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驚愕の政治ドキュメンタリー アレクサンダー・ナナウ監督 「コレクティブ 国家の嘘」(ややネタバレあり)

とんでもないドキュメンタリー映画「コレクティブ 国家の嘘」を見た。心の底から驚愕とか、そんな陳腐な言葉では形容できないくらい衝撃を受けた。本当にショックだった。政治とジャーナリズムについて考える場合、必須作品といえる。


ルーマニアの首都、ブカレストのライブハウス「コレクティブ」で火災が発生し、27名もの死者が発生した。出入り口は一箇所のみ。会場は炎に包まれ、観客が出入り口に殺到し、阿鼻叫喚の地獄と化す。だが、地獄はここで終わらない。助かった火傷の患者がその後、搬送先の病院で次々と亡くなり、死者は64名に膨れ上がってしまう。なぜ火傷の患者が死に到ったのか?なぜなら、火傷の消毒剤や薬の成分が10分の1に薄められており、感染症のため死に到ったのだ。

主人公の交代

この驚くべき真相を特ダネとして追求するのが、ガゼタ紙のトロンタン記者だ。トロンタンらスタッフは徹底的に製薬会社の社長ダン・コンドレアをカメラで追跡し、政治家の記者会見で厳しい質問をぶつけ、真相を明かそうと奮闘する。だがその矢先に社長は不可解な自動車事故で死亡する。社長の奥さんは、主人は自殺するような人でないとコメントするが、自殺に見せかけたマフィアの仕業という噂もあり、真相は闇の中に埋もれてしまう。

これだけでも驚くべき展開だが、カメラは、辞任した保健相に代わって新しく就任したヴラド・ヴォイクレスク保健相の執務室を中心に回ることになる。今後の方針を巡って、不正を告発する病院関係者とディスカッションする様子が、スクリーンに登場するのである。そこには、薄められた薬品を法律の壁に阻まれて回収することができず、苦悩で顔をゆがめるヴォイクレスクのありのままの姿が映し出される。

あり得ないところまで入るカメラ

観客は、主人公の「交代」にややとまどいを感じながらも、はたしてこんな撮影が可能なのだろうか、と思うであろう。カメラが政治家の執務室に入るなんて日本のドキュメンタリーではあり得ないことだからだ。たとえば、森達也監督が東京新聞の望月衣塑子記者を追ったドキュメント映画『i新聞記者』では、監督が望月記者と一緒に総理大臣の記者会見会場へ入ろうと試みるが、記者パスを持たない監督は拒否さ、天を仰ぐ。ましてや、監督が大臣の執務室で撮影するのが日本では不可能なのは言を俟たない。

このようなカメラワークが可能になったのは、ヴォイクレスクが前政権と全くしがらみのない外部から召喚された人事という、奇跡としかいいようがない偶然の賜に他ならない。「コレクティブ」では、記者(取材者)と政治家(被取材者)という両者を共に、ナナウ監督の「被取材者」としてストーリーを編集構成することで、不正を追及する記者(善)と事実を隠す政治家(悪)という二分法に分断するのではなく、両者を淡々と等値の存在として映し出すことに成功している。そもそも、ヴォイクレスクは不正を隠すのではなく、不正を是正しようと必死にもがくのだ。


長期政権と低投票率がもたらす腐敗と癒着

ヴォイクレスクの懸命な努力にも関わらず、国と産業がズブズブに癒着した構造、法律の不整備など、底知れぬ腐敗と嘘が嫌というほど露わとなる。一大臣の力だけではもはやどこから手を付けていいのかわからず、もはや是正可能の限度をとうに超えていたのだ。ヴォイクレスクは国内でまともな治療ができないため、ウイーンの病院へ患者の移送を提案するが、ブカレスト市長は国内の病院にこだわり、移送の方針を糾弾する。なぜ市長は患者よりも病院の都合を優先するのか?これもまた癒着ではないのか、という推測が働いてしまう。これも「国家の嘘」の氷山の一角にすぎないのだろう。

映画の終盤でルーマニアの選挙が行われ、ヴォイクレスクの属する野党が負けて、再び旧与党に政権が戻る。ルーマニアではチャウシェスクによる独裁政権の崩壊後、30年ほどまともな政権交代が起こっていない。しかも選挙投票率は若者10%台と、極めて低い。長期政権と低投票率が何をもたらすか、「コレクティブ」はその回答のひとつであり、暗黒の未来が暗示される。暗澹たる絶望は今も続く。

日本も対岸の火事ではない

日本はコレクティブ事件を対岸の「火事」と済ますことはできない。なにしろ、報道自由度国際ランキング2021年によると、日本は67位、ルーマニアは48位と、ルーマニアより日本の方が順位が低いのだ。日本では薬品が薄められる事件など発生しないと信じたい。しかし、仮にコレクティブのような事件が発生し、事件を起こした会社が政治家との関与が疑われる場合、官邸がジャーナリストやマスコミに圧力をかけてもみ消すことがあり得ないとは限らない。現に、解明されていない政治の疑惑は山ほどあるからだ。

「メディアが権力に屈したら、国家は国民を虐げる」 とトロンタンは語る。報道が政治に対して果たす役割を「コレクティブ」から学ぶ意義はとてつもなく大きい。先に行われた日本の衆議選挙の投票率は55%で、4割以上の人が投票を棄権している。政治とジャーナリズムを巡って、日本も重苦しい課題が突きつけられている。



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