「頑張っている」ことはプロとして成果が上がらない理由に出来ないという話
頑張っていれば仕事がイケてなくても許されるのか
少し前にこんな話を聞きました。
(ただ、事実から脚色している部分があります)
とあるプロジェクトで納期が迫ってきているのですが、中心メンバーのタスク管理が出来ておらず、数か月に亘ってプロジェクトマネージャーが計画に基づき対応するように尻を叩いても一向に動いてくれない。
仕方がないので彼のサポートをすべく別の人に参入してもらいこの危機的な状況を脱しようとしています。既に納期は一度延期になっていて、しかも違う人が入ってくるからプロジェクト的には大赤字。
マネジメント側とこの「彼」がミーティングをした際に当然ながらタスク管理が出来ていない点についてかなりキツく指導したのですが、それに対して彼は激昂。
「私だって一生懸命頑張っているんですよ!」
こう聞くと一生懸命頑張っている人に対して無理に仕事をさせているようにも聞こえることがあります。「頑張っている」という言葉は感情的な部分を刺激するんですよね。
しかも、それを怒りながら言われると更に感情的な部分が刺激されて、なんだか言ってるこちらが悪者のような感覚さえ抱くこともあります。感情って理屈をすっ飛ばす謎の力がありまして、仮に正しくないことを言われていても勢いで色々有耶無耶になることもありますから。
あとこの「彼」、結構いい歳なんです。
そういう人に言われると猶更正しさとは何かが分からなくなります。
同じような言葉に「汗水たらして」という表現があります。うちの父がこれが大好きで、多分実家が農家だったことから頑張ることに対するリスペクトがあったんじゃないかと思うのですが、故に株とか投資とか嫌いで、地道な努力、地に足を付けた頑張りみたいなことを大事にしてきたように感じています。
頑張っていても登場人物全員損してたら意味がない
ただ、仕事をして感じたこと。
そして教えられたこと。
それは「頑張りが評価されるのはアマチュアまで」ということです。
仕事というのはお客様が居て、それを請け負って行う自分たちが最低限存在することになります。場合によってはお客様とは異なる別の業者が間に入っていることもありますが、少なくとも二者は居る訳です。
仕事のゴールは、期限内に与えられた業務を要求する品質以上で提供すること。それに対して対価(お金)が支払われます。
さて、先ほどの「彼」のケースを振返るとこのゴールは満たされているでしょうか?問題点を挙げます。
・最初の期限が守られていない:
お客様との約束が守られていないということで、お客様がこの時点で全く幸せではありません。
・要求する品質でサービスが提供されていない:
お客様の元も得るサービスが提供できていないことから納期が守られていないわけですから、この点についてもお客様は幸せではありません。
・その結果、赤字になってしまっている:
納期を満たせなかったことによって予算が予定よりもかかっており、この点については自分たちも幸せになっていません。
つまり、彼は仕事のプロであるにも関わらず登場人物全員が損をする結果を招いてしまっているということです。
仕事というのは登場人物全員が幸せになることが求められます。
質の高いサービスが提供できればお客様が幸せになりますし、お客様から多くのお金が得られたら自分たちが幸せになります。片方のみが幸せになったら継続的な関係性は得難いところでしょう。質の低いサービスを求めるお客様も居ないし、儲からないサービスを提供し続けることは無駄だからです。
そういう意味で考えると、「彼」の対応はどちらも幸せにしていないことになります。この時点でプロとして失格と言えます。
「頑張っている」と言う前に出来ることがある
さて、ここでこの問題をややこしくしているのは「頑張っている」という「彼」の主張です。全員が不幸になっても「頑張っている」のであれば不問にして良いのでしょうか?
仕事のプロである以上「頑張っている」という主張は禁句です。
感情論にお客様を巻き込んではいけないからです。
繰り返しになりますが、仕事のゴールは期限内に与えられた業務を要求する品質以上で提供することに他なりません。
ましてや仕事が計画通りに進んでいるか管理されているにもかかわらず、「彼」はそれを無視していますし、難しい状況であることが見えながら誰にも相談していない。
つまりこれは、もっと早い状況でテコ入れが可能だったと言えるわけです。
案外仕事の中で大事なのは「出来ないことについて出来ないと分かった時点で声を上げる」ということだと思います。ただ、様々な職場を経験した中で感じるのは案外これが出来ない人は多いということです。
当初の計画通りに進まない、サービスの品質が低くなってしまうといった問題が見えた時点でそれらの問題を共有しなければなりません。頑張っていると主張する前に、こうした根本的な問題に向き合わねばなりません。
声を出せない環境も存在するとは思いますが、だとするとそれは職場の問題です。今回のケースのように声を出せる環境にある場合でも何故か開示してくれない、進捗通り進んでいないことに対して尻を叩かれても無視してしまう人が居れば大きな問題です。
取り返しがつかない状況になる前にプロとしてすべきことは「頑張っている」という禁句を言うことではなく、何が問題か、何故うまく進まないのかを共有することです。
仕事のゴールという基本的な考え方と「頑張っている」ことはまるで話が別であることを私たちは改めて理解しなければならないと思います。
日本のサービス業が優秀なのは皆が「頑張っている」からではあるが…
ただ、個人的には日本のサービス業が極めて優秀なのは一人一人の頑張りによるところが大きいと思っています。
サービスの対価として本来求められていない範囲のところまで頑張っているからこそ私たちは快適なサービスを享受出来ていることは間違いありません。
どこのチェーン店に行っても店員さんは常に立っていますし、笑顔で出迎えてくれます。客を待たせることは基本的に無いですし、何か不備があれば誠実に謝罪してくれます。
これはあくまでも分かりやすい話ではありますが、日本のサービス業にはこのようなマインドが根底にあるので、どんな仕事でもとにかく頑張ってくれる。
そしてこれは本当に良くないことですが客側が頑張りを強要しているところがあります。いただいている費用に対して多くを求められる。そしてそれを「やる」と言ってしまう。だからこそそれを穴埋めするのは頑張りの部分に委ねられる訳です。
言い方が悪くなりますが、提供する商品やサービス面で大きな差が付けられないから会社も客も頑張りを求める。頑張りでしか違いを生み出せない。これ本当に問題だと思います。
もしかすると仕事が思った通りに進まない、成果が上がらない時に限って「頑張っている」と言いたくなってしまうのはこのようにサービスの対価以上にお客様から頑張りを求められ、自社もそれを認めていて、それが普通だと考えられているところも作用しているのかもしれません。
個人的にはこの「頑張り」に依存したシステムから脱却を試みた結果が現在の日本の競争力の低下につながっているのではないかと考えています。
だからと言って頑張りがゴールを満たさないことの言い訳にはならないですし、頑張りを理由にお客様が納得してくれることもありません。そこは理解せねばならないところです。
必要以上に頑張りを求める社会的な風潮は変えねばなりませんが、プロとして仕事に向き合う上で大事なのは頑張りを主張することではなく、成果を出すために最大限に努力することではないかと思うのです。
追記:先日のサッカーのゴールに関する記事をnote公式マガジンに採り上げていただきました。
記事はこちら。
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