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思い出8 初めての海外旅行 高校1年生夏休みのヨーロッパ旅

家庭教師のお蔭で、無事、四日市高校に入学できましたが、四日市高校に関しては、次回、紹介する予定です。
高校1年生の夏休みに、初めて海外旅行に行っており、その思い出をNOTEに記録しておきます。
語学勉強を名目として、一ヶ月のヨーロッパ旅行に行かせてもらえました。当時はパスポートの発行も県庁で行い、予防注射も必要でした。
安価なパッケージツアーが登場し始め、認知度が増してきた時代です。同じクラスの友人がハワイに海外旅行に行っている姿も見られましたが、それはまだ珍しいことだったと思います。
主な目的は、イギリスの南部ポーツマスで2週間のホームステイと語学学校に通うことでした。その後、2週間のヨーロッパ観光が続く1か月の旅行でした。商売が順調で経済的に余裕があり、約36万円のツアーに参加させてもらえました。
今の物価に換算すると約100万円ですが、旅行代としては、今と違いはないと思います。当時は、JALバックがもらえ、さらに中には、歯ブラシセットや化粧品セット、飛行機内で使えるスリッパなどのグッズが含まれていました。
搭乗した飛行機はジャンボ機で、座席がガラガラで、トランプなどのゲームを楽しむ修学旅行のような雰囲気でした。
機内はゆったりしており、飲酒も無料で提供されました。出発時にはまだ他の参加者と打ち解けていなかったため、飲酒はしませんでしたが、帰りの飛行機では飲酒を楽しみました。時効で許されるでしょう。
1ドルが300円という当時の為替レートから考えると、現地での費用は相当なものでした。クレジットカードがまだ普及しておらず、約20万円分のトラベラーズチェック(10ドル毎に現地通貨に換金可能な小切手帳)と別途15万円の日本円を持っていきました。
9月の第1週末までの1ヵ月間の旅行であり、学校も1週間休むことになります。
添乗員付きの20名の団体旅行でしたが、20歳未満の参加者は私だけで、添乗員さんや皆が種々面倒を見てくれました。
参加者全員が和気あいあいで、特に仲が良かったのは銀行員、慶應大学医学部のインターン、そしてテレビCMで見かけたことがある30歳前後の無名女優でした。
出発は成田空港からロンドンヒースローへのJAL直行便で、到着後は乗合タクシーで各自のホームステイ先に向かいます。
お袋の命令で、日本人形が入った5号のガラスケース(高さ44cm)を土産として持参し、道中は邪魔でしたが、凄く喜ばれて安心しました。
英語は、まったく分かりませんでしたが、ホームステイ先は慣れていたので、身振り手振りで、なんとかコミュニケーションを取ることができました。
30歳前後の夫妻に、親戚と思われるが男性一人の3人家族でした。彼らの住む新興住宅地は、広い道路に面しており、似たような家々が連なっています。各家の裏側には、プールがある庭になっており、水着を着た家族がお日様を浴びている姿はまるで映画の一場面のようでした。
朝と夕方は、特に断らない限り家族と一緒に食事をとります。
語学学校までは、路線バスを利用し、約20分で到着します。2階建てバスであり、初めて知ったのですが、若者や健常者は通常2階に案内されます。
最初に、クラス分けのための入学試験が行われ、私は最も初心者のビギナークラスに割り当てられました。他の参加者の多くは上級クラスに属していたと思われます。
また、土産の日本人形のお陰かも知れませんが、いつもサンドイッチなどの昼食を持たされました。他の人は持たされていませんでした。
日曜日は休みで、オプショナルツアーが提供され、チャーターバスでシェイクスピアの生家に行きました。その周辺には教会などもあり、のどかな田園風景が広がっていました。様々なグッズが販売されており、私は”ヴェニスの商人”の原語と英語訳が付いた本を購入しましたが、帰宅後、パラパラと見ただけで読んだ記憶がありませんでした。
また、銀行員の方に連れられてロンドン観光を楽しむこともできました。
ポーツマスから、列車で2時間ぐらいです。日本と同様に、鉄道網は発達しており使い易かったです。
