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是枝裕和監督『怪物』(2023年)

青年A「調子はどうだい?」
青年B「あいかわらず死にたいよ」
青年A「是枝裕和監督の『怪物』(2023年)は見たかい?」
青年B「いや、まだだ。脚本が坂本裕二なんだって?」
青年A「そうだよ」
青年B「坂本脚本で土井裕泰監督の『花束みたいな恋をした』(2021年)、おもしろかったなあ。」
青年A「菅田将暉と有村架純の初々しい恋愛、同棲生活、その破綻を描いた作品だね」
青年B「ふたりは、いかにもヴィレッジ・ヴァンガードなんかが大好きそうな若い男女なんだよ。ふたりとも売れっ子になる前の今村夏子を推してたりして。でも男のほうがブラック企業の社員として揉まれるうちに、どんどんそういうサブカル趣味から離れていく。楽しみにしていた『ゼルダの冒険』シリーズの新作にすら興味が湧かない。で、菅田将暉が「おれはもう『パズドラ』くらいしか楽しめない体になってしまったんだよ!」と叫んだりする。えっ、『パズル&ドラゴンズ』って、こんなにバカにされてもOKなゲームだったんだって、映画館で爆笑した」
青年A「いや、そんな内容ではあったような、なかったような微妙なところだけど、とにかく坂本裕二の脚本が冴えてるんだよね」
青年B「だから『怪物』も観てみようかな」
青年A「是枝監督がじぶんで脚本を担当していないのは、第1作の『幻の光』以来なんだそうだよ」
青年B「ふたりとも互いの仕事を、以前から称賛しあってきたらしいね」
青年A「2011年のテレビドラマ『それでも、生きてゆく』で、坂本が描いた加害者家族のリアリティが是枝監督にはグッと来たみたいだ」
青年B「ああ、『DISTANCE』(2001年)で同じような課題に挑戦していたから、関心事のど真ん中だったんだね。じゃ、ちょっと観てくるよ」
(125分+α経過)
青年A「どうだった?」
青年B「これは心に残る作品だ。基本的には黒澤明の『羅生門』(1950年)みたいな仕組みだね」
青年A「つまり芥川龍之介の『藪の中』タイプ。一連の出来事が異なった人物によって、順にさまざまな角度から眺められることで、ぼくたちの印象がどんどん更新されていく」
青年B「ミステリーでいう「叙述ミステリー」の手法に似てるね」
青年A「じつはそうだったのか、というどんでん返しの妙味がある」
青年B「第1章はシングルマザー視点。それにしても安藤サクラの演技って、うますぎるんじゃない?」
青年A「いまの日本の女優で、彼女より演技力のある人って誰なんだろうね。是枝監督と組むのは『万引き家族』(2018年)についで2回目だ」
青年B「第2章は担任教師視点。​​永山瑛太って、坂本脚本の作品によく出てくるよね」
青年A「常連俳優だね」
青年B「第3章は子どもたちふたりの視点から」

