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「学校の宿題は生きる力を身に着けるために必要である」という話

新企画「お悩み相談室」に5つ目の相談が来た!

「お悩み相談室」という企画を始めてもう4件回答してきました。

どれだけ需要があるかはわかりませんが、皆さんからいただいたものは42歳兼業スポーツライター/相撲ライターであり外資系IT企業に勤める社会人20年目の西尾克洋さんが可能な限りお答えします。

何しろネタ成分が強く、どうしても笑いに走りがちな性分なもので、真剣な回答の時とお笑いの時とのブレ幅が広がってしまうかもしれませんがそこはご容赦ください。

少し前に夏凪めぐりさんからご相談いただき4回目の記事を上げました。テンション上がって前編と後編に分けちゃいました。

案外簡単なネタを拾って、そこから私の持つやり方で加工していくという回答をしておりますが、これって多分人の数だけ方程式があるんですよ。それを見つける旅だと思うんですよね。まぁ私のやり方って結構私の中では簡単なので一度試してもらえたら嬉しいかなって。

って内容をアップしたら、夏凪さんもアンサー記事を作ってくれました。ありがとうございます!

これはね、何が嬉しいって16歳の方が私みたいな42歳のライターっていう肩書のあるおじさん相手にアンサー記事出すってことがそもそもすげえプレッシャーの筈なんですよ。実際かなり苦しまれたみたいですしね。

でも夏凪さんはそこに向き合って、これ一本出してきた。こんなに嬉しいことないですよ。ありがとうございました!

そして5つ目の質問をいただきました!(わっしょい!)

テーマ:何故宿題をしなければならないのか

今回の質問者はゆうたさんです。
ありがとうございます!

最近「実は私xxなんです」というリレーエッセイでこんな記事を書かれていまして。

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そうなんです。夏休みの宿題をやってないんです。それでどうやって乗りきったかというと、毎日持ってくるのを忘れたといっているとそのうち呆れられて何もやらなくて済むんです。でも、この方法は成績に響くのであまりオススメしません。

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でも今でも基本、夏休みの宿題をやる意味が分かりません。ただ本当に成績がやばくなるので子供がやりたくないと言ってもやらせたほうがいいと思います。

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ここから派生して、今日のテーマは「何故宿題をしなければならないのか」ということで行ってみたいと思います。

学校で勉強すると、生きる力が身に着く

これについては「何故学校で勉強しなければならないのか」ということから始めなければならないと思います。

まず今回は私の回答ですので、これが世の中の全てに通じるものではありませんが、一つの見方だということを念頭においてください。この記事を受けて皆さんで考えてみるのもいいと思います。

これについては、明確な回答があります。それは「生きるために必要な力を、かなりの人数が身に着けることが出来るから」だと思っています。

恐らく学校の勉強と聞いて、何を身に着けられるか?と問われると恐らく多くの方が「知識」だと回答されるはずですが、それだけではありません。

私の中でぱっと思いつくだけでこれだけのものが挙げられます。

・論理的思考力(国語、数学、理科)
・読解力(国語、数学)
・説明力(国語)
・各種テクニカルスキル(英語、技術系科目)
・記憶力(すべて)

これらって、生きるために必要な力なんですよ。得られるのは、単純に知識だけじゃない。しかもこれは授業だけですからね。それにクラブ活動とか普段の学校生活の人間関係とか入れたら書ききれないほど多くのものを得られるんですよ。学校っていう組織に組み込まれて生活するだけで。

あとね「こんな勉強したところで将来使わない」って言うじゃないですか。これはね、昔の映画「ベスト・キッド」とかドラゴンボールの亀仙人の修行みたいなもので、雑巾がけとか田畑を手で耕すみたいなことが、回りまわって闘う力を付けるみたいなところに役立つわけですよ。

例えば読書感想文なんて意味が無いって言いますけど、一つのストーリーを読んで、そこから考えて、自分の感じたことを説明する。これだけの中に幾つも生きるための力が養えるようになっている。