午前中にバッキンガム宮殿での衛兵交代式を観賞し、テレビで見るのと同じだと感激しました。演奏に合わせて行われる赤い制服での行進は、迫力満点でした。
お昼は、銀行員の方と現地のお客さんとの昼食会に参加させていただきました。
お客さんは二人でしたが、二人とも英国紳士そのもので、飛び入りの言葉の通じない私にも優しく接してくれました。
メイン料理はステーキでしたが、日本とは違い、パサパサで固く、あまり美味しくありませんでした。
しかし、オードブルであったキングサーモンの燻製は絶品でした。
脂がのっており、燻製の香りがあり、適度な塩気でさっぱりとした味わいでした。
チップ習慣も含めて、ロンドンの銀行街の独特な雰囲気を肌で感じられました。
午後からは国会議事堂とビックベンの内部を見学しました。内部見学が可能な時期は限られており、予約なしで見学できたことはかなり幸運だったと聞きましたが、正直あまり記憶に残っていません。
暗くなってきた帰り道のあちらこちらで、抱き合いながら、キスをしているカップルの姿が脳裏に焼き付いています。
銅像のようにピクリと動かかず、あんなに長くキスできるのは凄いと感心しました。
銀行員の方に本当にお世話になりました。
その他に、学校帰りに、有志の人達に連れられて、ボーリングに行ったり、サーカスを観たりしました。
ボーリング場は、レーンは剥げていてボロボロで、ボールの転がりが悪く、レーンワックスも薄く、ピンが遠くに感じられました。距離は全世界共通と思います。
私は指が細い方で、日本では、ちょうど良い物を見つけるのは大変でしたが、そのボーリング場では、小さいサイズがあり充実していました。確かに、子供や女性が多かったと思います。当時は、自分で、残りピン数を数えて、スコア紙に記入する形でしたので、計算方法や計算ミスなど、皆で和気あいあいとしていました。
サーカスは、英語が分からなくても、種々のパフォーマンスを楽しめ、怪力の大男や金髪の女性は迫力満点です。観客の子供達が、金髪で青い目で可愛く、人形が並んでいるように見えました。海外の雰囲気を十分楽しめました。
行きは皆で一緒に行きましたが、帰りは個々でホームステイの家に帰る事になります。
直接のバスがなく、2回乗り換えが必要でした。地図を片手にバスの番号を確認しながら、一人で家に帰ることになります。地図を広げて指すと、周りの人々が親切にYesと端的に教えてくれたので助かりました。田舎の新興住宅街であるため、ロンドンとは異なり、のんびりとした雰囲気で、皆温かかったです。
英語が話せなくても身振り手振りでなんとかなるという考えが染み付いたことと、暗記嫌いが相まって、その後も英会話は上達しませんでした。
社会人になってから、海外のお客との意思疎通ができなかったため、結局出世することができませんでした。
約2週間のホームステイが終わりますが、休み時間や放課後など皆集まって、日本語で話していたので、英会話の勉強にはまったくならなかったです。
本気で勉強する場合には、団体ではなく一人で行く事が重要と思いました。
その後、フェリーでドーバー海峡を渡り、1時間半ほどでフランスのカレーに到着します。波が穏やかだったのか、船が全く揺れなかったため、船に乗っているという感覚を忘れるほどでした。カレーから列車で、約3時間かけてパリに到着します。
朝にポーツマスを出発し、夕方にはパリのホテルに着き、2人部屋で、銀行マンと同じ部屋でした。
添乗員から水道水は絶対に口にしないように言われていました。それで、喉を潤す時には、有料の水やコーラを購入する事になります。しかし、有料の水を飲んでもお腹を壊す人がいました。
それで、コーラと言う事になりますが、瓶ボトルで日本円にすると千円に近かったと思います。量的に見るとワインの方が安くて、そこから、私もワインを飲むようになりました。そのホテルが悪いのかわかりませんが、パンとスープ以外の料理は、すべて不味かったです。パリ市内では、高価でも、それなりのレストランを探して食べる事をお勧めします。
フランスでは、種々のオプショナルツア-がありました。
ルーブル美術館ツアーでは、羽の生えたギリシャ彫刻ミケ、ミロのビーナス、ナポレオン、モナ・リザ、民衆を率いる女など、美術の教科書に載っている絵画や彫刻を効率良く見ることができました。しかし、団体で回らないと小さな作品を見落としてしまうこともあると思います。短時間で回りたいならば、ツアー回覧を推奨します。
