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私の単著と編著のスタイル

──今回は青山誠さんのリクエストに答えていただきましょう。「質的研究における記述の可能性みたいなのを、横道さんの筆で読んでみたいです」。これについてインタビューの形で、横道さんに伺っていきたいと思っています。

横道 私は子どもの頃から「前衛的なスタイル」というものに非常に関心が高くて、わけのわからない印象を与える現代美術をなんとか理解できるようになりたくて、仕方ありませんでした。前衛美術の最高峰と言えるだろうピカソには、いまでも心酔しているんです。人格面では、ピカソはかなりの性格破綻者だったようですが。
 私は小さい頃から大の読書家でもありましたが、作品の内容と同じくらい、装丁にも関心が深かったんです。だから書籍のジャケットを剥ぎとって、本体を剥きだしにして所蔵している図書館には、軽蔑を感じていたくらいです。ジャケットがなかったら、本の価値は一割くらいにさがることすらあります。東京でいちばん好きな場所は国立国会図書館ですが、この図書館もジャケットを剥ぐ側なので、私としては資料の充実ぶりに感激しつつも、「国会図書館って、案外うさんくせえな」とも思っています。

──そういうアヴァンギャルドなものへの好みが、横道さんの書く本にも反映しているのですね。

横道 内容が斬新なだけでは足りなくて、スタイルでも斬新でないと書く気になりません。「横道の本、そんなに斬新か?」とツッコミたくなる読者もいるかもしれませんが、少なくとも私の歩みにとっては新境地を切りひらいているような本でないと、本ごとに新しいスタイルに挑戦しているというようでなくては、私は書けません。
 二〇代の後半から三〇代後半まで、一本の短い論文を書くのも非常に苦痛で、深刻にあがきつづけたのですが、基本的な問題点はこのあたりの私のこだわりにあったといまでは理解しています。つまり新しいスタイルに挑戦したいのに、学術的な「お約束」にしたがわざるを得ない局面が多くあって、やる気が湧かなくなってしまったのです。
 これまでに書いてきた論文で、転機になったものはいくつかありますが、いちばんは『みんな水の中』のもとになった論文ですね。発達障害者としてのじぶんの世界観を二種類のスタイルで記述しました。まずは他者を意識しない、自閉スペクトラム症者としてのじぶんの感覚をなるべくなぞるような記述を提示した上で、それが定型発達者多数という現実にあって、彼らとコミュニケーションが取れるように擬態した語り方が、どのようになっているのかを対照してみせた。
 その原稿を医学書院の白石正明さんに見てもらって、刊行しようと言っていただきました。白石さんは詩と論文と小説の三つのスタイルを使って、そして青と黒の二色刷りで、発達障害者の世界観をかつてなかったほど立体的に示す本を作ろう! 史上初の本になる! と提案してくれました。そうして『みんな水の中』ができました。私が漠然とやりたいと思っていたことを具体的な形にする提案で、とても感動したことを覚えています。

──青山誠さんが、横道さんから「質的研究における記述の可能性」についての考えを聞きたいとおっしゃっていたのは、『みんな水の中』のスタイルに刺激されたということなんでしょか。

横道 青山さん自身に伺ったことがないので、その点はわかりません。でも青山さんとはいま一緒に本を作っていて、その本で青山さんは自分の記述箇所にとってもおもしろいスタイルを導入しているんです。具体的にどんなふうになっているかは、刊行されてのお楽しみです。

──『唯が行く!』も独特なスタイルの本でしたね。

横道 『みんな水の中』を書きおわってすぐに、「さらにむちゃなスタイルを実験したい」という思いが高まりました。もちろん内容も重要なんですよ。私が自助グループでやっている当事者研究やオープンダイアローグ的な対話実践を紹介したかった。でも、どうせならその内容を、これまでになかったほど多様なスタイルのおもちゃ箱として提示してみたい、という動機がありました。『みんな水の中』みたいな本を刊行してくれた医学書院はえらいですが、金剛出版もよくぞ『唯が行く!』みたいなむちゃな本を出してくれたものだと感謝しきりです。

──『発達界隈通信』もかなり変わってる本のようですね。

横道 私が「発達仲間」(発達障害のある仲間たち)にインタビューする企画を立てて、私がオンライン・インタビューを実施して、私が文字起こしをやって、私が文章に成形して、私がオールカラーの挿絵をすべて描いて、私がジャケット画を描きました。ただし装丁は鳴田小夜子さんが担当してくれたので、ジャケットの着彩は私ではなくて鳴田さんです。色彩設計をする上で、私はうるさく注文とリテイクを出したので、鳴田さんも災難だったと思います。医学書院、金剛出版と同様、教育評論社も、よくこんな同人誌のような本を刊行してくれたというか、その勇気に胸が熱くなりました。私がこの本でやった「当事者間インタビュー」という実践は、どんどん広がってほしいと思っています。

