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回復、再生、そしてレジリエンス。

「再生する」とは一体どういうことだろう。ふと、そのようなことを思いました。

季節の変わり目もあり、著しく体調を崩していた状況が少しずつ快方に向かっている実感のある今日この頃。この状況は「体調が回復している」と言えるけれど「再生している」とは言い難い。「回復と再生の違いは何だろう」という問いも生まれてきます。

「再生」という言葉を辞書で引いてみると以下の定義が記されていました。

1. 衰え、または死にかかっていたものが生き返ること。
2. 心を改めて正しい生活に入ること。更生。
3. 再びこの世に生まれること。再誕。
4. 廃物を加工して、再び同種のものをつくり出すこと。「再生紙」
5. 録音・録画したテープやディスクを装置にかけ、もとの音声・画像を出すこと。
6. 生体の一部分が失われた場合、その部分が再びつくりだされる現象。トカゲの尾、カニの脚などでみられる。
7. 心理学で、過去に学習または経験したものを思い出すこと。

コトバンク

これらの定義に通底している精神は「ゼロから始まる」ということのように思います。途中からではなく、真っ新な状態から新しく芽吹いてゆく。そう思うと何かが再生するためには、「真っ新な状態」つまり「原初の状態」になる必要があると思えます。平たく言えば「空っぽ」になる、ということ。

「空っぽ」とは「無」ではなく「未だない状態」つまり「無限の可能性」が「有る」ということ。再生紙の例は「新しい命を吹き込む」というイメージも湧いてきます。

「復元力」を意味するレジリエンスという言葉があります。私は「しなやかさ」と捉えていますが、レジリエンスは「立ち直ってゆく柔らかさと強さ」が根幹にある。すると、「レジリエンス」と「再生」という概念は重なりあっているように思えてきます。

レジリエンスと再生という概念において気になることは、再生後の状態は、はたして「再生前と同じ状態」を意味するのか、あるいは「全く異なる状態」を意味するのか、ということです。両方の可能性があるのならば、「再生前と同じ状態の復元」に固執しないことが大切なように思います。

むしろ、再帰性の中に偶然性を取り入れることで、新しい可能性を呼び込む契機とする。再生とは意志の力だけで実現するのではなく、どこか「他力」や「縁起」を呼び込むことで形になってゆく営みであるように思うのです。

レジリエンスという英語は、「復元力」「弾力性」「再起性」などと訳される言葉ですが、私はよく「しなやかな強さ」と訳します。強い風にも重い雪にも、ぽきっと折れることなく、しなってまた元の姿に戻る竹のように、「何かあってもしなやかに立ち直れる力」のことです。

枝廣淳子『レジリエンスとは何か』

レジリエンスの定義は、一義的に定まったものはなく、本書で見ていくように、それぞれの分野でもいくつかの定義がありますが、共通しているのは「外的な衝撃に耐え、それ自身の機能や構造を失わない力」ということです。

枝廣淳子『レジリエンスとは何か』

強い風にしなって元の姿に戻る竹、山火事のあとの生態系の回復、愛する人との死別を乗り越えてたくましく生きてゆく人、大恐慌が起こっても石油の輸入が途絶えても大きな影響を受けずに持続する暮らしや地域など、さまざまな「レジリエンスがある姿」を、「レジリエンスがない姿」と退避して想像することができるでしょう。

枝廣淳子『レジリエンスとは何か』

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