たぶん、パリ市内観光も行っていると思いますが、会社員の時の貧乏パリ観光のイメージが強くて印象に残っていません。
翌日に、チャーターバスで、郊外のお城見学に行っています。
パリ市内と違い長閑な森が広がり、真直ぐな道が城まで通じています。
その城で昼食を取ったのですが、前日のホテルの夕食とはまったく違って、芳醇な香りの美味しい料理ばかりだったと思います。
ハウスワインが、水の代わりに置いてあり、口当たりが良くて、料理の芳醇さを引き立ててくれてスイスイ飲んでいました。
途中から完全に酔って記憶が飛んで、起きた時にはレストランの前の長椅子で寝ていました。
城の内部ツアーには参加せず、寝かされていたようです。ワインが良いのか、それほど飲んでいなかったのか、気持ち悪くなることはありませんでした。帰る頃にはスッキリしていました。これが、生まれて初めての飲酒と酔い潰れでした。
城の内部ツアーは参加せず、数時間寝ていた事になります。
次に、列車でイタリアに行く予定でしたが、ストライキということで、バスでの移動に変更になりました。チャーターバスでは無く、一般客も乗合していましたが、ラテン系の人達で、楽しかった記憶があります。ただ、添乗員さんが買ってきたワインで、熟睡してしまいました。
生まれて初めて、自分のいびきで飛び起きた経験もその時です。
ローマのホテルは、パリと違い、食べ物は量が多く美味しかったです。
前菜でスパゲティ類が出てくることが多く、それだけでも十分お腹は満たされました。その前菜のスパゲティは、毎回、味・食感・見た目が異なりすべて美味しかったです。
ローマ市内では、有名なスペイン階段やトレビの泉を見ましたが、想像していたよりも小さく感じました。それに比べて、コロッセオは想像以上に広く壮観でした。迷路のような部分もあり、多くの映画で使われていることがよく理解できました。
夕食後の歓談で、女優さんが終着駅に行きたいと言うことになり、有志数名で路線バスを使って行くことになりました。
日本の観光客はまだ珍しかったようで、ジャッポーネと呼ばれながらも、気さくに声をかけてくれて、椅子を譲ってくれた記憶が鮮明に残っています。イタリアでは戦争中、同盟国である日本に対する感情が良かったようです。
会社に入ってからになりますが、ドイツに行った時には、そんな感じはしなかったので、国民性の違いを感じました。イタリアでは明るい人が多かったと思います。
終着駅は、映画で見た通りの歴史を感じる壮観な駅でした。
翌日は、チャーターバスでポンペイ遺跡に行きました。噴火が蘇るような感覚で、壮大で迫力満点でした。
現地ツアーガイドが、丸秘絵画があって、別料金で見れると言ってきました。お金を出して見ますが、逸物が描かれた男性と女性のバックでの営み描いた壁画でした。当時のものか怪しかったですが、皆笑って旅の良い思い出になりました。
お袋にカメオブローチを土産として買ってきましたが、一度も付けているのを見たことがありません。きっとダサかったのだと思います。
その後は最後の目的地であるスイスに移動します。
ミラノのコモ湖で乗った周遊船内でのホットチョコレートの美味しさは未だに忘れられません。ガラス製の背の高い透明コップの下にチョコレート、その上にミルク、そして一番上に生クリームと綺麗な3層になっていました。
フルーツパフェに使うようなロングスプーンで、好みに応じて混ぜながら飲み食いするイメージです。一番下のチョコレートは、トロっとしていますが、2層目のミルクと混ぜると粘性が下がり、飲めるようになります。チョコレート自体は、カカオ独特の苦みが強いですが、ミルクと混ざるとマイルドになり口の中に、カカオの芳醇な甘い香りが広がります。生クリームが合わさると甘味が足されて、より深いコクが楽しめます。
本当に体が温まる飲み物でした。
その後、登山列車でモンブランに行きます。まだ山々は雪に覆われており、壮大な景色でした。そして、最後はチューリッヒ滞在になります。
日本への直通便があるので、日本語が話せるスタッフが居る免税店が並んでいました。そこで、土産を買うことになります。
頼まれた種類の香水を、免税内の量を買っていきます。
