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吉田徹『アフターリベラル 怒りと憎悪の政治』(講談社新書)            動画「名著を読み解く」#1

YouTubeで本の動画紹介をする経緯

昨年(2021年)の冬の終わり頃から、作文教室ゆうの藤本研一さんと一緒に今読むべき注目の学術書をピックアップしてYouTubeで解説する企画を始めた。きっかけは、月一回行っている読書会だ。会の最後に次回の課題本を決めるのが恒例だが、課題本の候補で漏れてしまう「ボツ本」がたまっていた。この現状を少しでも打破しようというわけである。

読書会の参加者のほとんどは読書好きの非専門家が多いため、難易度の高い学術書が課題本に選出された場合、「難しい」という不平めいた感想が漏れ聞こえることもあった。そのため、少し難易度の高い本でも、遠慮なく読みあう場を作る必要性も感じたということもある。それに日々膨大な量の書籍が出版されている状況で、一冊でも多く良書を読む機会を増やすためには、強制的にアウトプットする機会でも設けないと、どんどん読むべき本が埋没してしまう。それはあまりにももったいないことだ。

そんなわけで、思い切ってYouTubeにアップすることで、こちらも勉強する機会を否が応でも増やすことになる。動画を見る人が「面白そう」とか、「この本を買ってみようかな」、「こんな本があったのか」という気になって発見していただけると、とても嬉しい。ひいては、書店や作者、出版社にとってもハッピーである。

そんなわけで、特に肩肘張らず、カジュアルな感じでおよそ二週間に一回のペースで動画を撮影することにした。つまり、最低でも二週間に一冊は動画のために本を読む必然性に迫られるわけだ。これがまた適度なプレッシャーがかかって、実に面白い。およそ一年が経過して今のところトータルで二十冊弱ほどまでに達した。せっかくなので、こちらのnoteでもシェアしていこうと思う。

というわけで、以上が長い前置である。
記念すべき(?)一冊目は、政治学者吉田徹先生の『アフターリベラル』(講談社新書)だ。

つい最近も『くじ引き民主主義』(光文社新書)が上梓されたばかりで、『くじ引き民主主義』の読書会も最近行われたばかりである。

吉田先生は2021年に北海道大学から同志社大学へ異動された。吉田先生の北大在籍時には、NPOの活動や『リテラポプリ』の取材等でお世話になったという個人的な事情もあり、『アフターリベラル』が発売されたときには、これは読まねばと思った次第である。

『アフターリベラル』本編へ

さて本書は、コロナウイルスのパンデミックも未だ終息が見えない「暗い時代」において、リベラルの政治思想の流れを膨大な情報量で精緻に分析した労作である。新書であるが、決して易しく読める本ではない(ひとえに私の勉強不足によるが)。

世界は、グローバル化、移民、自由主義などに憎しみが向けられる「怒りの政治」によって突き動かされているという。各国では極右政党の投票率が増大し、共同体の液状化、権力への希求、争点の比重の変化により、共同体、権力、争点という三位一体が変化し、対立の種がより増大している。工業社会が衰退し、階級意識が薄れる時代において、個人のアイデンティティに空白が生じ、ヘイトクライムが猖獗を極め、政治的なヘゲモニー闘争へと駆り立てられる。そのような現象がどのような構造的背景で起こるのか、ヨーロッパ、アメリカ、日本におけるリベラル、保守、左派、権威主義等の政治的対立軸の歴史的変遷変を中心に、細かい分析がなされている。
本書の中盤から後半には、テロやヘイトクライムのような暴力的行為の背景に、教会や宗教指導者の権威消失、宗教を個人が利用する「ポスト世俗化」の傾向、個人のアイデンティティと国家、共同体の相互作用を巡る問題の分析がなさている。

カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』における民族の記憶と歴史意識をテーマにした読解や、ミシェル・ウエルベック『服従』において、個人の精神救済のために宗教に服従するというよりは、むしろ宗教こそが個人の欲望に服従するという指摘は非常に興味深い。文学作品は政治を映す鏡なのだ。

5つのリベラリズムと対処方法

終章では、本書の流れを改めて概説しながら、政治リベラリズム、経済リベラリズム、個人主義リベラリズム、社会リベラリズム、寛容リベラリズムの5つの事象についてわかりやすく整理されている。

マルクス主義や社会主義と対立することで鍛えられてきたリベラリズムも、冷戦終結後に空転し、ステイタス政治、テロ、歴史認識問題の争点化による分断と対立をもたらしてしまった。それらの処方箋として、本書では以下を提案している。

ひとつは、個人のアイデンティティその者を絶対的なもの、所与のものとするのではなく、それ自体を政治的討議の検討の対象とすることである。・・・中略・・・これは、個人主義リベラリズムに対して寛容リベラリズムを対置させることで均衡を取り戻すことを意味する。もうひとつは、公的な政治が再分配や経済的平等性に敏感になるという、経済リベラリズムに対する社会リベラリズムの優位性の回復だ。・・・中略・・・これは政治が「リベラル/コンセンサス」から距離をとり、アイデンティティ政治に依存しすぎたためにステイタスの政治を招き寄せることを回避することになるだろう。最後に、人びとの間の違いではなく、何を共通としているのかについての合意を得る努力を続けることだ。・・・中略・・・アイデンティティではなく、教育や労働といった生活領域を基盤に、共通点を探り当てていくことが、民主的な社会を育むことになる。

吉田徹『アフターリベラル』

新型コロナはもちろん、AI、人口爆発、地球環境の悪化、火山の噴火、気象変動、国内外における格差拡大、民族紛争、難民問題、不正や汚職など、問題は山積みである。起こっている出来事をアイデンティティを振りかざすではなく、「自分たち事」として、分断と対立をどうすれば融和へと導くことができるのか、それを考える手立てを求め続けなければならない。


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