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リタイヤ後を考えたら仕事がそこまで嫌じゃないことに気付いた話

仕事が嫌なことだとつい考えてしまっている

金曜日ですね。

社会人生活も20年目ともなると、週の最初から週末までのペース配分というのはある程度分かっているので、週のはじめは出来るだけ抑えて週中くらいからギアを上げていく。で、金曜日には残りの力で凌いでいく、という感じです。

ただ、そうは描いていても週のはじめに一気に仕事が来てしまうこともあるのでこちらの想定通りにはいかない。そうするとデスウィークの始まりです。

多分学生の頃だったら講義サボったりバイト遅刻しちゃったりみたいな体調でも、こちとらプロフェッショナルですからどうにか起きる。どうにか仕事する。

こんな風に出来るものかと大学卒業前は酷く不安だったのですが当時の自分からするとやれていることに驚くんじゃないかと思います。

ただ、それでも仕事ってなかなか負荷にはなっていて、誰しも「仕事辞めたい」っていう想いはどこかで抱いているとは思うんですよ。経済的な理由とか、家庭環境の問題でそんなことは現実的じゃないから多くの方が踏み切らないですけどね。

YouTubeのアニメ動画だとそういう葛藤とか一切なしでバックれる筋書きのやつが多くて「いやいや、そんなに簡単に辞められねえよ」って思うこともありますけど。ちょい話逸れましたが。

嫌なお客様はどこにでもいるし、無茶な要求を社内外からされることもある。締め切りもノルマもある。大して稼げない。人間関係がクソ。とにかく仕事ってネガティブな面を挙げ始めたらキリが無くて、普段仕事しているとそっちばっかり見えてしまう。

ただ、ふと思ったんですよ。
そこまで仕事って嫌なのかな?
って。

あれほど嫌だと思っていた勉強は社会人になってもしている

いやね別にこれは私、無理やりプラス思考になろうとしている訳じゃないんですよ。

巷に居るじゃないですか。
あと本とか溢れてるじゃないですか。

プラス思考になろう!
ポジティブシンキングしよう!的なやつ。

あれってあの本を手に取ってる時点でネガティブ野郎だし、根っからポジティブに成れない人がたどり着く先だと思うんですね。だからネガティブ野郎はどこまで行ってもネガティブから逃れられない。

でもね、今考えたことっていうのはネガティブをプラスに転じさせようとして、悲しい顔をしている人に対して不気味な笑顔ですり寄っていく例のやつじゃないんです。

というのも、学生時代のことを思い返したんですよ。

あの時、勉強って死ぬほど嫌だったし辛かったじゃないですか。親に超怒られながらって人も居るでしょうし、怒られたくないからっていう方が勝ってた人も居ると思いますけど、勉強なんてものは嫌だという想いを振り払って頑張るものだったと思うんです。

「勉強楽しい」って言ってる子居ましたけど、変な目で見られてましたからね。それにしてもあれ本心だったのかなぁ。もう再会しないと思うけど。

私は小学校の頃に勉強というものを始めた時から常に思っていたのは「とっとと大学に合格して、勉強に追われる生活を1日も早く終わらせたい」ということでした。

私がその日からやってたことって、ひたすらハムスターがぐるぐる回るやつで走り続ける行為だったんですよ。何かに追われて、怯えて、嫌なことをひたすら頑張る。

でも。

大学に入り。
社会人になり。

それでも私は30歳くらいまで絶えず勉強し続けてたんですよ。

あんなに嫌だと思ってた勉強って、モノによっては自分に必要だし、必要なことが出来ると次のステップに進めるし、自分が前に進んでいる気がするし、何より周囲にも認めてもらえるし。

勉強って、自分が思ってるほど嫌なことじゃなかったんです。

これって多分多くの人が通る道だと思うんですけど、大学を出てから勉強が必要だと気付いて「ああ、学生の頃にやっておけばよかった」と後悔するっていうパターン。

それで、社会人になってから自分で稼いだお金や少ない時間を使って勉強に勤しむっていう人も、結構多いと思うんですね。

勉強だけの生活をしている時って気づきにくいんですよ。
嫌なことばかりじゃないってことに。

仕事のプラス面に相当支えられて生きている

で、本題に戻ると、仕事もそれと同じじゃないのかなぁって。
そこに気付いた理由が、自分がリタイアした後のことを考えたことでして。

仕事をしている自分が居なくなって、完全に仕事から離れた時に、自分って楽しいのかなと思うとかなり疑問だったんですね。

いや、あの私は別に趣味が無いわけじゃないし、友達が居ない訳じゃない。仕事の面の自分が居なくなった時に何もない自分になることが怖いってことではないんですよ。

家庭があって、趣味があって、それなりに楽しくても、仕事があって組織の中に自分が存在して貢献できているっていうことを超える楽しさや誇りや充実感って得られないと思っちゃったんです。

見ようによっては社畜の発想かもしれないし、充実感より辛さの方が先に来るっていう方が居ることも承知しています。だからこれって全員に共感してもらいたいっていう話ではなくてあくまでも私の話。

ただ、ひょっとしたら私と同じようなタイプの方が同じように必要以上に仕事の嫌な部分ばかり見えていて、ネガティブになってたらもったいなぁと思ったということなんです。

あと、別に仕事の嫌なところは消えないしストレスがチャラになる訳じゃない。リタイアした後の方がはるかに身軽だし、その日を指折り数えて楽しみにしているタイプの方だって責任感や達成感みたいなものが無いわけじゃないと思っていて、そこが無くなった後の人生って喪失感みたいなものは少なからずあるんじゃないかなと。

仕事の無い自分が現実味を帯びてきたから分かること

考えてみると私もそろそろ42歳になりますけど、リタイアって言うほど遠い未来じゃない訳ですよ。新卒の頃から振り返ると長い時間を掛けて、いろんなことを経験して、いいことも悪いことも一杯あって、でも短くもあって。

だから、仕事が無い自分っていうことにリアリティが出てきたんですよ。

そうなった時に、縁側でお茶すすりながら達観したように「ほっほっほっ」って言ってるおじいちゃんみたいになれる自分がまるっきり想像できなかった訳です。

私の父が会社を経営していて、個人商店みたいなものだったんですけど脳梗塞で倒れてから殆ど仕事が無くなって、その時60前で退職金も老後の貯えもある訳じゃないっていう事情もさることながら、世の中に自分が必要とされていないっていうことが何より辛かったみたいで。

仕事の無い自分、充実感や責任感を得られないことに対する葛藤から解放されたのって本当に亡くなる前だったんですよ。父は73で亡くなったから多分70超えてからでしょうね。

それを見て、やっぱり仕事って辛いこともあるけど自分を構成する大切な一部というか、相当大きな部分を占めているんだろうなぁと思ったのです。

仕事をリタイアした後で私の場合は多分、今くらいの時期が一番楽しくも大変な時期だったと振り返ることになるのでしょう。そういう環境に身を置けることはありがたいことじゃないのかなぁ。

だから、サザエさん見ても心がキュッとなる必要はないんです。サザエさん最近見ていないですけどね。

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