見出し画像

適応障害になってしまいました。

こんにちは、とても久しぶりの投稿です。
以前も何個か記事を投稿していましたが、恥ずかしくなり下書き状態にしてしまいました…スキボタンを押してくださった方には申し訳ないですが、ご理解いただけると幸いです。

今回は適応障害になってしまったことと、私の自己紹介もかねてどんな人生送ってきたかを軽く書いていきたいなと思います。

これまでの経歴

私は大学を2年ほど休学し、その末に退学。
その間はバイトはなんとか行けていたので、フリーターのような生活をしていました。
今思うと、この時も適応障害だったのかな、と思います。大学は行けなくなったけど、ある程度嫌いではなかったバイトは出来ていたので。
当時は適応障害という言葉も知りませんでした。
病院には行ってみたけど、自分がどういう症状なのか怖くて聞けませんでした。また、薬の副作用の辛さから飲み続けることができない上に、辛い気持ちからカウンセリングで親への恨みつらみを吐き出しては泣いてを繰り返す厄介な患者でした。
自分が良くなるビジョンも見えず、通うことをやめてしまいました。

私としては人生最大の不幸であると思うのですが、親の存在が信頼でき安心できる環境ではありませんでした。俗に言う毒親の一種だと思います。なので、離れたい一心で一度祖父母を頼り同居させてほしいとお願いし、環境を変えることに成功しました。

しかし、カエルの子はカエル。親が信頼できる存在でなければ、その存在を作り出したのが祖父母でもあり元凶であることに、当時の私は気付けませんでした。環境が変わったことである程度回復したように思えましたが、祖父母と距離が近くなったことで知りたくなかった一面を知り、また私にとっては許し難い言動を繰り返すようになったため、いわゆるうつ状態が再発していきました。

ただ、そんな祖父母から離れたい一心で、大学中退の頃の経験から自分の状態がおかしいとは思いつつも、なんとかフリーターをしながら、転職活動をし、正社員になりました。

正社員になったものの、きちんとした社会人経験もないことから不安は膨らんだまま、誰に相談したらいいのか、どう相談したらいいのか、誰を頼ったらいいのかわからずに過ごし、入社して一年経ち、祖父母から距離を取らなくてはいけない状況になり、引越し。また、同時期に仕事の現場も変わり、最初こそ頑張っていたものの、担当していた仕事が落ち着いた次の週、突然ベッドから起き上がれなくなってしまったのでした。

そして1週間近く眠ったり眠れなかったり、仕事に行けるか行かないか毎日自分に問いながら、でもベッドから動けず病院に行きたいけど行動に移せず…という状態が続いてしまいました。

ちょっと休めたおかげで、このまま有休消化するだけでは回復はムリだ、と判断出来るようになり、やっと病院に行くことができました。
そこで、適応障害と診断され、休職することになりました。

適応障害になった大きな原因は仕事にまつわる事が大きいですね。
不安を常に抱えていたけど、うまく相談することも、リフレッシュすることもできず、自分の中に抱え込み続けた結果、爆発してしまったものだと思います。
どうしたらよかったんだろうと、たらればを考えてしまいますが、起きてしまったことは起きたしまったこととして、受け入れられるといいな、という気持ちもありつつ、それがうまくいったら苦労しないよ…と言う気持ちもありつつ。が現在の状況です。

注意とお願い

この記事を見てる方ならお分かり頂けると思うのですが、こんな状態になるまで無理をしてはいけないです。もし「無理してるかも…でもまだ大丈夫」って思う方がいたら、病院へ行くことをお勧めします。まだ大丈夫がいつまで保つか、自分では意外とわからないものです。
私を反面教師にして、どうか自分を大事に生きてください。お願いします。
私はお金がないことを理由に病院へ行くことを先延ばしにしてしまいましたが、自分を大切にするために、早く行けばよかったな、と思います。

おわりに

長々とした文章でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
今回はいったんここまでにさせていただきます。

もしよければ、スキボタン押していただけたら励みになります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?