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90パーセントを探求、10パーセントを実験と考察に。(最適な学習戦略とは?)

今日も引き続き『ソーシャル物理学 - 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』(著:アレックス・ペントランド)より「習慣、選択の優先規準、好奇心は何で動かされるのか」を読みました。

情報やアイデアの流れを変えることで、集団としてより望ましい判断や行動につながる可能性が高まります。一方、過剰に他者を模倣してしまうと集団が過度に同質化してしまい、偏った判断・行動につながってしまう。適度に他者を模倣し、自分で考える。そのバランス、多様性が「社会的学習」を望ましいものにします。

では、他者から学ぶのと、自分で考える割合をどの程度にすれば良いのでしょうか。

こうした現象が見られた理由はおそらく、個人で自分の経験から学ぶよりも、周囲の行動に倣った方がずっと効率的だからだろう。複雑な環境における学習を数学モデルにして確認したところ、最善の学習戦略は、エネルギーの90パーセントを探求行為(うまく行動していると思われる人を見つけてそれを真似する)に割くことだった。そして残りの10パーセントを、個人による実験と考察に費やすのが良いという結果になった。

90パーセントを探求、10パーセントを実験と考察に費やすのが最善の学習戦略である。この割合についてどのように思うでしょうか。私自身は正直なところ探求に90パーセントもの時間を割いておらず、模倣過多ではないかとの印象を受けました。

1時間あたりに換算すると、54分は探求、6分は実験と考察に費やすのが良いということになります。但し、それは「環境が複雑な場合」ということになりますが。何かを試してみて、その結果を素早く振り返り、学びを抽出して共有する。その繰り返しが情報やアイデアの流れを望ましいものに変えてゆく、ということなのかもしれません。

この理由は単純だ。誰かが努力して優れた行動を見出したのであれば、その行動をコピーしてしまう方が、自分で最初から考え直すよりもずっと簡単である。単純な例を挙げよう。新しいコンピューターシステムを使うとなった場合に、既にその使い方を習得している人が近くにいるとしたら、マニュアルを読む必要があるだろうか?人間は社会的学習に大きく依存しており、それを通じてより効率的な行動をとることができるのだ。

「使い方を習得している人に教わる」ことも、マニュアルを読んで理解することも等しく重要だと思いますが、まずは自分が取り組むことの全体像をラフに把握する必要があるように思います。全体を意識しながら、曖昧な細部を深掘りして解像度を高めてゆく。

得てして「木を見て森を見ず」になってしまいがちですが、森を見ながら木を見てゆくほうが効率的なように思います。

また人々が自分の接触する行動を変えるために、環境そのものを変えるという発見も重要である。こうした発見を解釈するならば、人は特定の集団から何かを学びたいと考えると(たとえば彼らにより馴染みたいと思うと)、その集団と共に過ごす時間を長くする傾向がある、ということになるだろう。

何かを学びたいと思える人が周りにいること。それが集団と過ごす時間を長くする傾向につながる。それは、学習という過程を通じて、相互につながりを作っているから、とも言えるのかもしれません。

幸いにして、私は学びたいと思える人が周りに沢山います。これほど幸せなことはありません。

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