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「電車でサラリーマンが皆死んだ顔してた」に41歳が反論した話

自他共に認めるおじさんになったから言えること

皆様、ご機嫌いかがでしょうか。

私は41歳中年兼業ライターとして生きてきて、8月29日を以て42歳中年兼業ライターにステップアップします。

専業のライターと思われている方もいらっしゃるかと思いますが、私は今年で20年サラリーマンをしております。

30を過ぎてから自嘲気味に自分のことを「おじさん」と呼んでいましたが、あれは今思うと「いやいや、西尾さんはまだまだおじさんじゃないですよ」という合いの手を待っていたのです。

しかし30も半ばを迎え、そのフレーズはリアルな響きを持つ上に拾いにくいことに気づき、自らを自嘲気味におじさんとは評さなくなりました。

つまり、この頃から自他共に認めるおじさんになったということです。

おじさんになると世間からは冷たくされるようになりますが、齢を重ねたからこそ分かることもあるわけです。

そこには今まで過去のおじさんたちから聞かされてきたクラシックな言い伝えをリアルに感じることもあれば、若い頃は正しいと思ってきたことがかなり的外れであることに気付かされるということもあるわけです。

前者については敢えて私がまたお話するまでもありませんので、今日は最近私が考えた「若者のエピソードあるある」を全力で破壊していこうと思います。

朝の電車のサラリーマンは本当になりたくない存在か

これはよく役者の方がトーク番組で披露するエピソードで、個人的には5万回くらい聞いた覚えがある話です。

「学生の頃、就職活動をしてたんです。別にやりたいこととか無くて、エントリーシートとか作って面接に行くんですけど、朝に電車乗ったらサラリーマンが皆くたびれて死んだ顔をしてるんですよ。俺、こうはなりたくないなぁと思って‥」

このエピソードは役者でもミュージシャンでも、メディアに露出する系統の方の話としてよく聞きます。

わからなくもない話です。実際朝に会社に行きたいかと言われると微妙なところだと思います。

仕事なんてすげえやりたい!と思ってやってるかというとそうでもないです。そこは否定できません。

でも自分には生活もある。
家庭もある。

嫌だと思うときもありますが、現実には全てをかなぐり捨ててやりたいことだけに没頭できるわけじゃない。そういう気持ちを振り切って、サラリーマンの自分は会社に向かう訳です。

ただ、この手のエピソードを真に受けて年間数万人が就職活動からドロップアウトしていると思うので、41歳のおじさんが反論しておきます。

朝電車で表情が死んでるのはサラリーマンだけではない

まず、どんな人も朝一人で電車乗るときは死んだ顔をしているということです。

小学生だろうと高校生だろうとサラリーマンだろうと、果ては行楽に向かうシニアもそれは変わりません。

ニコニコしながら電車に乗る奴が居たらそいつは相当な変態と考えて間違いないでましょう。

考えてください。
一人で電車乗るとき表情なんて無なんすよ。

楽しい何かが待っていても嫌な何かをしなくてはいけないことが確定していてもそれは変わりません。

だって、私は両国に住んでいましたが、基本的に自分の夢に向かって突き進んでいる筈の力士でも本場所中に電車乗ってるときは表情ないですから。

基本的に人なんて、一人で居るときに何もしていなければ無表情です。

それを言うなら高校を目指すときも同じことを言わねばならないでしょう。「高校生が行きの電車で皆死んだ顔をしていた」と。

しかしね、そんなこと言うやつ居ないんです。
何故でしょう?

答えは簡単です。
高校が楽しい場だと知っているからです。

つまりね、このエピソードで大事なのは表情あんまり関係ないってことなんです。

仕事は嫌なこともある。
生活の手段として必要。
でも、社会人になったら自分はやりたくない。
それだけの話です。

やりたくないことから逃げている自分を正当化するために電車のサラリーマンの心情を勝手に代弁して、勝手に敵視されても困るんですよ。おじさんとしては。

そもそもこれを言う人って、サラリーマン舐め過ぎです。

世の中のあらゆるサービスは、あんたが就職活動から逃げた企業が提供してるんです。そこにリスペクトがあればくたびれたおじさんみたいになりたくないとか言えません。

あとね、朝の電車では死んでるかもしれないけど、21時以降の電車のサラリーマンはニコニコしてますよ。

朝の電車のサラリーマンの話を引き合いに出すなら、そっちのサラリーマンの立場はどうなるんですかね。まさかその存在を知らないとは言わせません。

酒飲んで、同僚とどうでもいい話をして、そんなのもまぁまぁ楽しいのです。中には付き合いで嫌な相手も居るかもしれない。でも、悪いばかりじゃない。

会社勤めは嫌な部分もあるけど、仕事は誰かの役には立ってるし、家庭のためにもなってる。そして何より仕事をしているからこそ職場でも家庭でも立場が出来る。自分が自分で居られる。

あと、案外仕事って楽しい部分もある。
忘れがちですけどね。

サラリーマンで居ることは辛いばかりじゃない

そんなこと書いてたらAmazonMusicのシャッフル機能で奇跡的に「wow war tonight」が掛かって死ぬほどビックリしましたが、まぁそういうことなんです。

仕事って嫌なだけのものじゃない。勿論嫌なときもあるし、その代表例が朝だったりするんですけど。

ただ、前に話しましたが楽しいことを仕事にしても嫌なことは無数にあります。だから、嫌なことからは逃れられないんですよ。

楽しいことだけやるなんてことは出来ないし、楽しいことを仕事にしても大抵の場合は生活と両立なんてなかなか出来ない。それは楽しいことを副業にしている私がよく知っていますし、記事にもしています。

楽しいことだけを仕事にすることも幻想なら、電車のサラリーマンの無表情を嫌なことから逃れたいとだけ解釈することも少し違う。

意外とサラリーマンは頑張ってるし、社会の歯車があるから世の中は動いています。そこにリスペクトがあれば電車のサラリーマンの表情も少し捉え方が変わると思うんです。

まぁ何を最終的に言いたいかって、物事は違う角度から見ると人にも社会にも優しくなれる、ってことです。

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