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楽しみ=対話的な感覚

今日も引き続きミハイ=チクセントミハイ(アメリカの心理学者)による『モノの意味 - 大切な物の心理学』の第3章「家の中でもっとも大切にしている物」より「食器」を読みました。では、一部を引用してみたいと思います。

 結果を概観して受けた第一印象は、家の中で人びとを取り巻くものが歓喜するテーマが個人的性格を持っていることである。(中略)もっとも頻度の高いカテゴリーは「自己」(回答者の八七パーセント)、と「楽しみ」(七九パーセント)である。この二つのカテゴリーは、ほぼ重なっている。なぜなら、楽しみを与える物はほとんどの場合、私的自己にも言及したものとしてもコード化されたからである。
 ここで、快楽主義的快感と楽しみとを区別しておくことが有益だろう。前者は、それ自体が目的であるような満足に由来する価値を指す。違いは感情の成就であって、その感情の意味や目的ではない。それがその本人の他の目的や他者の目的にどんな影響を与えるかとは無関係に、人を「気分よく」させるものが快楽なのである。これと対照的に、楽しみはその行為が目指す目的から生じ、本質的にその人の目標という文脈と楽しい感情との統合をともなう。したがって、楽しみは相互作用と不可分の目的を持った感情であり、単なる主観的かつ個人的な感覚ではない。それは自己統制という意味を含み、自然発生的目標ではない、自発的な目標を追求する技能の発達である。
 たとえば、テニスの試合において、快感は身体活動と相手に打ち勝つことでもたらされる高揚感に起因するだろう。通常はこれらの感覚が最終目標であって、それ以上の目標にはつながらない。試合における楽しみは、その人のもっとも熟練した動作や試合の完成度、プレーヤー間の相互作用に思いをめぐらすところから生じるだろう - 換言すると、その本人とさらなる成長への可能性を内在する目標パターンとの関係から生じるのである。
 人は、効率性や美しさ、永続性といった一定の理想により近づくような物を作ることを身につけなければ、楽しく道具を使うことはできない。楽しみは涵養の主観的感情と言えるかもしれない。

本書では、1977年にシカゴ都市部に住む家族にインタビューから家庭にある「モノの意味」を探っているのでした。大切なモノが持つ意味のカテゴリーと回答者の割合を整理すると、以下のようになっています。

A. 人物にかかわる理由
 1. 自己 87%   2. 肉親 82% 3. 親族 23%    4. 家族以外 40%

B. 人物以外の理由
 1. 思い出 74%  2. つながり 52%   3. 経験  86% 4. 内的特質(※ )62%        5. 様式   60%   6. 実用性  49%  7. 個人的価値
 (※)工芸品、唯一性、物理的特徴

このような分類からも「意味」という言葉が表す事柄は、じつに多様だなと思うわけです。日常生活の中で「意味、わかりますか?」と質問することがあるかもしれませんが、その「意味という言葉の意味」は、あなたと私の間で完全に重なりあうことがどれだけあるのだろうか、と。それほどまでに、意味という言葉が表す事柄は「個人的文脈」の上にあるのだということ。

相手の文脈に自分が入り込むことなくして、相手にとっての「意味」は分かりようがないですし、どこまで入り込んだとしても完全に分かることはないのかもしれません。

モノの意味の中でも、「自己」と「楽しみ」に分類されるコメントの頻度が高いことを踏まえ、著者が「快楽主義的快感」と「楽しみ」を区別している点が興味深いです。

あらためて「快感とは何だろう?」「楽しみとは何だろう?」と自問しつつ振り返ってみると、快感は「それ自体が目的」、楽しみは「何らかの過程の中で成長や関心、可能性の広がり、つながりを感じる、何かが開ける感覚」と言えるよう気がします。楽しみは「対話的感覚」とも言えるかもしれません。自己との対話、他者との対話、モノとの対話。

「人は、効率性や美しさ、永続性といった一定の理想により近づくような物を作ることを身につけなければ、楽しく道具を使うことはできない」と著者は述べていますが、この言葉のメッセージは「モノのモノらしさ」を所与とする・固定化するのではなくて、「モノの可能性を探り、引き出し続ける」こと、そして「モノが介在する文脈の中で人の可能性が広げることが大切」ということではないか。そのように思いました。

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