、そんなこと。

「次はパパや蓮も一緒に来るようにします」

おざなりに梨沙が言うと祖母も「あまり期待はしないけど」と言った。

「まぁ気をつけて」

一応、数寄屋門までは見送りに出てくれた祖母だが、門の外に出ると案外すぐに扉の閉まる音がした。梨沙が帰ることに未練も余韻もない。

梨沙は振り返り、大きな家を見上げる。玄関上の灯りがフッと消えた。

遼太郎の口から直接祖父母の悪口は聞いたことがない。けれど以前、叔父の隆次に「兄ちゃんは両親のことめちゃくちゃ嫌ってるからな。だから田舎になんか連れてってくれないだろ」と言われたことがある。それを遼太郎に直接話した時も彼は苦笑いして

『あの家は居心地が良くないんだよな』

と困ったように笑って話していた。

この短い滞在時間で梨沙は、充分に遼太郎の幼少から青春時代を取り込めた。けれどそれは充足感というよりは、どこか不協和音が響く、妙な感覚だった。

トボトボと梨沙はバス停に向かう。

卒業アルバムを救出したら、もう来ることはないだろう。
その時は隆次叔父さんの分も持って帰ってあげようと思った。

駅に着き、ドーナツ屋に寄る。
チョコレートやキャラメルソースのかかった甘いドーナツを2つ買い、電車を待つ間ホームで一つ頬張った。

この店は、遼太郎と桜子が部活の帰りに立ち寄ったり、試験勉強をしに来た店。
あの頃…2人がデートでよく訪れていた頃と、変わらない味。

そんなこと、もちろん梨沙は知らない。

帰宅が思ったより遅い時間になってしまい、家に着くと既に遼太郎が戻っていた。

「遅かったな」

少々バツの悪い思いで梨沙は小さな声で「ごめんなさい」と謝ると、すぐに遼太郎は「怒ってるわけじゃないよ」と笑顔で言った。

「エンジョイして来たんなら充分だよ」

遼太郎の後ろで夏希がこちらに向かって目配せしている。バレてはいないようだ。

「うん、楽しかった」

梨沙はカバンの中にあるアルバムを隠さなくては、と荷物を抱えたまま自分の部屋に入った。

万が一遼太郎が梨沙の部屋に入ってくることを想定し、見つかりにくいところに隠さなくてはならない。それ以上に夏希に見つかるのもまずい。だって "昔の彼女の年賀状" を持ち出してきているのだから。

梨沙はアルバムを、取っておいた包装紙をブックカバーのように包み、もう一度開いてみる。

的前で矢を放とうとしている瞬間の写真。静かだが鋭い目つき。梨沙はそのまま射抜かれる。

梨沙の中で息づき始めた、若い頃の遼太郎がいる。もし今、自分の目の前にあの頃の遼太郎が存在したら、例え悪魔に魂を売り渡してでも手に入れたい、と思った。

ふぅ、と息を吐き、どんな顔して遼太郎と向き合えば良いのか迷う。

「梨沙、晩ご飯まだなんでしょ? 食べちゃいなさいよ。パパが付き合ってくれるって言ってるから」

ドアの向こうで夏希の声がする。ハッと我に返り、アルバムを机の引き出しの一番奥にしまい、部屋を出た。

食卓にはいつもの食事が並ぶ。祖父母の家の質素で薄暗い食卓とは大違いだ。
何故か、泣きたくなる。あの家でパパはどんな思いで過ごしてきたんだろう。

「お前から連絡が来ない日なんて久しぶりだったから、こっちがドキドキしたよ。どうだった? 何して過ごしてたんだ?」

向かい合わせに座ってビールグラスを傾ける遼太郎がにこやかに話しかけてくる。

「うん…夜はみんなとカードゲームしたり…ベルリンの話を聞かせてあげたりしてた。昼間はみんなで買い物に行った」

遼太郎は嬉しそうだ。友達とそんな風に普通に・・・過ごしてくれることが何よりも嬉しい。
普通を求めるわけではないが、普通にしてくれると安心する。安心と言いながら本当は楽をしたいのだ。人間は所詮そんなものなのかもしれない、と遼太郎は少々寂しい気持ちになる。

梨沙はあまり遼太郎と目を合わせられない。嘘をつくのが苦手だし、この2日間で吸収してきたことは、現在いまとはあまりにも乖離がある。

「パパ、あのね」
「…なんだ?」

機嫌が良いのか、遼太郎は始終にこやかだ。夏希は風呂に入っている最中、蓮は自室にいる。いつもだったら襲いかかるところだが、今夜は違った。

「京都に行った時、パパ、学生の頃の話してくれたじゃない?」

一瞬宙を見て考え、うん、と遼太郎は頷いた。

「弓はもう引かないの?」

遼太郎は、思いもよらない事を言われて一瞬呆気に取られたようだ。

「弓か…もう長いこと引いてないからなぁ…。背筋も落ちてるだろうし」
「Lukasを日本に呼んで、勝負してみてよ」
「何だよ唐突に」

可笑しそうに笑う。

「パパが弓を引いているところ、見てみたいの」
「どうして急にそんなこと?」

梨沙はハッとし、懸命に言い訳を考えた。

「…友達の家でその子のパパが…学生の頃に武道をやっていたっていう話になって…うちのパパは弓道をやっていたよって話したら、みんながカッコいいって言ってくれて…」

それを聞いた遼太郎は、照れくさそうに口をムズムズと動かした。女子高生にカッコいいと言われるなんて複雑な気持ちだ。

「そうは言っても…弓はおろか矢もないからなぁ…」

顎をさすりながら遼太郎はどこか遠くを見ていた。弓道部時代の事を思い出しているのだろうか。

「実家に行ったら弓は残ってるかもな…でも引けるのかな」

実家、と言う言葉が出てきて梨沙は焦る。バレないようにご飯茶碗に逃げ込む。

「矢もどうだろう…大学からそんなに腕の長さは変わってないはずだけど…」
「腕の長さ?」
「矢は自分の腕の長さでカスタマイズして作ってもらうものなんだよ」

遼太郎は穏やかな表情を浮かべ、再び遠くを見た。戻した記憶の中に "川嶋桜子" はいるのだろうか。

「梨沙も弓、引いてみるか?」
「えっ、私が? 出来ないよ、そんなの」
「最初は誰だって出来ないものだよ。興味はあるか? 蓮の弓はバイオリンだけど、梨沙の弓が弓道だったら、ちょっと面白いな」
「ネタのため?」

遼太郎は笑って「冗談だよ」と言った。

「パパが教えてくれるならやってみてもいい」
「う~ん、教えるとなると場所がなぁ…。じゃあ今度、射法八節を教えてやるよ」
「しゃほうはっせつ?」
「弓を引くための所作が八つ定められているんだ。ゴム弓があれば部屋の中でも練習できるから、それくらいなら今度買ってくるよ。もし俺も引くなら事前にゴム弓でならさないといけないからな」
「うん…じゃあ、お祖父ちゃんお祖母ちゃんの家に行ったら、弓引くところ見れるの?」
「残っていれば、だけど」

遼太郎は黙り込み、さっきとは異なる表情を浮かべる。恐らく今は実家の、あの忌々しい暗澹とした空気を思い出しているに違いない。
梨沙は話題を変えた。

「そういえばパパ…その頃…一目惚れした人がいたって」






#10へつづく


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