パズルを完成させるピース


青年A「坂本裕二がこういう『藪の中』脚本を作った動機って知ってる?」
青年B「知らないから検索してみよう。なになに。あるとき車で信号待ちをしていて、前のトラックが青信号になっても動かなかった。それで何度もクラクションを鳴らしたのに、動かない。イライラしていると、横断歩道を渡りきった車椅子が視界に入って、ようやく事情がわかった。トラックはその車椅子が渡りおわるのをじっと待っていたんだ」
青年A「坂本はじぶんの鳴らしたクラクションのことで、後悔したそうだ。その経験をヒントにして、『怪物』では、ある視点からは決定的に見えない死角があるということを描いた」
青年B「『怪物』というタイトルが、そもそもの曲者なんだよな。どうしたって観客は、「いったいこの映画に出てくるやつらのうち、どいつが怪物なんだ?」って気にしながら観てしまう。子どもたちも「怪物、だーれだ」なんてセリフを、何度も口にしているし。「豚の脳を移植した人間は、人間? 豚?」っていう思考実験的なセリフも秀逸だ」
青年A「ネタバレになりすぎるから言わないほうがいいけど、ある意味ではみんな怪物で、みんな怪物ではない」
青年B「怪物性を宿している人間という存在の物語。誰かを怪物にしてしまう人間という存在の物語。でもクラスメイトたちは怪物なんじゃないかな」
青年A「それを言ったら校長だって、あのシングルファザーだって怪物でしょ」
青年B「そうか」
青年A「にもかかわらず、彼らもおそらく怪物ではない。校長と少年の交流場面は多義的に見える。シングルファザーだって、帰宅してすぐに植物への水撒きとか、雨のなかでびしょ濡れになりながらのわが子の探索とか、「完全なクズ」としては提示されていない」
青年A「それにしても言った本人は善人なのに、「男は男らしく」というセリフの怪物性がすごい」
青年B「同じく善意からの言葉だけど、安藤サクラが言う「ふつうの家族を作ってほしい」というせつない願望も怪物なんだな」
青年A「食卓近くのテレビ画面に、ちらっとだけオネエ系のタレントが映るところは、よくぞやってくれたと思ったよ」
青年B「というと?」
青年A「いまの日本を作ってきた私たち観客の意識にも怪物性がある、ということを仄めかしている」
青年B「なるほど。年配の人が観客にたくさんいたけど、どのくらい伝わったのか気になるね」
青年A「ある意味では強烈な日本批判をやっている映画だからね。作り手側は、そのような見方を望んでいないかもしれないけど」
青年B「カンヌ国際映画祭で受賞したのが脚本賞と......あとはあれ 」
青年A「2010年に創設されたクィア・パルム賞。LGBTQ+をテーマとした優秀な作品に贈られる」
青年B「またちょっと検索してみよっと。ええとニュース記事があるな。「英国メディアの「日本ではLGBTQ(など性的少数者)を扱った映画は少ないのでは」との質問に、是枝監督は「LGBTQに特化した作品ではなく、少年の内的葛藤の話と捉えた。誰の心の中にでも芽生えるのではないか」」
青年A「この発言がツイッターでは炎上したんだよ。」
青年B「明らかにセクマイものなのに、表立ってLGBTQ+を応援してない発言はおかしいっていうこと?」
青年A「そうなんだ。LGBTQ+を表立って応援するプロジェクトにするべきだ、なんて批判する人たちもいる。でも小説とかと同じように、映画監督には自作を自由な文脈へと置いてみせる権利がある。社会問題をテーマにしていても、社会奉仕のために作ってるんじゃないんだから。それを批判する人たちには、芸術表現への理解の欠落という別種のおぞましさを感じる」
青年B「それはともかく是枝監督ってさ、やっぱりなんとなく説教くささがあって、そこは気になってしまうんだな。リベラル特有のヒューマニズム、というか。そこを攻撃するネトウヨはかなりいるんじゃないの」
青年A「こういう説教くささギリギリの作品を作るクリエーターって、けっこうおもしろいんだよ。高畑勲とかもそうだけど」
青年B「それはきみにとっては「ギリギリセーフ」かもしれないけど、異なった価値観の誰かにとっては、「アウト」の可能性も高いと思うよ」
青年A「それはそうかもしれないが」
青年B「最後のオープンエンディングには、晴れやかな希望を感じた」
青年A「大きな湖のある街という舞台設定がいいよね。さっき話題にした『DISTANCE』でも、湖が象徴的な印象を讃えていた。『海街Diary』の海岸の場面もそうだ」
青年B『怪物』も雨や溜まった水など、印象的だね。廃線の跡地なんかゾクゾクするよ」
青年A「あれは『銀河鉄道の夜』のイメージだね。是枝監督は宮沢賢治のファンなんだよ」
青年B「そうか、ふたりの少年はジョバンニとカムパネルラでもあるわけか」
青年A「坂本龍一の音色が似合っている作品。坂本への追悼クレジットもあったね」
青年B「とにかく『怪物』は観てよかったよ。この作品のおかげで、死にたい気分はグッと薄らいだね。是枝作品をリアルタイムで観られる時代に生きていて、うれしい」
青年A「次作以降もちゃんと観なくては」


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