「トロッコ問題」と歴史学習法
最近話題の「トロッコ問題」
「暴走するトロッコをそのまま放置しておくと5人の作業員が亡くなるが、線路を切り替えると5人は助かるが別な1人の作業員が亡くなる」というもの。
被害を軽減することと引き換えに、自分のせいで死ななくてもいい人を死なせてしまう「罪悪感」をどう捉えるかという問題です。
実際の私たちは、これほどの重大かつ緊急な状況に直面することはほとんどありません。
だからいろいろな意見があってもいいと思います。
でも歴史に登場する人物の中には、このような切迫した状況で苦渋の決断をした人たちもたくさんいたと思います。
歴史を学ぶ時、この視点はとても大切です。
歴史上の人物がトロッコ問題と同じようなジレンマを抱えながら、「線路の切り替え」を行った可能性を常に考えておきたいということです。
例えば「井伊直弼」。
「不平等条約の無勅許調印」「安政の大獄」などで悪役イメージが強い人物です。
でも、外国の脅威の前に何もしなければ、この国が無くなっていた可能性もあります。
天皇の命令に背いてまでも、条約を調印したのはなぜか。
恨みを買うとわかっているのに、安政の大獄で反対派を強引に排除したのはなぜか。
「日本」の滅亡を回避する「切り替えスイッチ」を握ってしまった彼が、自分の責任のもとでトロッコの進路を変えたのだと私は思います。
多くの国民とこの国を救うために、吉田松陰や橋本左内を犠牲にするしかなかったのではと。
もちろんその責任は自分が負うという覚悟の上だと思います。
井伊直弼は桜田門外の変で命を奪われますが、そうなることは彼も納得していたのではないでしょうか。
自分の命を含めた多くの犠牲を払ってでも、あの時欧米列強との戦争を回避する道を選んだのではないかと思うのです。
もちろんそう決めたのはこの国を守るためです。そんな彼を後世の日本人が貶めるようなことがあってはいけないですよね。
歴史上の人物はその人のとった行動で良し悪しを評価されます。
でも、その人が何もしなかったらどうなっていたのかという視点はあまりないですね。
このように「線路の切り替えスイッチ」を担った人物のジレンマに目を向けると、心が動く学びになるのではないでしょうか。