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じぶんを利用しようとする人への対応

──今回はすふさんのリクエストに応えていただきましょう。「著名になったり各種当事者としてメディアに出ると「話が通じない相手」「利用しようとしてくる相手」と関わらねばならぬ場面が格段に増えるかと思いますが、横道さんは冷静に上手に関わられている印象があります」「可能なら、内心でどう折合いをつけ対応しているかについての文章を読んでみたいです」。

横道 ふむふむ。

──まず確認なんですが、横道さんは著名人なんですか?

横道 「プチ著名人」くらいでしょうか。ウィキペディアに「横道誠」という項目もないくらいのプチな著名人。

──2022年は宗教2世問題で、よくマスメディアに露出していましたね。

横道 いまオレは「時の人」界の最下層で生きているんだな、と感じながら生活していました。でもそれは錯覚だったかもしれない。ウィキペディアの項目「宗教2世」を見ると、私の名前はいっさい出てこないくらいですから。

──ふむふむ。ウィキペディアをよくご覧になってるんですね。

横道 大学院生時代、ウィキペディアが日本に上陸したばかりの頃、いろんな項目を立項しました。マニアックな項目だと、現在でも私の書いた文がほとんどそのまま残っているものもありますよ。
 いまでも暇があったら、ウィキペディアをだらだらと読んでいます。ひどい項目がやたら多すぎた時代もありますが、現在の日本語版ウィキペディアには、学術書並みの立派さで記述された項目もたくさんあります。

──本題ですが、プチ著名人になったことで、「話が通じない相手」「利用しようとしてくる相手」に出くわすことはグッと増えたんでしょうか。

横道 じつはそのようには感じていません。社会的評価が高まると、いろんなすてきな人たちにも注目されるようになりますから。むしろ全体的な人間関係が以前よりも良質になったと感じています。

──それはうらやましいです。でもインターネットの世界では違いますよね。

横道 面識はないけど悩み相談のメールを送ってくる人なんかはときどきいますね。Facebookでも、知らない人から友だち申請が来ることが増えました。

──それらにはどう対処しているんですか。

横道 悩み相談を送ってきた人たちには、個人レベルでは対応していないけれど、私が主宰している自助グループに来ることは歓迎すると伝えています。Facebookでは知らない人からの申請はだいたい放ったらかしにしています。

──ツイッターなんかでも、攻撃されることが増えたんじゃないですか。

横道 やはり嫌がらせは多くなりました。あるとき私が何気なくイイネをつけたツイートに関して、知らない人が「ネトウヨ発言を連発しているツイッタラーの投稿に横道誠がいいねを押してる。京都府立大学はこんな人を雇用していていいんですか」とツイートした人がいました。もちろん私がイイネをつけたツイート自体は、ネトウヨ的なものではないのにです。

──それは絵に描いたような「話の通じない人」ですね。

横道 くだらない咎(とが)を、私の勤め先に訴えようとするのが卑劣ですよね。そのアカウントはすぐにブロックしました。私はツイッターのアカウントを10種類以上運営していますが、メインで使っているのは研究者としてのアカウント「横道誠」と、自助グループ運営や他愛のない話題のために使っているアカウント「マコト@自助グループ」なんですけど、そのふたつでブロックしたわけです。

──相手はそのこともツイッターに投稿したんじゃないですか。

横道 まさにそのとおり。でも一瞬で縁が切れて良かったです。
 じつは以前は、著名人がSNSでこういったブロック処理をじゃんじゃんやることに対して、疑問がありました。東浩紀さんや千葉雅也さんが、じぶんに批判的なツイートをした人たちをどんどんブロックして、そのことをためらいなく報告するのを残念に思っていました。「日本の知識人は対話力がない」と考えていたのです。「対話実践」を掲げる斎藤環さんがじぶんのツイートについたコメントにほとんど応答しないことについても、違和感に抱いていました。
 でもじぷんが「プチ著名人」になって気づいたのは、非常に多くの人が嫌がらせや鬱憤ばらしのためだけに、そういう敵対的なコメントをしてくるということです。なんとなく立派そうな建物があるから意地悪で落書きしてやろう、という行動なわけです。真摯な批判には応答すべきですが、そうでなければブロックするのが正解です。「二度あることは三度ある」とか「仏の顔も三度まで」とかに決まり文句がありますが、原則として人間の行動というものは、一度でもやったら、ふつうは二度目以降もやりつづけるということです。

──ツイッターには「ミュート」という処理もありますよね。

横道 ブロックよりミュートを勧めてくる人もいました。相手にしていないと伝えられるので、そのほうが効くと思うと。でも少しでも「整理整頓」している気分が味わえて楽しいので、私はブロックにしています。

