外注を、なめるな。

「ああ、なんて攻撃的なタイトルなんだ」「どうしてこの人はこんなに怒っているんだろう」

と思ったあなた、正解です。

冒頭申し上げておくと、私がなにかヒドイ仕打ちをされたり・理不尽な目にあっているわけではなく、あくまで知人の話を聞き、ど〜しても書きたくなってしまったのでキーボードを打っている次第です。

ちなみに言っておくと、いま私がお仕事させてもらっている事業者さんたちは本当にみんな主体的な人ばかりで、(むしろ私の至らなさからご迷惑をかけていることが多々あるくらい)私のクライアントさんに対して文句を垂れているのではないことをここに高らかに弁明しておきます!

わたしについて

私は外注「される側」の人間であり、事業会社さんの支援をする立場にいます。現在はマーケティング戦略やブランド構築、戦術の実行管理などを生業にしています。

たまに自身の学びをnoteにもアウトプットしています。


なにをそんなに怒っているのか

感情をむき出しにキィィィ!!となっているわけではなく、青い炎のようにジワジワ熱を帯びるタイプなので、激情的にどうのというわけではないのですが、先日エンドクライアントにつめられて困っているという方のお話を聞きました。そして私自身の少し昔の経験を思い出しました。

昔の経験に通ずるのですが、外注に責任を押し付け他責にする人のことを「オールドタイプ」と呼んでいます。

『オールドタイプの特徴』

・過去の成功体験が忘れられず、失敗を恐れている
・信じられるものがないため、疑い深く、原則性悪説になる
・総じて自分に自信がない、そしてそれを隠している
・自分に自信がないがゆえ、ステータスに頼りたがる
・プライドが高く、自分の過ちを認められない
・義憤や志がなく、意思決定の基準が他者の目
・多様な考えに寛容性がなく、価値観を変えられない
・外部との交流を拒み、殻に閉じこもっている
(オールドタイプ同士で群れる)

[自己紹介note] 私の独立までのキャリアについて。より

ざっとこんな感じです。簡潔にいうと、意思を持たないタスクワーカーです。

彼ら・彼女らは「売上・利益を上げること」や「顧客・消費者のために働くこと」にはあまり興味はなく(表面上、そう見せることはありますが)、「自分たちの居場所をつくるため」にこそ働きます。自分たちの存在価値をなくさないように、日々働くわけです。それが前向きであればいいのですが、私から見ると「新しいものを拒み、古い自分たちの価値観を捨てられない人たち」に見えました。

ガンダム風にいうと地球の重力に負けた人たちです。コロニーには行けなかった。

[自己紹介note] 私の独立までのキャリアについて。より

もっと毒を浴びたい!という奇特な方へ。詳しくはこちらに書いています。


私が怒っているのは外注を「都合の良い道具」だと勘違いし、自分たちの頭や手足は動かさず、汚さずに仕事をした(気になっている)人たちの愚行によって蔑ろにされてしまうブランド・ブランドのファン・その他ブランドに関わる利害関係者たちが不憫でならない、ということです。


外注ではなくパートナーになる

私は外注「される側」なので事業者サイドのスタンスについて強く言うつもりはありませんが、これだけは声を大にして言わせてください。

外注される側(支援者サイド)がどれだけ真剣に取り組もうと、事業者が本気でなければ絶対に成果は出ません。これはもう100%そうだと思います。

もちろん逆も然りです。逆の方が多いかもしれません。支援者側の本気度が足りていないケースです。

「支援費用が安いから」や「稼働時間が決まっているから」や「契約書での業務領域を超えているから」などの成果とはまるで関係のない、くだらない(本当にくだらない)理由でコミットしない支援者が多すぎる。

支援者側は事業者のケツを追いかけ回してちょっと鬱陶しい、怖いくらいに思われるくらいがちょうどいいと思っています(あくまで個人的見解です)。

フィーが足りていないのなら自分自身が事業者の利益を高める努力をすればいいし、稼働時間が決まっているなら事業者の組織・メンバーに働きかけて自走してもらえるような仕組みをつくればいいし、業務領域を超えているなら話し合いをすればいい。できない・やらない理由を他者に求めるな。

ここで言いたいのは、すべては頭や手を止める理由にならない、ということです。

お互い本気になって考え抜くから知恵が出るわけだし、手を動かすからはじめて勘所が働くわけです。そうして徐々に信頼関係が生まれ、本当の意味でのパートナーになっていくはずです。


外注をなめるな、外注もなめられるな

最後になりますが、事業者(支援される側)は外注(支援する側)をなめないで欲しいし、外注だってなめられるような言動を取らぬよう、自分の仕事に誇りを持って欲しいと思います。

とまぁ私もそんな相談を乗ってしまった手前、困っている人を目の前にすると「なんとか私が助けなければ・・・!」と勝手に使命感に駆られていますので、何かしらの形で携わらせていただくことになるかと思います。

あと今回の一件で強く思い出したのは、村上春樹氏のエルサレム賞受賞時のスピーチで話されていた「壁と卵」の逸話です。

世の中には強者と弱者がいて、それぞれに正義を持ち、時にその価値観や思想の違いから争いに発展してしまいます。

でも、仮に強者の理論が正しいとしても、私は弱者側のそばにいて、彼・彼女たちのためになることに自らの力を賭していきたいと強く願い行動しています。

2022年に入り、着る服も徐々に軽くなりましたが、世の中はまだ混沌としていて心はどんよりと重いまま、暗いニュースも連日流れてきます。

それでも気を張って毎日を強く生きていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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