タバコとお酒は、未成年のため免税対象にはならず、海外旅行慣れしていて、土産を買わない銀行マンに頼みました。ナポレオンブックと定番のジョニ黒を購入しました。
タバコは、皆さん購入されるので、無理でした。
海外旅行の経験があるR叔父から、スイスに行くならば、一生モノの腕時計を勧められました。免税店で、自分用の時計を買う事になります。
叔父には、オメガかロレックスが良いと言われていました。
免税店を種々回っていると、8角形で8個のビスで止められたステンレス製の腕時計が目に留まり、一目ぼれしました。
オーデマ・ピゲと言う時計で初耳でした。

スイスの老舗メーカーで手作りの時計ということで、製造番号がA56と3桁で彫られていました。
全てのトラベラーズチェックと、腹巻に隠していた日本円の15万円を使い、購入しました。日本円で約20万円ほどでした。
これで持っていたお金は全て使い切りましたが、日本の税関で追加税金を取られると払えないという可能性があったため、国際郵便はがきを出しましたが、間に合わなかったようです。帰国して1週間後ほどに届きました。
実際には、追加税金は取られなかったので、問題は無かったです。
帰りの飛行機は貸し切り状態で、酒盛りして楽しみました。
特に、ミュンヘンオリンピックが行われており、バタフライ女子で青木まゆみが金メダルを取ったというニュースで盛り上がりました。
未成年であることに気付かれない状態になっており、かなりの量のアルコールを摂取したと思います。
翌日には全身に湿疹が出ていました。すぐに治りましたが、医者に診てもらっていないため原因は分かりませんが、アルコールの多量摂取にプチ急性アルコール中毒ではないかと思います。
1ヶ月間の楽しい海外旅行でした。
無修正の『プレイボーイ』と『ペントハウス』を購入してきて、クラスの皆で回し読みしていました。まだヘアヌードが解禁されていない時代で、マグアイはほとんどありませんが、アソコの拡大写真や男性器もそのまま掲載されており、初めて見るものばかりでインパクトが強く、男子は喜んでいました。
また、金髪のモデルが珍しいようで、女子も興味深く見ていたと思います。閲覧中に先生に見つかり、楽しい回覧は、2週間ほどで終わります。
私が海外に行ったことを知らない先生に見つかったため、悪い人から手に入れたのではないかとかなり責められました。しかし、海外に行っていたことを知っている担任からの説明で、一見落着して返してもらいました。
また、2か月後に、写真交換会の名目の懇親会が東京で開かれ参加しました。
学割使用で平日だったので、学生服での参加だったので、さすがに飲酒はできませんでした。写真を見せあい、交換しながら楽しい思い出に浸りました。
どこか素泊まりの安いホテルに泊まろうと思っていましたが、学生服だったので、気を利かして、慶応大学インターンの方が実家に泊めてくれました。
慶応中学から高校、大学とストレートで医学部に行ったと言う、親も開業医のお金持ちの家庭でした。都内の一等地に大きな家を持っており、ホテルのような客室に泊めさしてもらえました。
皆さんには本当にお世話になりました。
ちなみに、購入したオーデマ・ピゲですが、日本で同等品が65万円で売っているのを見つけ、輸入品がめちゃくちゃ高くなっていた時代でした。今では、消費税分以外は、国内とほとんど変わらなくなっていると思います。
その腕時計は、大学の時に動かくなり、修理で2万円ぐらいかかり、その後リューズが取れてしまい、取り寄せ修理で数万円かかると言う事で、諦めました。
一生モノの時計は、使わず、飾っておくのが正解と思います。
その時計も撮影した写真も、家を売る際に廃棄されて残念ながら残っていません。
さらに、パスポートも捨てられ、新しいパスポートの作成時に紛失届を提出する羽目になりました。パスポートの廃棄には注意が必要です。
高校時代の初めての海外旅行で、貴重な経験であり、多くの楽しい出来事や人々との交流など 貴重な経験をできました。
海外旅行を勧めてくれたR叔父さん、実際に行かしてくれたお袋には感謝しています。
その後、海外に行くのは就職後になります。

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