そうやって考えると学校でやっていること、特に授業に関しては何が身に着くかを考えて自分の中で咀嚼してやってみると、本当に力が付くんです。アレと同じです。ラジオ体操。

ラジオ体操って本気でやると本当に疲れるんですよ。だけど、子供の頃ってあれだるそうにやるじゃないですか。だから楽な代わりに体操に全くなっていない。

まぁここから言いたいのは、学校で勉強することっていうのは単に知識が付くだけじゃない大きな意味があるということです。

「勉強しなくていいけど、ハードモードになるよ」

ただ。

最近は特に顕著ですけど、様々な理由から学校という環境でそれらを学ぶのが辛いという方も居ます。このような方が決してこれらの力を身に着けられないという訳ではないんです。

私が会ってきた方の中にも大学とか出ていないのにものすごく仕事が出来る人も居ますし、いわゆるFラン大学と言われるところに通われていたという方も居ます。

その方たちが秀でている点は大きく分けて二つあると思っています。

・問題解決力:相手が何を求め、どうすればいいかを考え、伝わる形で提示できる

・対人スキル:相手が何を考えているかを瞬時に察知し、的確に行動できる

うちの妻は専門学校までしか出ていませんが、対人スキルが際立っているタイプです。そして私の上司筋の人たちは問題解決力が共通して突出していました。こういうものがある人は、私の中ではあまり勉強は必要ないと思っています。

妻も言っていました。「高校の頃にバイトしたら結構出来るじゃんと思って、そこから勉強は捨てた」と。

こういうものって学校でも身に着けられるんですけど、学校ではないところでも学べるんです。

ヤンキーとかキャバ嬢の人が対人能力が高かったり、相手のことを手玉に取れるのって学校ではないところで出会う人たちに揉まれる中で生きる術を身に着けたからですよね。これはすげえと思います。

要するに、学校に行かなくても生きる力は身に着くけど、難易度は跳ね上がるということです。だから私の周りで勉強なんて意味が無い、学校には行きたくないと言う人が居たら言いたいのは

「行かなくてもいいけど、ハードモードになるよ」

ということです。
つまり、それなりの覚悟が必要だということです。

学校生活や勉強って、生きる力を出来るだけ簡単に身に着けるために進化していったものであることは間違いありません。だからね、単に「いやだから」とか「だるい」みたいなのが先立っているのであれば、我慢した方が絶対身のためです。それをしないとより厳しい環境で生きる力を養うことを余儀なくされるわけですから。

案外ヤンキーとか陽キャとか言われる人たちが学校生活ではダメダメでも生きていけるのに、陰キャと言われる人たちが一度ドロップアウトすると社会復帰しづらいのって生きるために必要な力を身に着けられていないことに起因すると思うんですよ。

だから、陰キャほど学校生活は必死にやっていった方がいいですよ。本当に。

宿題は学校側からの救済措置である

ということで宿題をしなければならない理由でしたね。

学校に行くということが生きる力を身に着けるために非常に手ごろで、多くの人が受け入れやすい方法だということが分かれば、そのシステムが提示する手段に反旗を翻す理由はあまりないとは思いますが、これも私の見解を説明しようと思います。

学校が生徒に課しているゴールとは何でしょうか。それは、卒業に必要な学力やそのほかの力を身に着けることです。

そのための手段として宿題を課すということが挙げられます。

元塾講師の立場から言うと、宿題って別に生徒に嫌な思いをさせたくて先生が出している訳ではないです。あれは、学校側からの救済措置だと思ってください。

逆に考えてください。宿題が無かったらどうなるか。勉強しない人は勉強する理由が完全になくなるじゃないですか。普段から勉強しない人の中に一定の割合で授業についていけてない人やついていけない一歩手前の人とか居ますよね。