──そういう「話の通じない人」たちと対話してなんとかしようとは思わないんですか。 

横道 思いません。その人がじぶんで変わるしかありません。人はいつでも変わりうると思っています。その点で私は楽観主義者です。しかし、どの人もその人自身のタイミングでしか変わりません。その点で私には悲観主義の側面もあります。

──よく言えば、相手にゆだねているということですよね。

横道 まさにそういうことです。誰かを攻撃したくなるのはその人の自由です。私が攻撃してきた人をブロックしたり無視したり誹謗中傷の裁判で対処するのは私の自由です。

──「利用しようとしてくる相手」はどうですか。

横道 私が活躍している領域は文学研究とか、自助グループとか、マニアックな内容の本の執筆とかです。インフルエンサーではないし、「プチ」を超えた著名人でもないから、利用してやろうと企む人はそんなにいません。仕事の依頼が来ることはありますが、それはそれなりにリターンがあります。謝礼があるとか、謝礼はないけど私の活動を宣伝してくれるとか、あるいは私がやりがいを感じられるからタダ働きでも問題ないとか。

──一方的に利用されたと感じた人生の局面は、そんなにないんですか。

横道 そうでもないですよ。学問の世界にいると、上下関係も厳しいので、かつての恩師たちに利用されていると感じたことはしばしばありますね。師匠が弟子と絶縁することを「破門」と言うことは誰でも知っているはずですが、私は弟子の側も遠慮せずにどんどん師匠を破門していくのが良いと思っています。私は実際、「自分の師としてふさわしくない」と判断した人々を、何度も破門してきました。いまでは恩師と感じている人そのものがほとんどいません。この容赦ない破門の連発によって、人間関係がスリムになり、だいぶ生きやすくなりました。

──弟子が師匠を破門するというのは初めて聞きました。下克上ですね。

横道 私に対して「こいつが優秀なのはじぶんの手柄なんだ」と威張る師匠がいたら、それだけでも破門を考えますね。生き方を取っても研究姿勢を取っても、私に対してそう言ってのけられるような人、私が参考にさせてもらった師匠筋の人って、ひとりもいませんからら。

──若い頃から、そんなふうに反抗的に生きてきたんですか。

横道 いや、もっとつまらない情味を重んじていた時代が長いです。支配のための「人情」崇拝を真に受けていたというか。
 結局は修士課程のときに知ったイマヌエル・カントの倫理学が、私の人間関係にとって最大の指針になりました。カントは『人倫の形而上学の基礎づけ』という本で書いています。「きみの人格のうちなる、またあらゆる他者の人格のうちなる人間性を、きみはいつも同時に目的としてあつかい、けっしてたんに手段としてのみあつかわないように行動せよ」。
 つまり自分自身であれ他者であれ、人間を将棋の駒のように利用することは許されない、ということです。誰かを将棋の駒のように扱おうとする人たちと、そういうことを絶対にしない人たちは、ちょっとした言動からでも簡単に判別できます。そういう態度を取れば、私はその人が師なら破門するし、もっと一般的な人間関係なら断捨離の対象とします。

──友だちがいなくなって困りませんか。

──自助グループを9種類主宰しているから、問題ありません。そこに集まる人たちはたしかに「友だち」ではありませんが、友だちを超えた「仲間」、やや大袈裟に言えば「同志」です。

──その人たちは1ヶ月に1回だけとか、あるいはもっと長い期間に一度だけ会う程度の浅い関係なのではありませんか。

──友だちだからこそ話せない、とか家族にもとうてい言えないといった話題が、自助グループではたくさん出てきます。1ヶ月に1回、2時間ほど時間をともにして、ふだんは交流もしないにせよ、それはほんとうに「浅い」関係と言って良いんでしょうか。私は、そういう関係は充分に「深い」関係だと思います。

──そういう考え方なんですね。

横道 すふさんのリクエストは、「内心でどう折合いをつけ対応しているか」教えてほしいということですが、私はいま基本的に良質な人間関係のなかで生きていると感じているので、余裕を持って行動できる場面が増えているんだと思います。自分が活躍できる場面を仕事でも(とくに研究と執筆)ボランティアでも(自助グループ活動)確保していて、魅力的な人たちともたっぷり交流できる。魅力的でない人との人間関係はどんどん断捨離する。
 そうしたら、少しくらい細かなゴチャゴチャしたことがあっても、気にならなくなります。毎晩シャワーを浴びて湯船にゆったりつかったとしても、翌日の夜にはまた体を清めなくてはならない、というのと同じくらいのことです。面倒ではあるものの、我慢できないほど不愉快ではありません。

──なるほど。気にならない程度の汚れになってしまうんですね。

横道 すふさんが毎回参加してくれている、発達障害者がオススメを紹介しあうという特殊な自助グループも、私の良質な人間関係を体現する場所のひとつです。今後とも楽しく交流していきましょう。


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