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「当たり前」を忘れない私でいたい

ようやく、風が心地よくなってきた。

今年の夏は妙に長い。暑さにめっぽう弱い私からすれば「夏が終わってしまう」そんな感傷に浸ることは、まずない。ようやくやってくる過ごしやすい季節への歓迎と、それと同時に少しホッとしている自分もいる。

夏の次には、当然秋が来ると信じていたし、これまでずっとそれが当たり前だった。

だけど、あまりに長く続く残暑。

ちっとも下がらない週間予報の最高気温に「もしかしたら、今年は秋が来ないのかもしれない」そんな不安を人知れず覚えていた。だから、窓から入ってくる風が肌に触れる度、今年もまた「当たり前に」やってきてくれた秋に、ホッとしている。

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忙しく過ごす日々の中でも、そんな「当たり前」を思い出す時間が必要だなと最近、強く思う。

つい物事の改善点にばかり目が行ってしまう私は、繰り返される「今」や理想の「未来」だけを見ているとあっという間に苦しくなってしまう。だから時々、今となっては「当たり前」となった「過去」を思い出す時間が、そんな私の不安定な心を安定させてくれる。

そんな風に、自分の心の声をノートに書くようになって、もうどれくらいが経つのだろう。随分と経ったような気がする。

中身はただの日記だったり、叶えたい夢だったり、怒りに任せて書き殴った言葉やどうしようもない絶望だったりと多岐にわたる。ただ、その時に浮かんでくる言葉を紙に書き綴りながら、いつの間にか「当たり前」になった「過去」を思い出す。


「もっとこうしたい」という仕事の展望を書きながら、仕事がろくにできなくて悔しさでいっぱいだったあの日々を思い出す。

余裕のある暮らしでないことを嘆きながら、ギリギリの生活を送っていた不安だらけだった日々を思い出す。



よくある語のように、大逆転の人生なんかじゃないけれど、それでも私の生きる世界はゆっくりと、でも確実に変わってきている。

いつの間にか、あの頃欲しがっていたものを手に入れていたり、そして今度はその先を見ている自分に気付く度、驚きとほんの少しの自信が芽生える。

「大丈夫。ちゃんと叶えているよ」

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つい「当たり前」に思えてしまうことも、本当は「当たり前じゃない」ってこと。

その事実に気付く度、また1つ自分が好きになれるような気がする。だからいつか、そんな今日を「当たり前」と思うようになったときも、きっと私は同じようにノートを開いているのだろうと思う。

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