宿題の内容って基本的に躓きやすいところなんですよ。それを忘れないように、知識を定着させるためにやるんです。

あれをすることで今まで理解していた人は更に理解するし、理解が今一つ出来ていなかった人はちゃんと理解して次の単元に移れる。それを学校側がシステム的にやってくれるんです。これを救済措置と言わずに何というんでしょうか。

教師としても宿題なんて無きゃいいと思っています。わざわざ出したものに目を通さなきゃいけないし、やらない生徒を叱らなければならない。だけどそれをするんですよ。

何故かって?授業のプロとして勉強に躓かせたくないし、自信を失わせたくないし、ドロップアウトしたらハードモードになることは目に見えているからです。

だからこそ、個人的に思うのは勉強が嫌いな人ほど宿題はした方がいい、ということです。その方が後で時間が掛からないし、ハードモードに行かずに済むわけですからね。

授業を理解している人でも宿題をした方がよい理由

そう考えると、授業を余裕でついていける人が宿題やりたくないって言うのは理解できますし、その通りだとも思います。逆にやりたくないって言って筋が通るのはこのパターンだけですよ。教師の立場からするとね。

例えば大人になってから学校で九九の授業を受けて、宿題として九九暗唱って課題出されたらやらないと思うんですよ。だって、そんなことしなくても出来るんですから。まぁこれは極端な例ですけど、これについても個人的には宿題をしないっていうのを定着させるべきではないと思っています。

というのも、勉強っていきなり躓くんですよ。

社会とか理科みたいに単元が別れている場合はまだ救いようがあるんですけど、英語とか数学になるとこれ悲惨ですからね。一度コケたらコケたところに戻らなきゃいけない。ファミコン時代のセーブ機能みたいなアナログさなんですよ。

宿題をやることを習慣づけておけば、そのへんのリスクを未然に防げるかもしれないんです。ある一定のところまで躓かずに行けているということは能力はそれなりに高い筈ですから、躓くことだけが怖いんです。

やらないことが習慣化されるとそれを矯正するのは本当に難しくて、タバコを止めるにも似た労力と意志の力が求められるんですよね。だったらタバコを最初から吸わないのが大して偉くもなんともないのと同じように、宿題もするのが当然にしておいた方が自分が後で楽なんです。

っていうことで学校で勉強することも宿題をするのもそんなに難しいことじゃないし、生きる力を身に着けるには恐らく多くの人にとって世の中で一番イージーモードだとは思います。それが社会として用意してくれているんですから、乗れるなら乗っちゃった方がいいんですよ。

宿題も勉強もした方がいいという言葉が響かないジレンマ

ただ…

損得でいくら語っても嫌なものは嫌だし、面倒なものは面倒だ。教師から強制されるのは本意ではないっていう方が先に立つ方には掛ける言葉も無いし、その意志って変えられないんじゃないかとは思います。それが私の限界であり、その人の特性ってことです。

この言葉が響く人はやればいいし、響かなかったらもう諦めた方がいいです。ハードモードで生きていく様子を見守りましょう。ただ、その生き方を選んだからには覚悟するようにという言葉は掛けた方がいいとは思います。

一通り書いて思ったのは、やっぱ学校ってシステムで生きる力を身に着けるのって楽ですよ。本当に楽。面倒とか嫌っていうだけでドロップアウトするのは勿体ない。その意志を変えるだけでいいのになぁ。もう仕方ないですけど。



といったところでいかがでしたか?

「お悩み相談室」はいつでもオープンしていますので、もし何かありましたらお気軽にコメントいただければと思います。また、勉強したくないとか宿題やる気になった!みたいな、今回の相談の感想についてもコメントお待ちしております!

■挨拶・自己紹介・雑談用の記事も作りました。

今回の記事の感想とは別で西尾と話したい!という時はこちらをご利用下さい!想像以上に伸びています。雑談は雑談の良さがありますね。

ちょっとこれから、一日一つテーマを出して、それに合わせて雑談するみたいな感じもいいかもなぁって思っています。

試しにテーマだけでも発表してみよう。
「私の秋の楽しみ」。



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