──『イスタンブールで青に溺れる』と『ある大学教員の日常と非日常』についてお聞きしても良いでしょうか。どちらも旅行記ですね。

横道 ともに海外紀行の本と言えそうですが、前者は多数のコラム集として構成しました。若者時代の私が地球上のたくさんの場所を訪れたことを贅沢で豪華な印象で伝えようとしています。後者は最初から最後までひとつの線でつながった中年のおじさんの一年間の記録。最初から最後まで一本線だけでつながった本を書いたことがなかったので、読者に飽きないで読んでもらえるように苦心しました。スタイルに関する挑戦としては、どちらの本でも文学作品の引用の仕方は、挑戦的にやったつもりです。私は過去の記憶がフラッシュバックしやすいですし、またいかにも自閉スペクトラム症者らしく文脈を読むのが不得意なんです。それだけに「なぜこんな場面でこんなことを連想するのか」ということが非常に多い。その体験世界を表現することには発達障害に関する理解を促進する上で、価値があると思いました。「質的研究における記述の可能性」を提示していると思います。

──そのふたつの本は学術書ではないですが、そういう言い方も可能だと考えておられるんですね。一般書にも学術的な実験を持ちこんでいると。それでは『ひとつにならない』はどうですか。

横道 私としてはこの本を『発達界隈通信』のように純粋なインタビュー集にしたかったのですが、担当編集者の島村真佐利さんが、「横道さんがどう感じ、思い、考えたかを混ぜこんでいかないとおもしろくならない」とダメ出しをしてきたので、それにしたがって、私がひっきりなしに出しゃばるスタイルに仕立てなおしました。私としては「読者が横道の自分語りを鬱陶しいと感じないかな」と不安だったのですが、マサリさんの読みが正しくて、このスタイルの評判は良いようです。

──みんなの宗教2世問題』と『信仰から解放されない子どもたち』には、どんな工夫があるのでしょうか。

横道 両方とも宗教2世たちの体験談を中心に置いていますが、前者は人文系のイメージが強い晶文社から出した本なので、宗教2世問題をバラエティ豊かな角度から捉えて、人文書として読みごたえがあるようにと狙いました。後者は社会科学系のイメージが強い明石書店から出した本なので、宗教2世問題を社会的課題として考察する木鐸の書として構成するように注意しました。
 同時進行で2冊をまとめていって、刊行もほぼ同時です。前者では寄稿・協力してくれた著名人の顔ぶれがグッと華やかなになるようにと配慮しましたし、私が海外の研究状況を紹介していたり、日本のフィクションでの宗教2世の描かれ方をまとめていたりと、そのあたりも賑やかさを演出していると思います。後者では宗教2世の体験談をずっと詳しく紹介していて、対談してくれた識者たちの考え方も緻密に伝わるようにと苦心を重ねました。2冊の本の「住みわけ」をやる上でも、私の「スタイル」への熱意がエンジンとして機能したと思っています。

──なんだか横道さんの著書のスタイルの話になってしまいしたね。しかし、もともとお聞きしたかったのは、「質的研究における記述の可能性」です。

横道 私としては、書籍でもその「可能性」を追及するつもりで作っている、ということを言いたかったんです。もちろん学術論文でもそれを探求していますよ。先ほど述べた『みんな水の中』の原型になった論文のほかにも、『唯が行く!』って、初めは医学書院のオンラインマガジン『かんかん!』に掲載してもらったゲームブックを、考察を加えた上で、エスノグラフィーとフィクション研究会の『パハロス』に掲載してもらった学術論文がもとになっているんです。『唯が行く!』はそれを全面的に再構成して生まれました。
 学術的単著としては、もうすぐグリム兄弟論と村上春樹論を刊行するのですが、そのあとはドイツ文学の論集と、民俗学的で文化研究的でもある論集を、それぞれ単著としてまとめるつもりです。後者は実験的なエスノグラフィーを多く含んでいますよ。

──『みんな水の中』くらい画期的なんでしょうか。

横道 それはちょっと要求が高いですね(笑)。最近、「私がそもそもなぜ「みんな水の中」と感じているのかを、改めてわかりやすく解説する」という趣旨の心理学の論文を執筆したんですが、それはある意味では『みんな水の中』の立体性を反復できたと思います。
 『みんな水の中』の刊行後、『文學界』にエッセイを載せてもらえたのですが、そこで私は『みんな水の中』を「文芸創作的/文学研究的当事者研究」と形容して、そういう多面的で立体的な当事者研究がどんどん増えてほしいという願いも記しました。私自身には手を出せる素養がありませんが、映像や音楽を使った当事者研究の実践もあって良いのではないでしょうか。あるいはインスタレーションを制作して、展示空間の全体でもって体験世界を表現してみせる当事者研究とか。もしかすると、私の自宅は、すでにそのようなインスタレーションかもしれません。私の自宅に入場してもらって(一度に10人くらいしか入りませんが)、所有物などを紹介しながら「はい、これが私の考える、質的研究における記述の可能性です」と紹介しても、おもしろいかもしれませんね。


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